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Andrew Kovacs Studio: week_3

Andrew Kovacs Studio、3週目について。

前回の課題は、前々回に選んだ敷地3つの模型と、公共空間の事例のエッセンスを抽出して敷地に適用して模型を作るというもの。模型を作る際には、集めたものを利用して自由に形を作る。

そのプレゼンの前にゲストレクチャーがあり、Alex Braidwoodというクリエイティブディレクター・アーティストの方がレクチャーをしてくれた。この人はグラフィックデザインを学んだ後、サウンドアーティストをやっている(?)という少しトリッキーな感じの人のよう。アイオワ大学の准教授でHCI (Human Computer Interaction)もやっているという、東大の情報学環みたいなデザイナー。
今回のKovacs Studioのテーマの一つに"scale and sound"ということが書かれている。Very Big Artを考える際に、当然スケールの問題が考えられるが、模型や構造物と異なり、音は簡単にスケールアップができない。音を考えることはスケール、Very Big Artのコンセプトや体験のヒントになるのではないかということである。

前回はこちら。

01. Sonification

Alexはサウンドアーティストとしていくつもの作品を作ってきたが、特に"sonification"という考え方が特徴的だと思う。彼の言うsonificationとは、データビジュアライゼーションの音バージョン、つまりデータを集め視覚化するのではなく、聴覚化するということである。データを音にすることでそのデータへのアクセスをより体験的にできるということである。そもそも、Alexはグラフィックデザイナーでもあるので、データの視覚化も得意であろうが、聴覚化することで、様々な人が様々な方法でデータにアクセスできるようになるということだった。

例えば、彼の作品の一つのNoisolation Headphonesは、周辺の雑音を合成されたり、内蔵されたバルブによって一部の音が調整されるなどして異なる聴覚体験をもたらすものである。普段は意識しない雑音も環境であり、しかも視覚よりも制御されにくい環境であることに意識が向けられる。周囲の雑音をより分かりやすい音の形に情報化しているとも言える。また、sonificationであると同時に、デバイスが角のような分かりやすく面白い形であるところも演出的だと思った。

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fig. 1 Noisolation Headphones

Water Quality Xylophone(xlylophone: 木琴、知らなかった……)という作品では、水質によって長さが決定されたパイプが、その長さに応じて異なる高さの音を生み出すというものである。単純に、水質のデータがパイプの長さへと視覚化されると同時に、音の高さへと聴覚化された作品である。
それと同時に、水質の塩化物など化学物質の許容量がそのパイプに記されており、その許容値をどれくらい超えているのかが分かるようになっている。

データは視覚化されている方が分かりやすいように感じるが、このような形で、しかも音が鳴ることで、人々がこの装置に興味を持ち、音を鳴らすという行為で参加できることが重要ではないか。視覚情報は受動的だが、音を鳴らす行為は受動的で同時に能動的である。視覚的にインタラクティブな展示なども多く存在するが、なんとなく聴覚的なものの方が身体的で、体験として記憶に残る気がする。

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fig. 2 Water Quality Xylophone

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fig. 3 塩化物の許容量が示されている

他にも、街中に太陽光電池で動くレコーダーを設置し音を集めたり、ブイで池の中の音を集めたりして、それらの音をリミックスしてそのデータ、環境を音で表現している。装置やロゴ、標識などがそれぞれおしゃれなのが良い。音を音だけで表現するのはやはりすぐに伝わらないように思うので、分かりやすさを意識しているように感じた。

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fig. 4 Listen Right Here

これらのプロジェクトを見て、音に関する表現はデバイスと技術をある程度必要とするから視覚に比べて普及しにくいように感じた。しかし、代替しにくい分、体験として強く、それこそ建築や都市の空間に近いのではないか。
以前に読んだノートで、落水荘は滝の音が非常に印象的であるとのことだったが、周囲の環境や生活音の反響などが、図面や写真に反映されないところであると思う。簡単には拾いにくい情報であるからこそ、設計の際には経験頼りになってしまったり、技術が必要になったりするのだろう。

また、以前の大学院の授業で、建築情報学特論という授業を受けたのを思い出した。北海道の大樹町というところでフィールドワークを行い、設計に必要なあらゆる「情報」を集めるというものだった。実際に北海道に行き、基本的には写真と動画で(他の年にはそれこそマイクとレコーダー、簡単な集音装置などで)自分が感じた情報を集めた。空間や場所の読み方が、特に北海道の自然の中であると視覚以外の方法でも有効で、情報が豊かに感じられるように思った。

自分は敷地を都市部に選んでいるが、都心での音に果たしてどのような魅力を見出せるのだろう……?

