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【考察】親ガチャに失敗したのは、、、どっちだ?(※ネタバレあり)【親ガチャの真実 PART3】

▼YouTubeでも公開中


◆親ガチャの真実 PART3


◇紹介書籍

こんばんは、Kazukiです!
本日もさっそく投稿の内容に入っていきましょう!
今週紹介していく書籍たちはコチラになります!

2023年12月13日にKADOKAWAさんから発行されました、
湊かなえ(みなと・かなえ)先生の『人間標本』と、

2023年12月20日に新潮社さんから発行されました、
戸谷洋志(とや・ひろし)先生の『親ガチャの哲学』になります!
本日はこの二冊を用いて、ある考察を行なっていきます!

◇紹介書籍概要

また今回の紹介書籍たちの概要につきましては、
いつもと同じように下記に詳細を載せておきますので、
もし紹介書籍たちの概要が気になった方がいましたら、
そちらの方たちはぜひ下記をご覧いただければと思います。

タイトル 『人間標本』
著者 湊かなえ(みなと・かなえ)
価格 1,870円税込
発行日 2023年12月13日 初版発行
発行者 山下直久
発行所 株式会社KADOKAWA
印刷所 旭印刷株式会社
製本所 本間製本株式会社

『人間標本』奥付及び裏表紙から引用

タイトル 『親ガチャの哲学』
著者 戸谷洋志(とや・ひろし)
価格 880円税込
発行日 2023年12月20日 発行
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
装幀 新潮社装幀室
印刷所 錦明印刷株式会社
製本所 錦明印刷株式会社

『親ガチャの哲学』奥付及び裏表紙から引用

◇紹介書籍選出理由

そして今週の投稿に、
本作『人間標本』と『親ガチャの哲学』のこの2冊を選んだ理由になりますが、
そちらにつきましてはパート1の投稿で簡単にですが解説しておりますので、
もし詳しく知りたいという方がいましたらぜひパート1の投稿をご覧ください。

◇投稿内容とその目的

そして、今週の投稿の内容につきましては、


前々回のパート1で『人間標本』の内容を完全要約していきまして、
また、前回のパート2で『親ガチャの哲学』の内容を徹底解説していきまして、
そして、今回のパート3でこの2冊を用いたある考察を行なっていきます。


なので、
今週のこの【親ガチャの真実】のシリーズの投稿を、
パート1からパート3まで全部ご覧いただいた暁には、


イヤミス女王が放つデビュー15周年集大成のイヤミス作品を堪能できて、
また、気鋭の哲学者が放つ「親ガチャ」の取扱説明を学ぶことができて、
そして、本作『人間標本』を通して「親ガチャ」の真実を明らかにできる!


という、そんなシリーズの投稿になっていれば幸いだと思っております。

それでは一緒に、
弱った若者の心を掴んで離さない「親ガチャ」という哲学を、
人間を標本にする衝撃のイヤミスで読み解く読書の旅に出かけましょう!

◇今回の考察

それではさっそく今回の投稿の内容に入っていきますが、
今週紹介してきました『人間標本』と『親ガチャの哲学』の、
この二冊を読んで私が読者の皆さんにお届けしようと思った考察、、、

それがこちらになります!


本作『人間標本』に登場する対照的な二人の子どもである、
母に利用された一之瀬杏奈と父に殺された榊至の二人では、
どちらが親ガチャに失敗したと言えるのだろうか?


今週の火曜日にYouTubeおよびnote上で要約をしてきました、
湊かなえ先生の『人間標本』という小説からは、
ある一人の男性が息子の罪を庇うために記した手記「人間標本」から、
まさかまさかの最後に絶望的な真実が明らかになるという、
イヤミス女王の湊先生が自分で「最高傑作」と豪語するイヤミスを堪能できて、

また、今週の木曜日にYouTubeおよびnote上で解説をしてきました、
戸谷洋志先生の『親ガチャの哲学』という新書からは、
現代の弱った若者の心を掴んで離さない「親ガチャ」の定義や、
その親ガチャによって生み出される「親ガチャ的厭世観」が、
どのようにして若者を破滅へと導くのかを理解できたかと思います。

そして、この二冊を読んだ私は、
先にも述べたこの考察ですが、、、


本作『人間標本』に登場する対照的な二人の子どもである、
母に利用された一之瀬杏奈と父に殺された榊至の二人では、
どちらが親ガチャに失敗したと言えるのだろうか?


