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夫婦で卒サラ移住ストーリー①最強の夫婦が掴んだタイミング
最強の夫婦、とか言ってしまって、
自分でも言い過ぎなような恥ずかしいような気もしますが、
でも、読み返すと、やっぱりそうだと思えたので、
このままのタイトルでいきます。
楽しんで読んでもらえたら嬉しいです。
小学校の教員をしていた私、
企業でプログラマーをしていた夫、
未就学の2人の子ども+愛犬で暮らしていた。
そこから夫婦二人とも仕事を辞め、
新築マンションを売って、無職無収入のまま
地方の古民家に移住したストーリーを書いています。
地方の古民家というのは、私の祖母の家です。
築100年ほどで、増改築を繰り返した古い家。
母の実家でもあるし、
私にとっても実家の次に多くの時間を過ごした場所でした。
そして、母から
「あの家は多希に譲る」とずーっと言われていたので、
なんとなく、いつかあの家に住むか、あそこで何かやるか、
なんだなぁと漠然と思っていました。
そんな田舎の古民家。
![](https://assets.st-note.com/img/1692754328057-YLnvh9IqFw.jpg?width=800)
祖母が亡くなり、
6年ほど空き家になっていたのですが、
私が退職して半年ほど経った頃、
母からLINEが入りました。
「おばあちゃんの家、買いたいっていう人がいるよ」
その一報を受けて、話が急展開しました。
実は、私が退職したのをきっかけに、
すでに夫との間で移住の話題は出ていました。
(過去のLINEを遡って、判明しました)
平日の昼間でも、けっこうな頻度、
夫とLINEでやり取りしていたんですよね。
子どもが昨日の夜こうだった
もっと早く帰ってきてほしい、とか、
こんな子育ての考え方があるんだね
こんなふうに働いている人もいるよ
と記事をシェアしたり、
自己分析ツール使ってみたら私の特性はこんならしいよ
夫くんもやってみて、とか、
お互いの想いや考えをかなり共有していました。
私が教員の仕事を続けていたら
日中にそんなこと絶対にできなかったし、
LINEというものがあったから
離れていてもコミュニケーションをとることができました。
(仕事中だけど💦)
そんな中で、移住もいいよねっていう話もしていたんです。
母が不動産屋さんに登録しているのも知らなかったし、
いつか私の家になり、いつか住むかもしれない、
というのがずっと頭の中にあったので、
祖母の家も移住先候補の一つでした。
とは言え、
数年、十数年先、もしくは叶わない夢だけど…
くらいの気持ちで話していたこと。
それが、母からの連絡で、一気に現実味を帯びたのです。
買うかもしれないお相手の方がいて、
何度か物件を見て前向きになっているとのこと。
もしかしたら、本当に、あの家が人の手に渡ってしまうかもしれない。
それでいいのか?私?
これからどう生きたいの?
どこでどう暮らしたいの?
あと数年、十数年、マンションに居続ける?
LINEで「移住いいよね」って言ってるだけ?
どうしたい?どうなりたい?
すぐに決断はできないものの、
不動産屋さんにお願いして、
とりあえず1ヶ月の猶予をもらえることになりました。
「ちょっと待ったー!!!」
ってやつですね。
ネックだったのは、移住となると、
夫が仕事を辞めなければならなかったこと。
私は教員を続けられなくて辞めてしまったけれど、
生活もローンもあるし、夫は当然働いていました。
当時はコロナ前で、出勤するのが当たり前。
新幹線で通うっていう案も出たけど、現実的ではない。
そんな無理してまで働き続けないといけない?
ローンがなくなれば、だいぶ楽になるかもね。
夫の退職も視野に入ってきて、
なんと、人事の関係で、2週間で決めるしかなくなった!
私の選択は一択。
人生変えたい。このままじゃいやだ。
お願い、仕事を辞めて、一緒に移住してくださいm(__)m
夫の返事は「YES」
仕事が嫌なわけでもない、人間関係も待遇も悪くない。
でも、辞める選択をした。
いつもこのことにとっても驚かれるけど、
当時を振り返って、夫曰く、
多希のやりたい気持ちにストップをかけてまで
自分が仕事を続けたい理由はない。
収入の不安定よりも、家族の安定の方が大事。
私はそれを聞いて、改めて思った。
この夫がいてくれて、私もここにこうしていられる。
私はけっこういろんな行動を起こします。
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イベントを自宅で月に3回4回やるし、
多額はたいてコンサルや講座を受けるし、
教育をより良くする活動を始めるし、
自分のオリジナル講座で生計立てたいと言い始めるし、
こんな生き方すると思ってなかったし、
私がこんなに自分のやりたいことに邁進できるのは、
本当に夫がいてくれてこそ。
すべてのその陰に、夫の支えがある。
だから、夫のためにも、
私は決めたことをやり抜かないといけないって思ってるし、
たぶんやり抜かないと死んじゃうような人間だから、
夫はそれをわかって、やらせてくれるんだと思う。
でも、それが私たちだな、って心底思う。
お互いの特性を理解して、ただただ自然な状態でいられるように、
そしてどちらかが我慢するんじゃなくて、お互いの望みが叶うようにしている。
私が教員を辞めて、
自分の自然な状態や望むものがわかってきたからこそ、
そう思えるようになったし、できるようになった。
しがらみなく、ゼロから人生をもう一度考え直したかった。
生き直したかった。
私の人生には夫も子どもたちも必要で、
家族みんなでもう一度、という気持ちが強かった。
それで、本当に幸せになりたかった。
見せかけでもなく、妥協もなく、
本当の本当に幸せになりたかった。
それには、卒サラして移住が必要だった。
それがそのときの私たちの正解だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1692756511822-kHXpBGc6Gr.jpg?width=800)
この記事を書くにあたって、当時のことを二人で話しました。
コロナ後だったら、リモートで勤め続けられたよね、
って話になったけど、
私も夫も、辞めて移住して正解だった。との結論です。
「私たちの正解」が続いてる!!
収入の安定はなくなったけど、
辞めなかったら経験できなかったことがたくさんありすぎて、
もちろん大変なこともあったし、今もすべて順調とは言えない、
だけど、
「今」は人生で一番幸せだと胸を張って言える。
そして「これから」も幸せになり続けていく自信だけはありますね。
これは、大げさでなくて、ほんとのほんとに。
それは、
自分たちで軌道修正していく力がついたし、
自分たちの手で人生をクリエイトしてるような感覚があるから。
そして、諦めなければ、なんでもできる。叶う。という経験。
これぞ生きる力。
でも、夫がいなかったら、私は今こうしていられないし、
夫も私がいなかったら、ここまでできていない、はず。
もう最高で最強の夫婦ですね!!笑
夫のおかげ、というのもとても大きいのですが、
人生を変えたいと強く願い、
移住をもちかけ、退職を推し進めた、
「私の変化」が、私たち夫婦の変化の要だと思うんです。
元々の私は、絶対にリスクを負いたくない、守りの人間だったのに、
どうして一歩踏み出そうと思えたのか?
そこは深掘りする価値がありそうですね。
私の内側の変化には、どんなプロセスがあったのか?
次回はそれを綴っていきたいと思います。
また読んでいただけたら嬉しいです!
長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございます!
これだけ書くのに、めちゃくちゃエネルギー使うので、
いいねやコメントいただけたら嬉しいです!
次もがんばって書きたいと思います!
次の記事はこちら
《卒サラ移住ストーリー・プロローグ》
《私の退職~起業ストーリー》
《公式LINE》もよかったら。
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