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子どもを大切にしてるのか?甘やかしてしまってるのか?

子どもを大切にしたい。

親としても
教師としても

みんなそう思ってると思う。

我が家もそうで、
だから娘が学校に行きたくないと言った時
その気持ちを大事にしたいと思った。

だから学校ではない別の場所で学ぶことにした。

学校に行きたいと言えば
それを大切にして
できる範囲で付き合ってきた。

正直しんどい。汗

毎日決まった場所、決まった時間に行ってくれることって
なんてありがたいことなんだと思う。

でも、
子どもの言葉や気持ちを大切にするって
それが自分のやりたいことだって
気づいてしまったからにはやるしかなくて。


でも、しんどくなるのです。


行きしぶりや不登校に寄り添う
お母さんお父さん
みんな共通して抱えることなんじゃないか

まじでがんばってるーーー


そんな中、娘は、

行きたいフリースクールがあり
行きたい適応指導教室に出会って

朝のしんどさからは今のところ解放された。
(毎日のお弁当にまた大変さはあるけれど)

だけど、それなのに、
同じような心の葛藤を抱えてる自分に気づいた。

それは、


布団から出たくない問題


冬ってあったかい布団から出たくない。
大人だってそうで
覚悟と気合いで朝起き出します。

子どもたちは二人ともなかなか起きてこない。

布団をはいじゃう日もあれば
いつまで寝てるかみてる日もあったり
声だけかける日もあったり
それも優しくだったり厳しくだったり

いろいろ試してみるものの
なんかモヤモヤするのです。


あったかい布団の中でぬくぬくしていたい


それが子どもが願ってることなら
それを大切にしたい。

人間世界の時間で動くより
自然世界と同じく冬は冬眠でもいいんじゃないか

世間一般の常識よりも
子どもの気持ちを何より大切にしたいのだ!
とか思ったり

でもやっぱり起きてこないといろいろ困る

結局、息子の学校の時間に合わせて
みんなが動けるように起こしてしまう。


大切にはしたいし、甘えるのも時に必要。
でも甘やかしすぎるのは違う。
それじゃあ誰のためにもならない。

そのいい塩梅がわからん!

って状態だったんだなと思います。


布団から出る、出ないも
学校に行く、行かないも


なんにせよ、子どもを大切にしたいからこそ出てくる悩みで

だけど、

これって大切にしてるって言えるのか?
甘やかしてるだけなんじゃないか?

そこに明確に答えられない自分のまま
葛藤しながらやっていたから
すんごくモヤモヤしていたんだなって思いました。


私にとって「子どもを大切にする」って
何かっていうと


その子の命が輝いているか
その子らしく、その子の良さが生きているか


そこが最も重要。

これは子どもに限らず大人も、私自身もそうで、
私にとっての生きる指針みたいなものでもある。

そう考えると、
学校に行くかどうか
布団から出るかどうか
どちらも、

子どもの命がより輝くと思える選択をすればいい。

ダラダラグダグダと布団の中にいるだけだったら
あなたらしく命を使いなさいよと起こす選択もできるし

命を輝かすために今日は充電が必要だと思ったら
布団の中を選択することもできる


「子どもを大切にする」


その言葉の意味が曖昧なままだとモヤモヤするけど
言葉の解像度を上げると、グッと自分のものになる。

言語化ってやっぱり大事〜


「自分を大切にする」

も同じ。

どうなっていると自分を大切にできていると言えるのか
それが解像度高く明確になっているかどうか。


人生は言葉にすることで変わる

ってどこかで聞いたことがあったけど
本当に本当にそうだな
日常のあらゆる場面でそうだなと思えた出来事でした。


仕事やめたい→なぜ?どうなりたい?
子育てと仕事の両立がうまくいかない→どこが?どうなりたい?
自信がない→どんなとき?何に対して?

モヤモヤは、もっと深く言語化することでけっこう解消します。
深度と確度が増すことで、迷い悩みが一歩前進する。

自分に対しても、他者に対しても
これからも深いところに耳を傾けていきたい。


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