02. Participation in the city

レクチャーの後は前回課題のレビュー。模型の作り方に関して"freestyle model"という言葉も出てきたように、人によって全然違う絵が出てきていた。しかし、自分もそうであるが、素材になるオブジェクトを集めるのにみんな苦労していた印象がある。模型写真を中心にプレゼンできている人が少なかった。

3つの敷地についてそれぞれ模型を作る前に、これもAndrewのやり方にのっとり、まず集めたオブジェクトをアーカイブすることにした。とりあえず何か組み合わせられないかとガチャガチャして、勢いで少し加工してしまったので、全てのものを写真に残すことはできなかったが……。これらのものは秋葉原と渋谷で買った。幾何学的な形のもの(四角い、丸いとか)が思ったより少なく、あまり買うことができなかった。電子部品が使いやすそう(?)な形のものが多かったが、おもちゃと比べて非常に小さい。

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fig. 5 収集したオブジェクト

まず秋葉原から作った。ファサードを印刷して貼れば周辺は雰囲気が出る、と作り方に迷わなかったからだ。しかし、Very Big Artがやはり自由過ぎて難しい。秋葉原の人々は自分の世界を持っている人が多いので、オブジェクトそれ自体が居場所となるように、道路に沿ってオブジェクトを配置した。
作っていて気付いたのは、歩行者天国はどこも広く、模型を作ろうとすると1:200くらいでないと大きすぎること。今回はすべて1:200で作ったが、そうすると今度は人が小さくスケールがつかみにくい。また、集めたオブジェクトも1:200と決まってしまう。

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fig. 6,7 秋葉原の模型

先に撮影の話をしてしまうと、日本は当然毎日晴れている訳ではないので、模型製作も少し早めにしないといけなかったので面倒だった。しかし、それを差し置いても、やはり太陽光の下での模型写真は映える。

次に渋谷。周辺を作るのが面倒だった。そして渋谷の歩行者天国は秋葉原、銀座と違って直線的でなく、スクランブル交差点を中心に5本の道が伸びる形になっている。すり鉢状の地形もあって、中心性があるが、それにしては大きすぎると思ったので、小さな求心性のある場を生むように屋根をかけたり、シンボルになりそうなものを配置したりした。あとは様々な方向に進む人々の流れがさらにカオスになるように、細い柱を立てた。

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fig. 8 渋谷の模型、全体像

集めたものでコンセプト模型を作ると、模型写真がほぼそのままドローイングのようになり、雰囲気や世界観が分かりやすいと実感した。平面、立面っぽく写真を撮っても面白い。

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fig. 9,10,11 渋谷の模型

最後に作った銀座の模型だが、銀座のファサードを作るのは大変なので、スチボに銀紙と塩ビを張ってGINZA6ということにした。他のビルも塩ビを張っただけ。非常にお粗末に作ってしまったが、銀紙の反射がいい感じで、水中にいるような幻想的な感じになった。張りぼてなんだけど……。

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fig. 12,13 銀座の模型

発表の際に、模型のスケールと大きさ、Very Big Artの大きさの話をしたところ、銀座が一番建築とアートの境界に近づいているのではないかという指摘をもらった。また、やはり銀座はファサードがアイコニックで、それもVery Big Artとの接続になるのではないかとのこと。

加えてこれはたまたまだけど、オブジェクトの大きさと生み出している空間が建築とアートの間になっているような気がするとのことだった。例えば植木鉢のおもちゃ(?)のような箱が、機能もなければ完全に閉じてもいない空間を作っているが、そこには人の行動を促す可能性がある、そのような場が生まれている(fig. 14 右上)。

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fig. 14,15 銀座の模型

また、オブジェクトがVery Big Artというには少し小さいかもしれないという話になった。そもそもここでいうBignessとは何か、彫刻やアートと建築を分けるものは何かということでもあるかもしれない。しかし、オブジェクトが点在し、その周辺の文脈との関わりや都市の質、特性は都市スケールであり、建築に足る十分な大きさを有しているかもしれないと言われた。

Private Artは周辺との関わりが存在せず、Public Artはそれがあると言えるのかもしれない。銀座のファサードはそれぞれのブランドが保有しており、Public Artと言うには難しい気もする。引いて見れば銀座の通りは、ブランド品が並んでいるショーケースで、美術館のようで、それらはPrivate Artとして存在しているように見える。

そして、自分がキーワードの一つとして思ったのは、Andrewの言った、"Participation in the city"である。Very Big Artによって、人々がその街に参加している感覚を得られるということが目標になるのかもしれない。きらびやかなファサードと閉じられた内部に対して、それを外部に開く必要はなくとも、新しい関係性を生み出すファサードやオブジェクト、アートができればいいと思う。


次回はGWでエスキスは休み。今のうちにJames Winesを読み切りたい……!

次回はこちら。


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