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エッセイ集:自己・意識・生死をめぐっての随想

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文藝同人誌に掲載したエッセイを中心に、新たなエッセイも加えていきます。
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記事一覧

死んだら他者の心のなかで「生きて」いられるか

納得いかない考え方のひとつだ。 「人間は、肉体が死んでもそれだけでは死なない。誰かの心のなかで生き続ける(ことがある)」 「人が【本当に死ぬ】のは、その人をおぼえている人間が誰もいなくなったときだ」 それを本気で言う人が複数いるので、不思議でしかたなかった。 他者がおぼえている「その人」とは、他者の主観というフィルターがかかった変形物で、「その人」の意識そのものじゃないのに。 いつのまに、人は、本人の意識から、他者が抱いている記憶へと、すりかえられてしまったのだろう。

ロボットの命

   あるシンポジウムでのこと。東京大学で人工生命の研究をしている複雑系科学者、池上高志氏の講演のなかで、ナム・ジュン・パイクというアーティストの作ったロボットの話が出た。  「K-456」は、一九六三年に作られた。ワイヤーが丸見えのスカスカの体をもち、リモコンで動く不細工なロボットだった。長年ナム・ジュン・パイクと行動をともにしていたが、一九八二年、ニューヨークのホイットニー美術館前のマジソン・アヴェニューで、パイクのリモコン操作によるパフォーマンス中に、車に轢かれてしま

死児の顔

 臨月になると、動くのがおっくうになる。しかも冬。家に籠もることが多かった。  その日もひとりで絵を描いていた。紙の上で鉛筆を動かしていると、いつのまにか現れたのは、赤ちゃんの顔だった。夢によく出てくる男の子に似ている。  夜、夫にその絵を見せた。いつもは冗談を言って笑わせてくれるのに、ひとめ見て黙り、それからすこし引きつった顔で言った。 「これ、似てるよ。あの子に」  その二年前、私と夫の最初の子どもは、生まれる前に死んだ。九ヶ月に入ったころだ。  さらにその数ヶ

少女の汚れた手

 小学生による殺人事件が何件かニュースになった頃から、考えていたことがある。かつて自分がどんな少女だったか、そして今どうしているか。  何が正常で、何が忌むべきことなのか、生命についての大人の論理は錯綜している。自覚していてもいなくても、複数の基準を生きている。その「普通の感覚」の振れ幅のなかに、私もまた収まることのできる大人になった……かろうじて。  その振れ幅の端のほうから少し、足を踏み出すと、ひょっとしたら異常と言われたかもしれない何かへのゆるやかなスロープが見えて

産道を通ったときのこと

── 生まれる前の記憶 ──  小学校一年か二年のころ、何日も続けて同じ夢を見た。そのあと決まって目が覚める。  粘液にまみれた暗い洞窟で、ひだのような壁に押しつぶされ、身をよじり、あがいている。肉のひだは膨らんだり縮んだりしながら圧迫してくる。頭がどこかにつっかえる。軟体動物にのみ込まれたような不安感。暗い。寒くはない。手も足も動かせず、壁の隙間に頭から突っ込んで行く。そしてまたつっかえる。  息苦しさが極限になり、もうだめかと思った瞬間、まっ白い光のなかに解放さ

覚醒ー自己意識について

睡眠からの自己意識の発生現場の記録     深夜、羽田発の国際便に乗った。飛行時間は、乗り継ぎのフランクフルト空港まで十一時間。このところ寝不足が続いていたせいか、離陸直後に眠気が襲ってきた。エコノミーのシートでは、頭の位置がうまく調節できず、首が痛くて目が覚めてしまう。それでも八時間以上は眠っていた。  その間に、不思議な体験をした。  眠りから覚めかけ、でもちゃんと覚めてもいないような、どっちつかずの状態のまま、意識だけがある。ふだん、寝ていて目覚めかけたとき、よ