追憶

追憶

「○○君、あんた、本当は○○さん家の子じゃないらしいね。」

近所のおばちゃん達にそう言われた「彼」は、一瞬何のことか分からず、戸惑うばかりだった。

そして、しばらく考え込んだ。

「自分が○○家の子どもではない。ということは、両親は『本当の』両親ではないということなのだろうか?」

これまでの「当たり前」が、完成間近のドミノが倒れる様にガラガラと崩れ去っていく。

「俺は一体誰なんだ?」

「彼」の脳裏からは、この問いが離れない。

だが、日常生活はまるで何事もないかのように続いていく。母親はいつもの様に食事の支度をし、父親はいつもの様に話しかけてくる。日本語と朝鮮語交じりの言葉で。


「自分」という存在にますます混乱してくる。全自動洗濯機が永遠に回り続けるような感覚だ。

「だめだ、このままじゃ。自分が壊れてしまう。」

本能的に悟ったのだろう、「彼」は率直に両親に質問を投げた。

「お父さんお母さん、僕は、お父さんお母さんの本当の子どもじゃないの?」


意外な答えが返ってきた。


「そう、お前の言う通りなんだ。で、それがどうかしたか?」


「で、それがどうかしたか?」


「彼」の心の中で、この言葉が木魂した。
同時に「彼」も、この言葉を反芻した。


宮本武蔵は、「天下無双」とは何かを追い求めて放浪の武者修行に出た。そして最終的にこうたどり着いた。


「天下無双、それはただの『言葉』だ。」


ああそうか、何も関係ないんだ。
生みの親だとか、育ての親だとか。

そう思う事がその当時の「彼」に出来たならば、どれほど楽だっただろうか。幼少期から思春期にかけての「彼」には、その境地に達するまでの心のゆとりはなかった。考えてみれば当然だ。


学校では異質として排斥され、近所でも不憫な目で見られてしまう。


「俺は一体誰なんだ?」


事ある毎に浮かぶ雑念の様な問い。
容赦なく浴びせられる罵声と暴力。
徐々に忍び寄る貧しさと飢え。

「彼」は絵に描いた様にぐれた。


ーーーーーーー

それでも「彼」は両親の願い通りに進学校へ進んだ。識字能力のない両親が商売で得たお金で。いまでこそ識字能力は万人にある。だが、その能力がない事は、当時の人間には余りに不便だ。「我々」は商売をして生きていく意外術がない。だから、両親の進める通り商業科へと「彼」は進学した。

高校時代は柔道部に所属した。容赦なく飛んでくる罵声と暴力に対して、自身の身を守るためだ。黒帯も手に入れた。暴力で訴えてくる大抵の人間に抵抗できるだけの術を「彼」は身に付けた。

学校をさぼった事も多々あったが、もともと地頭は良いほうで、学習には困らなかった。将来選択を迫られる進路相談。高度経済成長期の日本。当然の様に進学を希望した。


だが結論、叶わぬ夢となってしまった。


両親が営む商売が傾き、多額の借金を背負ってしまった。両親に頼ることは出来ない。だが、自分は進学したい。やさぐれてはいたが、将来に対して微かな希望を抱いていたことは事実だ。

にも関わらず、その夢は経済的な理由で潰えてしまった。

やり場のない怒りを「彼」は抑えきれずにいた。


「こんな家、飛び出してやる。俺は独りで生きていくんだ。」


半島から移住してきた母方の親戚を頼りに、高校卒業と同時に「彼」は九州へと移住した。移住したはいいものの、そうそう雇用条件の良い「物件」があるはずもない。不本意ながらも、彼は喫茶店の雇われ店長となった。

雇われ店長として働く日々、将来に展望も持てなかった「彼」は、無鉄砲に日々を過ごした。仕事が終われば中州に繰り出し、毎晩の様に酒を飲む。酒を飲めば気も大きくなる。今とは違い「荒くれ者」にまだまだ寛容だった時代。持ち前の負けん気の強さも相まって、喧嘩に明け暮れた。


飲んでは喧嘩。飲んでは喧嘩。飲んでは喧嘩。


「彼」の気持ちも分からなくはない。人生に希望の欠片も見いだせない状態だったからだ。何度警察のお世話になったことだろうか。その度に、何度実家の『両親』の手を煩わせただろうか。


ところで、「彼」は今でいう相当な「イケメン」だった。女性の方から猛烈なアプローチが自然とやってくる。女性に困った事はない。生来的な気の優しさもあり、好意を寄せてくる女性は多かった。国籍など関係なく。

そうなれば、必然的に親しい女性も現れてくる。当時の状況を鑑みると、互いが「結婚」を早い段階から意識することも自然の成り行きだ。案の定、九州に移り数年後、「彼」はとある女性と「結婚」の約束を交わした。今の時代よりもその手順は厳密だ。結納も必須であり、当然の様に良家に挨拶に行くはずだった

