サッカークラブのつくりかた #6 「TOKYO CITY F.C. “渋谷からJリーグへ”旗揚げの時」編
※この記事は2019年4月13日に書いた記事をnote用に再編集したものです
前回の記事から約半年ぶりの更新となりました。
この半年間、TOKYO CITY F.C.を取り巻く環境は大きく変わりました。
・運営法人の設立
・最初のフルコミットメンバーの出現
・約200名の観客を動員した東京カップ南葛戦
・クラブ史上初のプロ契約選手として阿部翔平選手の獲得
・「渋谷からJリーグを目指す」構想発表
・長谷部健渋谷区長への表敬訪問
これ以外にも挙げればキリが無いくらい、様々な変化のタイミングとなりました。
CITYは「ソーシャルフットボールクラブ」と自分たちのことを称していますが、この半年間の変化は、誰か(個人でも法人でも限られた特定の人格)ひとりの意思によって導かれたものでなく、みんなが話し合いを重ねる中で自然発生的に生じた変化でした。
なぜ、このような変化が起きたのか。話は半年前に遡ります。
もっとCITYを本気でやろうよ
前回のブログでも少し触れましたが、東京都3部の完全優勝を果たした昨年秋頃からクラブの未来をどうしていくか、そんな話し合いをメンバー間で度々するようになりました。時にお酒を片手にしながら、時に試合の道すがら。
優勝を自らの手で掴み取った喜びから。社会人になってこれほどまでに熱中するものが見つかった充実感から。見ず知らずの人からユニフォームを購入したいと打診された広がりの実感から。クラブの成功をともに喜び、未来に期待する声をかけてもらった高揚感から。そして何より「CITYがあって良かった」という何気ない一言がもたらした、誰かの人生に役立っているんだという実感から。
クラブに関わるメンバーが、最大5シーズンのそれぞれのCITYでの歩みから感じた様々な感情。フットボールを通して人生が充実し、ワクワクし続ける日々を過ごすことが出来るという確かな実感。
それらが交錯したとき、より高い目標へ向かって進もうと、アクセルを踏むことになるのは自然の流れでもありました。
「もっとCITYを本気でやろうよ」
誰からともなく、大きなうねりが生じました。
そして、「会社を辞めてCITYにフルコミットするので全力でアクセルを踏みましょう」と現役員である酒井翼が、彼にとってもクラブにとっても、後に間違いなくこの半年間での一番のターニングポイントとなるような決断があり、そんな決断にも後押しされCITYの運営法人である「株式会社PLAYNEW」が立ち上がりました。
酒井の決断はもとより、実はこの議論も僕が主導して行ったものではありません。クラブに関わるメンバーから自然と湧き上がって来た議論であり、それこそがCITYがCITYたる所以だと思っています。フラットにオープンマインドで議論をし合える関係性や環境こそCITYの大きな強みです。
そしてそれが「ソーシャルフットボールクラブ」であるTOKYO CITY F.C.のあるべき姿なのです。
CITYが目指していること
CITYのメンバーに共通していた想い、それは「フットボールの可能性を信じ、実感し、追求していく」という想いでした。
自分が好きだからフットボールをする。自分が楽しいからクラブをやる。根底には皆その想いがあるのは間違い無いですが、それだけではなく、「フットボールを通じて世界を変えられる」と本気で想っているメンバーたちが集まっているのがこのコミュニティの特徴でもありました。
「Football for good 〜ワクワクし続ける渋谷をフットボールで〜」
約3ヶ月間の話し合いを経て、クラブのビジョンを再構築しました。
試合はもちろん、フットボールから生まれる様々なコンテンツが溢れる渋谷をつくり、渋谷の街がフットボールを通してワクワクする。そんな情景を目指します。
例えば、週末の代々木公園ではトップレベルのフットボールにワクワクする一方で、原宿ではフットボールからインスピレーションをうけたファッションにワクワクしたり…恵比寿でも代官山でも千駄ヶ谷でも幡ヶ谷でも代々木上原でも神泉でも、オフィスの中でも公園でもクラブでもレストランでも銭湯でも、それぞれのカラーにあったフットボールから派生したコンテンツを実現することにより、それぞれの特徴をさらに引き立て、ワクワク感が増す。そんなことをフットボールを通じて実現していきたいと思っています。
クラブがあることで渋谷の魅力を増幅させ、もっと渋谷にいる人たちがワクワクする毎日を渋谷にいる人たちと作っていきたいと思っています。今でも素敵な景色が盛りだくさんの渋谷ですが、フットボールというスパイスが加わることで、その景色が今よりちょっぴりだけ素敵なものに進化させていきます。