という考察ができるのではないかと思い付いたわけなんですね。

なので、今回のこのパート3の投稿では、
その考察の答えとその理由というのを、
読者の皆さんにお届けできればと思っております!

ただし、この答えと理由を知ってしまったら、
非常に残酷な親ガチャの真実を目の当たりにするかもしれませんが、
その点は本当に自己責任でお願いしますね、、、!

◇考察に重要な指針は「親ガチャ的厭世観」

それではようやく今回の考察の内容に入っていきますが、
今回のこの考察を進めていくのにあたって、
非常に重要な指針となってくるある価値観というものがありまして、

それが、、、

本作『親ガチャの哲学』のなかで戸谷先生が解説されている、

この「親ガチャ的厭世観」という価値観になります。

とは言っても、
ではなぜこの「親ガチャ的厭世観」という価値観が、
この考察を進めていくのにあたって重要なのかは、
この投稿をご覧いただいている読者の皆様からしたら、
疑問に感じるところかと思いますので、
少し詳しく解説していきます。

なのでまず最初は、
この「親ガチャ的厭世観」という価値観が、
どのような価値観なのかを解説していきたいところ、

なのですが、、、

そもそもこの「親ガチャ的厭世観」を理解するにあたって、
この「親ガチャ的厭世観」という言葉の中に含まれている、
この「親ガチャ」への理解が不十分だと先へは進めませんので、
先にこの「親ガチャ」という言葉への理解を深めていきましょう。

この「親ガチャ」という言葉について、
本作『親ガチャの哲学』の筆者である戸谷先生は、
本作の内容をまとめると、
大まかに次の4つの定義を挙げられておりまして、
それがこちらになります。

  1. どの家庭に生まれてくるかは運任せ

  2. その運によって人生が左右される

  3. 運によって決められた家庭の条件を、その後の人生で変えることができない

  4. 親ガチャは、多くの場合、それに「外れた」と思っている側から語られる

なので、例えば、
裕福で愛情をたくさん注いでくれる家庭に生まれた子どもは、
親ガチャに「当たった」ということになりまして、

さらには、そのような子どもの人生というのは、
その家庭の資金力や親の愛情によって、
努力すればするほど報われることが多いため、

基本的にそのようなその子どもというのは、
「自分は親ガチャに当たったから幸せを掴み取れた」
とは考えず、
「自分は努力をしたから幸せを掴み取れた」
と考えます。

したがって、そもそも親ガチャ云々などとは考えないわけなのです。

しかし、一方で、
貧乏で虐待をするような家庭の元に生まれた子どもは、
親ガチャに「外れた」ということになりまして、

さらには、そのような子どもの人生というのは、
その家庭が貧乏な故に、また、虐待をされるが故に、
努力をしても報われないことが多いため、

「自分がこんなにも不幸なのは全部親ガチャに外れたせいだ」と考えます。

これが親ガチャの定義とそのメカニズムになります。

そうして、その後者の親ガチャに外れた子どもたちが先のように、
「自分がこんなにも不幸なのは全部親ガチャに外れたせいだ」と考えて、
その結果、この世界を忌み嫌う価値観というのを、
本作の中で戸谷先生は「親ガチャ的厭世観」と解説しているのです。

そして、ここまで解説をしてくれば、
なぜこの「親ガチャ的厭世観」という価値観が、
この考察を進めていくのにあたって重要なのかという疑問について、
理解できる方がいらっしゃるかと思いますが、

それは、、、

この「親ガチャ的厭世観」を抱いているということは、
それはつまり、親ガチャにハズれたことを意味しており、

本作『人間標本』の中で、
父に殺された榊至と母に利用された一之瀬杏奈の、
それぞれのその心情や様子を描写する中で、
この「親ガチャ的厭世観」を抱いている描写があれば、、、

その描写の中心人物こそが親ガチャに失敗した人物だ、

ということが言えるからなのです。

だからこそ、今回の考察においては、
この「親ガチャ的厭世観」という価値観が、
とても重要な指針になるわけなのです。

◇親ガチャに失敗したのは、、、どっちだ?