だが、いわゆる「国際結婚」になってしまう。映画「パッチギ」の世界観そのものだ。沢尻エリカ演じる半島の女性に恋をした日本人の青年。彼等の溝が深かったのと同じように、二人の溝も深かった。

『両親』は決してナショナリズムを強制する人間ではなかった。明治生まれの人間にしては珍しく、戦後すぐに生まれた「彼」に対して、母国語を習えなどとは決して言わなかった。むしろリベラルで、「これからは英語の時代だ」と言いながら、幼少の頃は「彼」に対して英語を習わせていたそうだ。


にもかかわらず、それにも関わらずだ。


『両親』は結婚に猛反対した。生みの親ではないにしろ、育ての親が半島出身である「彼」も、当然の様に半島に籍がある。それ故、国際結婚はタブーだ、というのが『両親』の見解であった。初めてナショナリズムを感じた瞬間だった。それ以外の事は極めてリベラルだった『両親』が、初めてした反対だった。

「彼」は結婚を誓った相手を実家に連れて帰った。二人での結婚生活を望むことを『両親』に告げた。だが、『両親』の結論は「NG」だった。


であるのならば、「勘当」同然で結婚してもよかったのではないか。そう思う人間もいるだろう。世の中にもそのような物語があふれている。だが「彼」はそうはしなかった。

なぜか。

生みの親ではないものの、育ての親として、これまで育ててくれた『両親』に対して、反旗を翻す事はできないと判断したからだ。それくらい「情」に厚いのが「彼」の特徴でもあった。


結果として、「二人」の恋は成就しなかった。


人生の大きな節目である進学も、就職も、恋愛も、「彼」自身の生まれ持った「背景」のせいで、ことごとく打ち砕かれる。


東野圭吾原作の「手紙」という小説がある。貧しい兄弟で暮らす二人。兄は弟の進学の為に強盗殺人を犯してしまう。そのせいで弟は、世間からあらゆる冷遇を受ける。進学も、就職も、恋愛も…

「彼」の構造も極めて似ている。
こんな理不尽はあるだろうか。

やるせない想いだけが宙を舞う。


誰かのせいにしたい反面、誰のせいにも出来ない。自身で引き受けるしかない事柄であり、その事柄から逃げることなどできない。真正面から向き合うしかない。


まるで小説の様な境遇の中、自身の生い立ちに正面から向き合い、決して言い訳をせず、それを体現したのが「彼」だ。

「彼」は持ち前の気の強さと律義さで、極道の世界にも誘われた事があるそうだ。「彼」の気持ちは揺らいだ。

だが結論として、「彼」は育ての親である『両親』を守るため、自らの人生を、ある意味諦めた。

地元を離れて12年後、「彼」は地元に戻り、『両親』の斡旋の元、お見合い結婚をした。そして、5人の子どもを設け、貧しいながらに立派に育て上げた。その子ども達は今でも両親を慕っている。

両親の教えの元、離れ離れで暮らす身ではあるものの、お互いを支えあい、今でも仲睦まじく暮らしている。



ーーーーーーー

何を隠そう、これまで綴った「彼」の人生は、僕の父のものだ。

過去の記事にも書いたが、両親からこれまで一度も、自分の人生に対する、恨み・辛み・妬み・嫉みの類を聞いたことがない。

我が父ながら、極めて人格の優れた人間だと思っているし、何よりのメンターとして尊敬している。


時代に何もかも奪われ、人生の節目における自身の望むモノを、何一つとして得ることができなかった。その事に対して世間を恨むでもなく、その分だけ、我々子ども達に託してくれた。その理念に賛同してくれた一家もあり、経済的な部分も含め、我が家を援助してくれた。

こんな両親を無碍にできるだろうか。少なくとも俺は決して出来ない。脚を向けて寝ることなど決してできない。

僕以外の兄弟姉妹は皆「帰化」をした。なぜお前は「帰化」をしないのかと両親は俺に問う。だが、その度に俺はこう返す。


「父さんが、じいちゃんの想いを大切にしたように、俺も父さんの想いを大切にしたいんだ。帰化をしてしまうのは簡単だけど、それで失ってしまうモノの方が大きいと思う。少なくとも、父さん母さんが死ぬまで、俺は帰化をしない。二人の想いに報いる為にね。」


そういうと、いつもバツの悪そうな顔をする父親。だが、内心少しだけ喜んでくれているのも知っている。それでいいと俺は思っている。

「彼」が、生みの親ではなく、育ての親としての『両親』を大切に想っていたように、俺自身も「両親」を大切に思っている。

極めて非合理的な、不器用な手段かも知れない。でも、俺はそれで良いと思っている。誰にも迷惑などかけていないし、かけるつもりもない。

むしろ、自身の生まれ持ったストーリーが付加価値になるくらい、人生を謳歌してやるんだと思っている。連綿として『想い』の繋がりは、人間をこれでもかと強くするんだ。

俺はそう信じています。


もうすぐ誕生日を迎える父へ。

不肖の息子より。


おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?