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彷徨い人

私がサラリーマンを最初に辞めたのは25の時。その後三十三才から3年だけサラリーマンとして働いた期間を除けば約25年以上自営業か会社経営者として働いてきた。
サラリーマンを辞めたのは会社に不満があったとか、仕事が嫌だった訳ではない。日本とは違った他の文化圏で生活してみたかったからだ。個人事業主や零細企業の経営者の方であれば解ると思うが、小規模のビジネスは収入が安定しない。安定されている方もいるだろうが、収入が安定しなくて苦労されている方は多いと思う。私は完全に不安定な方に属していて、今でもそれは続いている。それでも裕福な家柄でもなく借金することもなく25年以上どうにか続けて来られたのは、自分に恵まれた商才があった訳ではなく、多くの方に支えられたのと単についていただけだと思っている。

旅で訪問した国は38カ国。そのうち仕事で一年以上滞在先した国はアメリカ、メキシコ、ウズベキスタン、カザフスタン、ロシア、ウクライナだ。北米だけでなく、中央アジアと東欧・ロシアに住んだのは人生において貴重な経験だった。
海外で仕事は何をしていたかというと、米国では主に映画製作のエンターテイメントビジネス。それ以外の国では貿易業で生計を立ていた。ちょっと逸れるが駐在員のドライバー兼雑用係といったバイトもした事がある。

特にウズベキスタンは思い出深い。住んでいた2005年は米国同時多発テロ後の対テロ戦争の真っ只中で、アフガニスタンの隣国ウズベキスタンでは何度か怖い思いもした。最初に述べておくが、ウズベキスタンはアフガニスタンと国境を接してはいるが、比べ物にならない程治安は良かった。イスラム諸国の中では明らかに自由で、イスラム教徒でなければ酒も飲めるし、イスラム教徒でも人々の服装は基本自由。トルコ程オープンではないが、西側の人間が行っても不自由を感じる事なく、中央アジアでは間違いなく自由で治安が良い国だ。
それでも怖い思いをした。首都タシケントのアメリカ大使館前での自爆テロ。これはよく行くレストランの目と鼻の先で起きたテロで、幸い直接巻き込まれなかった。しかしこのレストランは週に三日は訪れていた所でテロ翌日、知らずにレストランを訪れ規制線が張られていた時はゾッとした。しかもアメリカ大使館員に被害が無かったので、現地ではそれほど大きなニュースになっていなかったのも同じくゾッとした。その他にも現地にいて国外では報道されても国内では報道されていない事件が起こったりもした。その状況を経験して情報統制されている国家の怖さを知った。先にも述べたがウズベキスタンはイスラム国家の中では明らかにオープンで、自由な国であったのにも関わらずだ。まあ報道規制に関してはイスラムとは関係なく旧社会主義・独裁国家ならでは政治的要員ではあるが。

ウズベキスタンでは食中毒で死にかけたこともあった。食中毒は本当に怖い。食あたりとは全く違う。酷い脱水症状と高熱。まともな食事が出来ずに点滴のみの生活で三週間で体重が10キロも落ちた。当の本人は死への恐怖は全くなかったのだが、妻は医者から非常に危険で覚悟するようにとまで言われていたと後で知ってゾッとした。人間死にかけた状況では意外と精神は落ち着いているものかもしれない。

ウズベキスタン以外でも色々と経験したが、ここでは割愛する。これを書いていたら一冊の本になってしまう。
2011年の東日本震災以降は単発の仕事で海外に行く事はあっても長期滞在はしていない。完全に生活のベースは日本に置いている。幸い国内もあちこち行く機会に恵まれ、全ての都道府県を制覇した。

考えてみると、私はどこか一箇所に落ちついて生活するのが苦手なのかもしれない。英語も日本語も通じない国に行くと、その不自由さよりも自由を感じるのは私が捻くれているからもしれない。そういった滞在先ではやはり大変なことが多く、必死で生活の為に働いた。過酷とも思える環境に身を置いて、他人からすれば、その日暮らしのような生活でも、結果どうにか生きてこられたのは幸せな事だったのかもしれない。やはり自分が優れているのではなくついていたのだと思う。

以前息子から私はいつも彷徨ってると言われたことがある。そうかもしれない。彷徨うとは、あてもなく行き来するといった意味だけでなく、慌てふためいてあちこち動くという意味がある。私にとって彷徨いは確実に後者だ。生活の為、金を稼ぐ為、国内外を右往左往してきた。いつも現地では慌てふためいていた。どの土地でも落ち着いて生活するなど夢のまた夢だった。
勿論国外で生活するというのが全て私のように苦労するわけではない。国外で生活されている方は駐在員をはじめ多くの方がきちんと生活を確保した上で仕事されている。そちらの方が圧倒的に多いだろう。私は海外在住の日本人の中では異質な存在だったと思う。

私は日本の社会に馴染めない変わり者だから海外に行った訳ではない。むしろ海外の方が間違いなく変わり者、”外国”人であった。要はよそ者なのだ。国内外どこでも私はよそ者として生きてきた。おそらくこれからもよそ者のままだろう。よそ者だからこそ今も彷徨っている。彷徨い人なのだ。

最近、彷徨い人としての関心が再び海外に向いている。あたふたする事のない土地に巡り会えたら、おそらく彷徨い人ではなくなるだろう。
生きている間にそんな土地に巡り会えたら幸せだ。巡り会えなくても後悔はしない。だって私は生粋の彷徨い人だから。

(写真:2005年ウズベキスタン・サマルカンドにて)

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