なぜ渋谷から旗を揚げるのか
理由は主に2つです。
1つはCITYが実現しようとしていることはまさに「カルチャーづくり」だと思っています。
フットボールが身近にあり、それが人々の人生の充足感に寄与している、だからもっと好きになり、常に身近に感じていたいと思う。フットボールを通じて世界を変えられると本気で想っているからこそ、そのカルチャーをつくり、伝搬させ、広げていく、そう考えた時に様々なカルチャーの発信地である渋谷から挑戦をしていこうというのは自然な発想でした。そしてそのようなカルチャーというものが、いま渋谷が抱えている課題を考えた時まさに必要とされているものだと感じました。
もう1つは個人的な想いになりますが、中学から今まで18年間渋谷に通ってきた自分にとって渋谷という場所は居場所そのものでした。渋谷に行けば約束をしていなくても誰か友達と出会える、新しいワクワクを見つけられる、慣れ親しんだ”ホーム”というべき居場所が渋谷という街でした。
それはクラブに関わるメンバーにも大なり小なり同じことが言え、何よりクラブ立ち上げの源流となった恒例の集いも、立ち上げの一番のキッカケとなったフルコートでのサッカーも、気付けばそれが渋谷という場所でした。
だからこそ、みんなにとってのホームというべき渋谷を、大好きなサッカーを通じてもっとワクワクしたものにしていこうと考えるようになりました。
メンバーの個人的な理由が半分、社会的な理由が半分。
こうしてCITYは「Football for good 〜ワクワクし続ける渋谷をフットボールで〜」実現することを目指し、旗揚げすることを決めました。
これが2018年の年末くらいの出来事でした。
Jリーグを目指すということ
ではそのビジョンをどう実現していくか。
その戦略の中心となるのが「Jリーグへ入る」ことを直近の道標として目指すということでした。
偉そうなことを言っているのは百も承知なのですが…僕らのゴールはJリーグへ入ることではありません。Jリーグへ入ることはあくまで手段であり、Jリーグに入った先にビジョンの実現(ゴールへの到達)が起こり得ると思っています。
ではなぜ手段として、戦略として「Jリーグへ入る」ことを目指すのか。これも理由は大きく2点あります。
1つはJリーグが日本のフットボールにおける頂点であるから。
当たり前の話ですが、日本で最もレベルが高いフットボールを見ることが出来る場所がJリーグです。それは興行としての魅力とニアリーイコールでもあるといえ、レベルの高い選手が、クラブが、しのぎを削るその様は、間違いなくワクワクを引き起こします。クラブが様々な努力を重ねていることでその魅力は年々増し、単にフットボール好きがフットボールを楽しむ場所から、フットボール入りでない人たちにとっても遊び(お出かけ)の選択肢として候補に上がる存在へとなってきました。つまりJリーグは多くの人たちへフットボールを通じてワクワクを提供することの出来る場所と既になっているのです。
フットボールクラブであるCITYにとって、そしてそれに関わる人にとって、レベルの高い相手とレベルの高い試合を行い、カテゴリーを上げより高いレベルにチャレンジしていく、そのプロセスはスポーツの本質的な価値の一つであると言えます。だからこそCITYはフットボールクラブとして、日本のフットボールの頂点であり、最もワクワクする場所であるJリーグ入りを目指すことはビジョンから考えた時自然な流れでありました。
2つ目の理由はJリーグの理念と、Jリーグが向かっている方向性です。
Jリーグは、以下3つの理念を掲げ1993年の開幕から26年間取り組みをしてきました。
一、日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及促進
一、豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与
一、国際社会における交流及び親善への貢献
そして、開幕25周年を迎えた2018シーズン、「Jリーグを使おう」という言葉が生まれ社会と連携し未来を共創するという方向性が示されました。
これはまさに前述してきたCITYが目指したい方向性そのものであり、Jリーグへ入ることによりCITYとしてもビジョンの実現に大きく進むと捉えています。
そのような背景もあり、分かりやすいフレーズとして「渋谷からJリーグを目指す」構想発表を行うこととなりました。
「渋谷からJリーグを目指す」構想発表
3月上旬、オフィシャルパートナーであるgreenbirdさんが運営をする原宿のコミュニティスペース「subaCO」(ラコステがあった場所というと分かりやすいでしょうか?)
