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博士か就職か [缶詰25日目]

 大学3年の頃も同じことを考えた。そのときは、webメディア関係の誰でも参加できる1dayインターンに応募して、二次選考には呼ばれなかった。都内の一等地に建つビルに数百人が集められ、その集団の一人として存在する自分はとても惨めに感じた。何を基準で選抜しているのか、どこを見られているか、自分をどこで出すのかなど、無知すぎるあまり社会に出て働くことに価値を見出せなかった。それより4年になって研究生活を送れる方が圧倒的に魅力があった。

 そのまま研究を続けたくて院進したのだが、また同じように「博士か就職か」を考えるようになった。しかも修士は2年しかないために、入学してから猶予期間を与えられずに考える必要がある。

 修士課程で修了して就職しようかと考えるきっかけは2つある。1つは、「研究のスピードは、会社の方が速い」ことである。その理由は、会社では1テーマに対してチームで取り組むため、専門役職の人が精度高く効率的に実験を行う環境があるのに対し、大学では1から全て個人に任され、実験、評価、論文執筆を一貫して遂行する。目まぐるしい社会変貌のさなかで、自分はその潮流に乗りながら最先端で戦える研究者になる意思があるのだろうか? それよりも、企業で実社会に結び付く研究を迅速にこなす方が、トータルで考えて自分の価値は高まるのではないかと考える。

 2つ目は、「社会人の方が仕事の楽しさを伝えるのがうまい」ことである。これは、自分の希薄な人間関係から生じるのかもしれないが、大学研究者で研究を生きがいだとして表現している人は少ないように感じる。死んだ瞳と、口を開けば研究費か派閥の話。そんな場で間接的にでも関係を持つ自分がいたら無味な思想に染まってしまいそうだ。逆に、メディアには仕事が趣味で生きがいな大人が笑顔で働く魅力を熱心に伝える。しかもすごいことをしているように錯覚し、人も金も集まり、さらに世の中に浸透する。
もっとも日本社会の中で研究者の市場価値が低すぎる。企業と同等のお金と人の集まる仕組みを作りたいとも思う。

 

 一方で、博士進学したいという理由もある。それは、修士で終わった先にオリジナルの専門性は出現する確率は低いからである。わずか2年で新規分野でトップカンファレンスに論文を出すとなるとそれなりの努力、時間が必要になる。人生100年時代に専門性を複数持つことは不可欠である。年月を経て振り返ると点と点は線になり、線と線は面、最後に立体になる。そのためには中途半端に辞めずにやり遂げてから次のステップに進みたい。


 どちらの選択肢とて不変であることは、好奇心をもってやり遂げることができ、一生涯勉強し続ける覚悟をもち行動することである。すべてのことを中途半端で逃げださずに、他人ではなく理想の自分と比較し改善する。後悔しないように精一杯考えたあと、この続きをうきうき気分で書き上げたいなと思う。

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