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現代的データ報道の最大の特徴と、それを取り巻くさらに大きな流れ

現代のデータ報道が普及した要因や、Immersive Contents / Visual Investigationといった似た概念との関連をX(Twitter)に連投しました。ここでは改めて流れを整理して書いています。

そもそも、データ報道はPCやスマートフォンが普及する前から存在していました。世界で最初の事例を断定するのは難しいですが、一般的には1821年に英国マンチェスター・ガーディアン(現在のガーディアン)が掲載した子どもの貧困に関する記事だとされています。

同様にデータ可視化も19世紀半ばにフローレンス・ナイチンゲールのローズ・ダイアグラムなど有名な作品が生まれています。『データ視覚化の人類史』では、1800年代後半をデータ可視化の「黄金時代」と表現しています。メディアにおけるインフォグラフィックに焦点を当てた資料が少ないのですが、おそらく新聞や雑誌でも100年以上前からデータをグラフィックで表現すること自体は行っていたでしょう。

その後も、1970年代のアメリカでは、データをもとに社会科学や行動科学的な分析・研究手法を報道に活用する「精密ジャーナリズム(プレシジョン・ジャーナリズム)」と呼ばれる種類の報道が広がりました。

したがって、現在私たちが「データ報道」と呼んでいる、インタラクティブな地図やグラフィックを基調とした試みの数々は、2010年代以降のいわば第N次(3次?4次?)データ報道ブームです。これを便宜的に現代的データ報道とします。統計学もデータ分析も、現代的データ報道が広まるずっと前から存在していました。現代的データ報道が普及した主因は、データ分析に歴史的なブレイクスルーが起きたから、と考えるより、読者が報道コンテンツを体験する環境に変化があったから、と考える方が自然です。すなわち、読者がコンテンツを体験する環境がテレビや新聞からPCやスマートフォン(特に後者の方が大きい)に移行することによって、それまでよりも表現の幅が広がったから、と考えることができます。

スマートフォンには新聞のような広さや手触りはないし、テレビのような同時性や高解像度の美麗な画像はないですが、その代わりにインタラクションという大きな特徴を持っています。インタラクションというのは一般的には双方向性と訳されるでしょうか。何らかのアクションによってコンテンツに影響を与えることができる、そのような特徴をいいます。

インタラクションによってデジタル端末におけるコンテンツ体験の表現はぐっと多様になりました。私たちが画面をスクロールしたり、ボタンをタップしたり、地図を拡大縮小したりなど、「読む」でも「観る」でもない「体験する」という動詞がおそらく適切だと思うのですが、コンテンツを受容する方法論そのものが変わったといえます。

データ報道に話を戻すと、現代的データ報道が普及したのは、インタラクションの普及によって、従来は端折られていた大規模なデータ、または複雑なストーリーが捨象されることなく表現できるようになったから、と考えることができます。広域から自分の住む地域まで拡大できる地図は一覧性と詳細なデータを同時に提供できるし、スクロールによって進行するScrollytellingはストーリーとグラフィックを噛み合わせながら提示することを可能にしました。

この影響は、現代的データ報道だけに形を成したわけではありません。2012年にNew York TimesはSnow Fallというマルチメディアのコンテンツを公開しました。ワシントン州で起こった雪崩事故の様子をインタビュー動画やインタラクティブなグラフィックなど当時のデジタル技術を総動員して6部構成のストーリーにまとめ上げています。何がすごいって、このコンテンツ12年経った今でも見られるんです。

このようなコンテンツは「没入感のあるコンテンツ」=Immersive Contentsと呼ばれました。さすがにここまでの完成度の作品を初手で出されてしまっては、後続が続かなかったのか、フォロワー的なコンテンツはそこまで多くない印象です。この作品、今まではデータ報道の括りで紹介されることが多かったのですが、実際にはデータの分析や統計はメイントピックではありません。現代的データ報道の一部というよりは、データ報道に並列するコンテンツの一種と位置付けるべきかなと思っています。

2024年に入ってから読売新聞の「令和6年能登半島地震被災状況マップ」、日経ビジュアルデータの「JAL機炎上、そのとき何が 検証・羽田空港衝突事故」と相次いでデジタル報道コンテンツが注目を集めましたが、これらもデータ報道と呼べるかどうかは微妙なところですが、大きな枠組みとしてデジタル報道の一種であることは言えるでしょう。

先ほどは「デジタル報道」と書きましたが、この大きな流れを示す報道の表現形態をバチっと示す表現は今のところ存在しないように見えます。日本語でたまに聞く表現だと「ビジュアル報道」でもよいのですが、そうすると冒頭の例のように視覚表現=グラフィックだけだという誤解を招きそうなのが難しいところ。ビジュアル・インベスティゲーション=Visual Investigationという言葉もありますが、こちらはInvestigation=調査にフォーカスした単語であり、コンテンツのアウトプットを表すものではないので視点がやや異なる気もします。

少なくとも確実に言えるのは、今後もこの流れは止まらないだろうということ。私たちが持つデジタル端末は着実に大画面化・高性能化しています。日本で最初にiPhoneが発売されたのは2008年で、そのときは3.5インチでした。2024年の今、私の持っているiPhoneは6.1インチです。欲深い人類がこの画面サイズで満足するとは思えないので、折り畳みスマホなり巻き物のように曲がる画面なり、より大きなディスプレイへの需要は消えないでしょう。あるいはApple Watchのようなウェアラブル端末やVRに特化したコンテンツが生まれるかもしれません。読者がどのようにコンテンツを体験するかによって、コンテンツそのものが変わり続けていくと考えています。


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