では、これで親ガチャに失敗した人物を見極める指針というのを、
皆様にもご理解いただけたかと思いますので、
ここからは本作『人間標本』を実際に覗いていきながら、

父に殺された榊至(さかき・いたる)と、
母に利用された一之瀬杏奈(いちのせ・あんな)の、
どちらが親ガチャに失敗したのかを考察していこうと思います。

なお、ここから先の内容というのは、
読者の皆様がすでに本作『人間標本』を読んだ上で、
ご覧いただいているものだと思って考察を進めていきますので、

ネタバレはもちろんですし、
場合によっては本作を読んでいないと、
話についていけない場合もあるかと思いますが、

その点はあらかじめご了承ください。

それではようやく本作『人間標本』の内容に入っていきますが、
まず最初は、本作『人間標本』の中で、
父に殺されることになってしまった息子の榊至の描写について、
注目していこうと思います。

本作『人間標本』の中で榊至という人物は、
ここまで何度も登場しているこの一之瀬杏奈が、
その母親の一之瀬留美(いちのせ・るみ)に利用されて、
少年たちの身体を用いた「人間標本」を制作している際に、

偶然その場に居合わせてしまい、

その結果、一之瀬杏奈の境遇に同情した榊至は、
彼女の作業を手伝い、また、彼女を庇うために、
自分が人間標本を制作した首謀者だという手記を残します。

さらには、自身の父親である榊史朗(さかき・しろう)に、
自分を殺させるように画策して、
結果、榊史朗は息子の計画のとおりに息子を殺して、

榊至自身も「人間標本」へとその姿形を変えていきます。

こうして、この榊至の本作『人間標本』における、
その立ち居振る舞いを振り返ってみると、

なんと言っても父親の手によって殺されているので、、、

「親ガチャ」という観点からこの榊至を眺めてしまうと、

完全に失敗してるだろ、、、

と思ってしまいますし、
この思いに皆様も異論はないかと思います。

、、、が、しかし、、、

本作『人間標本』の最後の章である「解析結果」では、
榊至のものと思われるある文章が最後に登場して、
この物語は幕を閉じるのですが、
それがこちらになります。

 斧を振り下ろした瞬間、僕は人ではなくなった。
 その罪は、父の愛。世の中がそう許してくれることを願って。
 お父さん、僕を標本にしてください。

『人間標本』p277から引用

これをご覧になって、
読者の皆様は単純にどう思われますか?

なかなか難しい文章でして、
私自身も解読するのにかなり苦労を要しましたが、

私はこの文章を書いた榊至は、、、

父が心の底から自分を愛していることを、
自覚していたのではないのか?と思っています。

というのも、
先の引用中の文章を前・中・後で三分割した場合、

前が「斧を振り下ろした瞬間、僕は人ではなくなった。」で、
中が「その罪は、父の愛。世の中がそう許してくれることを願って。」で、
後が「お父さん、僕を標本にしてください。」になるかと思いますが、

前の内容が、
榊至が人間標本の制作に加担をした罪を告白しているのであれば、
後の内容は、
その罪を償うための刑罰を求めていると捉えることができるかと思います。

そして、ここからが重要なのですが、、、

それらの文の間に挟まれている中の内容というのは、
一見しただけでは意味の掴み所がない内容になっているんですが、

ただ、この文にある言葉を補いますと、、、

明らかに前後の文を繋ぐ意味の文になるのです。

それが、、、

「その罪は、父の愛がなんとかしてくれるだろう
 そして、世の中がそうした父の行いを許してくれることを願って。」

そう補うと、先の引用中の文の意味というのは、

すなわち、、、

榊至は自分が父から愛されていることを知っていたからこそ、
こんな罪を犯してしまった自分を殺してくださいと父に甘えた、

という榊至の心情というのが読み取れるわけなのです。

だからこそ、榊至自身は、
親ガチャに失敗したなどとは到底思っておらず

むしろ、
親ガチャに大成功していたことを自覚していたことが、
先の引用中からは読み取ることができるのです。

なので、この榊至の描写からは、
親ガチャに失敗した人間特有の「親ガチャ的厭世観」は、
確認できないことが少なくともこれで判明します。

では、榊至が親ガチャに失敗していないのだとすると、
もう一人の注目すべき人物である一之瀬杏奈はどうでしょうか。

こちらも、先ほどの榊至が殺される経緯の中でも少し触れたように、
母親に、少年たちを殺してその遺体で「人間標本」を作れ、
と命じられているので、こちらも一見しただけでは、

