見出し画像

残業100時間よりも辛かったことについて。

こんな僕だけれど、過重労働については語れると思っている。それがどんなものか、そこからどんな景色が見えるのか、について。

僕が経験した長時間残業

僕は4年間勤めた大手ゼネコンを先月退職した。辞めた理由はたくさんあるのだけれど、過酷な労働環境は無視できない理由のひとつだった。

平日は17時までは現場で工事の進捗管理や作業員さんとのコミュニケーション、17時以降は事務所に帰り大体22時まで書類作成や図面作成をしていた。土曜日出勤は当たり前。最近は政府主体で働き方改革を進めているので少しづつ改善されてきてはいるが、実際はその現場の工事所長によって残業時間は左右される。

新卒で入社してすぐの5月から残業時間は80時間以上を超え、8月には120時間を突破。事務所(というかプレハブ小屋)で先輩たちと寝たこともあった。ある日、先輩が会社の経費で自分のための寝袋を買ってくれた。僕は新卒ならではのキラキラした目で「ありがとうございます!!」と御礼を言った。今思えば、そんなことに自分の限られたキラキラを消耗していたとは本当に恥ずかしい。

残業100時間をするとどうなるか。

あくまで僕の主観だが、残業が60時間を超えると体の疲れが取りにくくなり、100時間を超えると心が荒んでいく。

もちろん自分が大好きな仕事だったら何時間残業しても平気なのだろうけれど、僕はそこまで体力を酷使して働けるほどこの仕事は好きにはなれなかった。


ある夏の夜のこと。

2年目の夏ぐらいだっただろうか。締切間近の書類が夜の23時ぐらいに片付き、そろそろ帰ろうかと思っていると、同じく帰り支度をしていた上司から「これ明日までにやっといて」と新たな仕事を受け取った。その上司の性格からして驚くことではなかったので僕は3秒間の沈黙の後「はい」と返事をした。

そして、その上司は帰り際に急に語り出した。

上司「俺がなぁ若い時はなぁ、お前なんかよりももっと遅くまで残業したよ。2ヶ月休みなしで働いたこともあるよ。苦しくて何回も泣いたよ。」

自分「はあ。」

上司「お前も悔しかったらそのぐらい頑張ってみろよ。根性見せてみろよ。」

自分「あ、はい。」

結局、深夜2時に仕事を終えた。そして、車で1時間かけて寮に帰った。


----なにが辛かったのか。

その帰り道の車中の光景をよく覚えている。

真っ暗で肌寒く、自分の体は少し震えていた。車のエンジン音だけが元気にうなっていた。深夜の田舎道はまさに暗闇で車のライトが照らす場所だけしか見えなかった。

僕はその時に気づいた。自分は何も感じていない、と。

言い換えるなら、何も感じていないフリをしていた。この仕事が自分の肌に合っていないことや、嫌な上司のこと、自分の今後の人生のこと等、、、

なぜなら何も感じないのが一番楽だったから。自分を空っぽにして、「俺はロボットだ」と自分に言い聞かせる。何かを感じ出したら、それはエラーだ。すぐに修正して感情を排除した。そのようにして僕は過重労働を乗り越えていた。

数ヶ月後にわかったが、そのとき僕は軽度のうつ状態になっていた。


空っぽになってはいけない

あの経験を通して一番辛かったことは残業が多かったことではない。僕にとって一番忘れられない痛みとなったのは、自分の心の中を空っぽにした、という経験である。

もちろん瞑想のそれとは異なる。自分に襲いかかる強烈なストレスから一時的に逃げるために自分をがらんどうにし、心を空っぽ(empty)にするのだ。

(空っぽになることはその場しのぎに過ぎない。次の日の朝は頭が重く、食欲が湧かない。仕事中のケアレスミスが増え、さらに上司から怒られる。悪循環だった。)

いま思い返すと、体力的なことよりもあのとき自分を大事にしてあげられなかったことが辛い。人間としてこの世界に生まれた自分を自らロボットにしてしまった。今でも消えない痛みとなって僕の中に残っている。



「頑張ろう」という言葉は好きだけれど、自分が人間だということを捨ててまで頑張ってはいけない。今ではそう思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?