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上京して最初に住んだ街「下高井戸」に帰郷してきた

昨日、ほぼ衝動的に下高井戸という街に行ってきた。きっかけは、りょかちさんの以下の記事を読んで。

下高井戸は、上京して自分が一番最初に住んだ街だ(明大前の一駅隣)。よく行っていた明大前の風景や文章から、とてつもなく「エモい」思い出が2,3個一瞬で蘇り、時間もあるし急遽行ってみることにした。

久々に来た下高井戸は、セブンイレブンやおっきいマンションや、最近急速に繁殖しているチェーンの唐揚げ屋が建っていたりしたが、マイナーチェンジのみで、あまり変わっていなかった。

自分が住んでいたときのにおいはそのまま残っていて、それが、様々な記憶を思い出させた。その記憶の多くは、あまりポジティブではない、焦りや不安さ、恥ずかしさだった。

田舎者を受け止めてくれた街「下高井戸」

下高井戸に住み始めたのは2011年の4月。大学の合格発表はちょうど震災の1日前だった。引っ越し先探しをしようとしていた矢先、震災が起こり、東京はそれどころでは無いという事態に。

1週間後に、自分一人で東京に行き、バタバタな中で大学の引っ越し相談会に行き、4つほどの街を巡って決めたのが、下高井戸だ。家賃の安さが一番の理由だが、絶妙な田舎感があり「ここなら住める」と思ったのが一番の理由。

駅を出るとすぐに八百屋、魚屋、踏み切り。小ぢんまりとした商店街が広がるこの場所は、「憧れの東京生活」には少し遠い街だ。でも、だからこそ、岡山の田舎から来た身としては、この雰囲気がちょうど良く、温かく受け入れてもらっている気がした。

物件を決めて、取り急ぎの家具を買い集めて(震災の影響で量販店にはほとんど商品がなかった)、それなりの一人暮らしを始めた。

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トガれなかった自分のホームタウン

入学してからの生活は、とにかく個性が溺れないように、必死に食いついていた。

無個性になって、自分が目立たなくなるのがとにかく怖かった。同じ高校出身の人達が固まって、学閥みたいなのが出来ていたり、サークルでも自分のキャラを出せずに悩んだり。

頑張って茶髪にしたり、方言をすぐに直してみたりしたけど、いつもどこか馬鹿にされていた気がして、ダサい自分を変えたいなって思ってた。

プライドだけ高くて、誰にも負けたくなかった。すごいよって誰かにずっと肯定してほしかった。

何かになりたくて、サークルやバイトを沢山入れて、何かに打ち込んでいる風を装った。テレビも無い狭い部屋には帰りたくなくて、大学の学食、部室に居座った。

それでも夜遅くには、電車に乗って家に帰ってくる。疲れて帰ってきても、お金もそんなに無いので、いつも駅前の西友で卵と納豆だけ買って、毎日納豆卵かけご飯を食べていた(食べすぎて、しばらく納豆を嫌いになった)。

テスト前には、友達とガストで、ドリンクバーと山盛りポテトフライだけで10時間居座って勉強していた。半分の時間くらいは対して勉強せず、周りのクラスメイトへの悪口とか、漠然とした将来の不安を話すのに使ってたけど。

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当たり前すぎる日常は、あのときは嫌だったけど、一方で自分をリセットする役割もあったのだと思う。何となく下高井戸を出たいと思うことは一度もなかった。

下高井戸が作ってくれた、幸せのスタンダード

そんな記憶を思い返しながらも、改めて街を見渡すと、やっぱりいい街だなと思った。

もし改めて住むなら、自分はどんな生活をするだろう。

案外、変わらないのかもしれない。おんなじようにガストでダベってるだろうし、少し遠回りして、たい焼き屋でたい焼きを買って、食べながら帰るのだと思う。結局人間、幸福を感じる瞬間はきっと変わらない。

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気づけば東京も10年住んで、自分にとって完全にホームになった。リモートでどこでも住める時代、とは言われているけど、結局これからも東京な気がする。

その中で、自分はずっと、中目黒も代々木上原も恵比寿も選ばないのだと思う。ベッドタウンのタワマンも、今はまだ背伸びな気がする。

でも、もしまた下高井戸に住むことがあったら、甲州街道沿いの少し大きいマンションに住んで、昔は足がすくんで行けなかった有名なケーキ屋さんも、月1位で通いたい。「大人になったなぁ」って思いながら、生意気にクリームブリュレをたまに食べよう。

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