完全に親ガチャに失敗していることが伺えます。

さらには、物語の終盤の章である「面会室にて」では、
死刑判決の決まった榊史朗の元にこの一之瀬杏奈が訪れてきて、
この「人間標本」を巡る全ての真相を明らかにするのですが、

その時に一之瀬杏奈は、
母親である一之瀬留美との最後の会話の内容を榊史朗に打ち明けまして、
それがこちらになります。

標本を作ったことに対しては、ありがとう、と言ってくれたけど、あなたに直接見せていないことを伝えると、役立たず、やっぱり失敗作だった、って。それが私への最後の言葉でした。

『人間標本』p266から引用

つまり、一之瀬杏奈が母親である一之瀬留美と交わした最後の言葉というのは、

「役立たず、やっぱり失敗作だった」なのです。

この言葉を親から投げかけられて、
絶望しないなんていう子どもがこの世に存在するのでしょうか。

一之瀬杏奈は母親の一之瀬留美からの命令で、
少年たちを全員で五人殺して
ある少年の遺体は胴から下を切り落として飾り付けて
ある少年の遺体は首を百八十度回転させて飾り付けて
そのようにして、人間の標本を全部で五体完成させます。

これだけでも普通の人間なら常軌を逸しそうですが、
一之瀬杏奈からすれば、愛する母親からの命令なので、

「これを成し遂げれば母親に認められるかもしれない」

という希望がどこかにあったのかもしれません。

しかし、その大作業を全て終えた娘に放った一之瀬留美の言葉というのは、、、

「役立たず、やっぱり失敗作だった」なのです。

残念ながら、この一之瀬杏奈は、
本作『人間標本』の中で、標本制作の代償なのか、
感情を表に出すことができなくなっている描写というのが目立ちます。

そのため、親ガチャを失敗した人間が抱く、
「親ガチャ的厭世観」を確認できる描写というのが、
存在しないのですが、、、

本作『人間標本』をどこからどう見ても、
一之瀬杏奈がこの「親ガチャ的厭世観」を抱いていても、
全くおかしくはなく、

それはすなわち、、、

「一之瀬杏奈の方が親ガチャに失敗した」

と結論付けることができるのではないかということです。

◆おわりに


いかがでしたかね!

今回のこのパート3の投稿では、
2023年12月13日にKADOKAWAさんから発行されました、
湊かなえ先生の『人間標本』と、
2023年12月20日に新潮社さんから発行されました、
戸谷洋志先生の『親ガチャの哲学』の内容を参照して、

本作『人間標本』に登場する対照的な二人の子どもである、
母に利用された一之瀬杏奈と父に殺された榊至の二人では、
どちらが親ガチャに失敗したと言えるのだろうか?
について考察してきました!

個人的に今回の考察は、
かなり本作『人間標本』を読み込んだ上での考察になるので、
とても自信のある考察になったかと自負していますし、

特に、榊至が残した最後の章における、
あの文章にオリジナルで言葉を追加した作業なんかは、
まさしく、現代の若者が苦手とする、

「行間を読む」作業というのを、
お見せすることができたのではないかと思っております。

また、今週お届けしてきました、
この湊かなえ(みなと・かなえ)先生の『人間標本』と、
戸谷洋志(とや・ひろし)先生の『親ガチャの哲学』につきましては、

それぞれ投稿内で紹介しきれていない内容が数多く残っていますので、
もし今週の投稿をご覧いただき、実際に読んでみたいと感じた方がいましたら、
ぜひ下記のAmazonのリンクからご購入して、ご一読いただければと思います。

そうしてその時にはやっぱり、
一之瀬杏奈は親ガチャに失敗したのだ、、、
と再認識してしまうかもしれませんし、
また違う解釈を見出すことができるかもしれませんが、
それは皆さん次第です。

ご健闘を祈ります。

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どちらもお忘れなきようこれからも応援してくれるととても嬉しいです!

それでは、また次回の投稿でお会いしましょう!またね!

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