この場所から構想発表をさせてもらいました。
構想発表は僕からのプレゼンが約15分、GMの深澤からのプレゼンが約15分、阿部翔平選手の加入発表が約15分、そして質疑応答とフォトセッションが約20分ほどの1時間強の時間行われました。
それぞれが何をどうプレゼンテーションするか、およそ1ヶ月の準備期間ほぼ毎日そのことを考えていました。「渋谷からJリーグを目指す」ことはもとより、その先にある想い、ビジョンをどうすれば伝えることが出来るか。なかなかに難しくもあり挑戦し甲斐のあるトライでした。
結果として当日は想像以上のメディアの方におこしいただき、沢山の記事にもなりました。特に表面的な事実だけでなく、その裏にある思想や価値観についても触れていただけたことは、喜ばしいことでした。
構想発表の翌々日には長谷部健渋谷区長のもとへ表敬訪問をさせていただき、クラブのビジョンを伝え、応援のメッセージも頂きました。
クラブのビジョン、行く末が固まった2018年末から構想発表を行った3月上旬までの実質2ヶ月半の間。
約200名の観客を動員した東京カップの南葛戦があったり、クラブ史上初のプロ契約選手として阿部翔平選手の獲得発表があったり、オフィシャルパートナーとして5社との契約があったり、自分個人としても今まで生きてきた30年間の中で指折りの密度の濃い時間を過ごしました。
同時にたくさんの方が「何か一緒にできないか?」と声をかけてきてくれる、とても幸せな時間でもありました。一つ、また一つと新たな取り組みを、想いを共にする方々とともに始めることができそうです。
かっこよくて、ワクワクする、そんなクラブを目指して。
CITYを立ち上げて丸5年、このブログを書き始めてからも5年が経ちました。当時25歳くらいだった僕も、気付けば30歳になりました。
一番最初に書いた「サッカークラブのつくりかた」ブログで、
今後TOKYO CITY FC がどのようなクラブに育っていくかはまだ分かりませんが、クラブ立ち上げ時の思いを忘れず、「ワクワク」を大切にしていけば、更なる「ワクワク」と出会えそうです。
と書き記していましたが、5年経ったいま、あの時想像していた以上の「ワクワク」と出会うことができました。
僕はこれこそがフットボールの持つ力だと思っています。
実際構想を発表してから、
「で結局スタジアムはどうするの?」とか「勝つのはそんな簡単なことじゃないよ」とか「資金はどうやって集めていくの」とか色々なご意見やアドバイス(?)をいただくことが増えました。
それはもうその通りで笑、考えなければいけないこと、やらなければいけないことだらけなのですが、でも掲げたビジョンからブレなければ、初心を忘れなければ、いつの日か必ず皆で到達が出来る場所だと思っています。
そして、日本において様々なカラーのビジョンを掲げるクラブがもっと増えることで、競争と共創が起こり、真の意味で日本サッカーの盛り上がりに繋がると確信をしています。
それは新規に立ち上げるクラブだけでなく、既存のクラブにとっても。様々な価値観を持つクラブが増えていくことで「サッカー好きなの?」な会話が普通な日本ではなく「どのクラブ好きなの?」という会話が普通になるような、それだけサッカーが日本に根付き、人々に寄り添い、選択肢となっている、そんな日が来たら幸せだなと思っています。
「サッカークラブのつくりかた」シリーズを今でもゆるーく更新し続けている理由は、クラブを作ることって実はそんなに遠い世界の話ではなく、もちろん大変なこともメチャメチャあるのですが、それでも最高の体験を得ることが出来ると身を持って感じたため、これからクラブを作ろうと思う人が少しでもショートカット出来て、余分な負担が掛からなければ良いなという思いが一つと、
純粋に、、電車の駅ごとにとか、それくらいの細分化したレベルでクラブがあって、プレーする人も応援する人も”いつも身近にサッカー”があれば、自ずと日本サッカー全体の盛り上がりにも通ずると確信しているからです。
たまたまCITYはJリーグ入りを目指すことにしましたが当然それだけが正解でないし、現にそうではない成功例もいくつも存在していると思います。
ゆとり世代的発想かもしれませんが、それぞれがそれぞれのゴールへ向かって進んでいるってとても豊かなことですよね。誰かが決めた一つのゴールへ皆んながヨーイドンで向かうわけではなく。
楽しいことも大変なことも色々とあるでしょうが、CITYは今回のエントリーに書き記した方向へ向かって進んでいきます。想いに共感頂いた方々とともに、何か一緒に面白いプロジェクトをしようと声をかけてくださった方々とともに。
せっかく動き始めたこの一大プロジェクトを自分自身も一番楽しんで取り組んでいきたいと思っています。
これからもTOKYO CITY F.C. は高みを目指し続けます。
かっこよくて、ワクワクする、そんなクラブを目指して。
※これまでの振り返り記事はこちらのアーカイブ記事をご覧ください。
▼サッカークラブのつくりかた #1 「TOKYO CITY F.C. 立ち上げ」編
▼サッカークラブのつくりかた #2 「TOKYO CITY F.C. 都リーグ参入」編
▼サッカークラブのつくりかた #3 「TOKYO CITY F.C. 都リーグ4部優勝3部昇格」編
▼サッカークラブのつくりかた #4 「TOKYO CITY F.C. 3度目の都リーグ3部挑戦」編
▼サッカークラブのつくりかた #5 「TOKYO CITY F.C.東京都3部リーグ完全制覇」編
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