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産道を通ったときのこと

── 生まれる前の記憶 ──


 
 小学校一年か二年のころ、何日も続けて同じ夢を見た。そのあと決まって目が覚める。

 粘液にまみれた暗い洞窟で、ひだのような壁に押しつぶされ、身をよじり、あがいている。肉のひだは膨らんだり縮んだりしながら圧迫してくる。頭がどこかにつっかえる。軟体動物にのみ込まれたような不安感。暗い。寒くはない。手も足も動かせず、壁の隙間に頭から突っ込んで行く。そしてまたつっかえる。

 息苦しさが極限になり、もうだめかと思った瞬間、まっ白い光のなかに解放される。あまりのまばゆさに目が覚めると、暗い和室の寝床で天井を見上げている。

 誰かが灯りをつけたせいで目が覚めたのか。布団が顔にかかって息苦しくなり、はねのけたのか。だが、部屋はいつも暗かった。本物の光のせいで夢を見たのではない。

 同じ夢がいく晩か続き、そして急に止んだ。何だったのか、ずっと気になっていた。

 赤ん坊の意識は、おぎゃーと泣いた後にしか生じないというわけではないのかもしれない。そう考えると、産道を通った記憶を人が保持していてもおかしくないように思えてくる。生まれる直前の胎児や新生児にも、何らかの感覚機能はそなわっているだろう。その感覚として何かが残っていた、という程度のことなら信じられる。覚えている人がほとんどいないとしても、別に奇異ではない。記憶があることと、それを大人の意識が「引き出す」ことができるかどうかは、別の問題だろうから。

 「夢」というかたちでしか「それ」を追認できなかったのだとしても驚くことではない。夢を見ている状態では意識の制御がゆるむ。封じている記憶もナマのままランダムに出てきたりする。半睡状態で夢を見ていることが多い私は、その支離滅裂さ加減と、日常経験のなかの整合性との違いを、あるていど意識的に把握できる。夢は、日常世界の因果律もフレームもおかまいなしに、いろいろな記憶の欠片を混ぜ合わせて見せてくれる。

 だからあの夢は、べつに特別なものではなく、「生まれたときの記憶」という、ただの脳内保存データが再生されたものだったのかもしれない。ゼロ歳の記憶だからといって特別なわけではない。何しろ三歳ぐらいのときの断片的記憶ならけっこうあるのだから、それが三年遡ったからといってどうということはないし、まばらであっても驚かない。大人の理屈から言えば、「おぎゃーと泣いた」その瞬間からしか人はこの地上での存在を認められないのかもしれないが、その数分前に産道を通っていたときも、そのあとも、それほど違いはなかったはずだ。「私」はそこに「いた」のだから。

 だが──

 小学校低学年の頃にあの夢を幾晩もつづけて見たというそのことには、特別な意味があったように思える。それは、「私が」あの肉のひだの中をもがきながら進んでいた、という、あるはっきりした「解釈」がほどこされた記憶であったからだ。

 あの夢の中で、「私」は「私」であった。それは、胎児の記憶であったとは思われない。記憶はすでに解釈されていた。「あの夢を見たときの私」によって。私は「自分」とそうでないものとを明確に区別していた、ということだ。

 「私」は、たったひとり、裸で、うめきながらこの世界に出てきた。あの夢を見ていたときの私は、そう認識していたのだ。

 洞窟は母親ではなく、私しかいなかった。そして、生まれ出てきたこの世界には、まず、まばゆい光があった。それは現実の空間にある光とは違う感じがした。目覚めて、暗い和室にいる自分に気づいたとき、あの光は「夢で見た光景」として私の中に逆にくっきりと刻印された。

 楽しい幼少期を送ったわけではない私にとって、あの光は、その後どこかで「この世界」を良きものとして肯定できる心の基盤になっているような気がする。

(了)


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