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【考察】戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである(※ネタバレあり)【同調圧力の悪魔 PART3】

▼YouTubeでも公開中


◆同調圧力の悪魔 PART3


◇紹介書籍

おはようございます、Kazukiです!
それでは本日もさっそく投稿の内容に入っていきましょう。
今週紹介していく書籍たちはコチラになります。

2023年7月15日にSBクリエイティブさんから発行されました、
山崎雅弘(やまざき・まさひろ)先生の『この国の同調圧力』と、

2023年10月25日に早川書房さんから発行されました、
逢坂冬馬(あいさか・とうま)先生の『歌われなかった海賊へ』になります!
本日はこの二冊を用いてある考察を行なっていきます!

◇紹介書籍概要

また今回の紹介書籍たちの概要につきましては、
いつもと同じように下記に詳細を載せておくので、
もし紹介書籍たちについて気になった方がいましたら、
そちらの方はぜひ下記をご覧いただければと思います。

SB新書 624
タイトル 『この国の同調圧力』
著者 山崎雅弘(やまざき・まさひろ)
価格 990円税込
発行日 2023年7月15日 初版第1刷発行
発行者 小川淳
発行所 SBクリエイティブ株式会社
装丁 杉山健太郎
本文デザイン 杉山健太郎
図版デザイン・DTP 株式会社ローヤル企画
印刷・製本 大日本印刷株式会社

『この国の同調圧力』奥付及び裏表紙から引用

タイトル 『歌われなかった海賊へ』
著者 逢坂冬馬(あいさか・とうま)
価格 2,090円税込
印刷日 2023年10月20日 印刷
発行日 2023年10月25日 発行
発行者 早川浩
発行所 株式会社早川書房
印刷・製本 三松堂株式会社

『歌われなかった海賊へ』奥付及び裏表紙から引用

◇紹介書籍選出理由

そして今週の投稿に、
本作『この国の同調圧力』と『歌われなかった海賊へ』、
この二冊を選んだ理由になりますが、
そちらにつきましてはパート1の投稿で簡単にですが解説しておりますので、
もし詳しく知りたいという方がいましたらぜひパート1の投稿をご覧ください。

◇投稿内容とその目的

そして、今週の投稿の内容につきましては、


前々回のパート1で『この国の同調圧力』の内容を解説していきまして、
前回のパート2で『歌われなかった海賊へ』の内容を要約していきまして、
今回のパート3でこの二冊を用いたある考察を行なっていきます。


なので、
今週のこの【同調圧力の悪魔】のシリーズの投稿を、
パート1からパート3まで、全部ご覧いただいた暁には、


社会に蔓延る「同調圧力」のメカニズムと解決策を理解できて、
また、ナチス・ドイツに真っ向から抵抗した少年少女たちの物語を堪能できて、
そして、戦時下における本当の悪魔の正体を知ることができる!


という、そんなシリーズの投稿になっていれば幸いだと思っております。

ぜひ一緒に、今もなお社会に蔓延る同調圧力に、
屈することなく自由を掴み取るための読書の旅へ出かけましょう!

◇戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである

それでは今週の投稿の内容に入っていきますが、
今週紹介した本作『この国の同調圧力』と、
『歌われなかった海賊へ』の二冊を読んで、
私が読者の皆さんにお届けしようと思った考察、
それがコチラになります!


戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである


今週の月曜日にYouTube上で、また火曜日にはnote上で解説した、
山崎雅弘先生の『この国の同調圧力』という書籍からは、
同調圧力のメカニズムとその解決策について解説してきまして、
今なお社会に根強く同調圧力が蔓延っている日本に暮らす読者の皆様には、
それはそれはとても共感していただける内容になっているかと思いますし、

さらに今週の木曜日にはYouTube上で、また同日にnote上で要約した、
逢坂冬馬先生の『歌われなかった海賊へ』という小説からは、
今から約八十年前にドイツ国内で本当に起こっていたのかもしれない、
ナチズムに反抗をした少年少女たちの涙なしでは語れない青春歴史物語を、
堪能できる内容になっていたかと思います。

そして、この二冊を読んだ私は、先にも述べたこの考察ですが、


戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである


という考察ができるのではないかと思い付いたわけなんですね。

なので、今回の投稿では、
その理由というのを皆さんにお届けしていこうと思います!

ただ、この理由を知ってしまったら、
皆さんの子どもに対する見方が変わってしまうかもしれませんが、
そこは本当に自己責任でお願いします…!

◇『この国の同調圧力』から読み解ける「下からの同調圧力」

それではまず最初は、
山崎雅弘先生の『この国の同調圧力』を用いまして、
先の考察、


戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである


を思いつくに至った理由について、
とりわけ論理的な観点に立って解説していこうと思います。

ただその前に、まず最初は基本の「キ」ということで、
「同調圧力とはそもそもどのようなものなのか?」という点について、
本作『この国の同調圧力』の言葉をお借りして解説していきます。

恐らく、この投稿をご覧いただいているほとんどの方が、
なんとなく「こういうものかなぁ?」と把握されているかとは思いますが、
一応念のため「こういうものなのだ」という共通認識を持つために、
本作で解説されている同調圧力について目を通しておきましょう。

本作『この国の同調圧力』の、
その「はじめに」で解説されている同調圧力、
それがコチラになります。

 なんとなく反論しづらい「大義名分」と共に、人の心と身体に静かにまとわりつき、思考や行動の自由を少しずつ奪い、やがて集団全体の一部へと取り込んでしまう同調圧力。

『この国の同調圧力』p3から引用

なので、同調圧力というのを一言で言い表すのであれば、

「支配者からある目的を成し遂げるために被支配者にかけられる圧力」

とも言い表すことができるかと思います。

さらに、山崎先生が、
そのことを例を用いて的確に同調圧力を言い表している箇所というのが、
本作『この国の同調圧力』の中にありまして、それがコチラになります。

 ナチス・ドイツと同じ時代、つまり昭和期の大日本帝国時代の日本でも、明治期や大正期には限定的ながら社会に存在した、「個人」を尊重する価値観(たとえば自由民権運動)が一時的に失われ、国家全体や社会全体が共有する価値観や世界観、すなわち「天皇を中心とする国家体制への献身奉仕」という考え方に、国民全員が同調して従うことが強要されていました。

『この国の同調圧力』p71から引用

この引用中に先に紹介した同調圧力の一文を当てはめると、
「支配者」の箇所には「国家」が当てはまり、
また、「ある目的」の箇所には、
「天皇を中心とする国家体制への献身奉仕」が当てはまります。

さらにいえば、
「国家による天皇を中心とする体制への献身奉仕」という、
同調圧力の犠牲になった「被支配者」は「国民」だということも、
先の引用中からは読み解くことができるかと思います。

これが、
本作『この国の同調圧力』で解説されている、
同調圧力とその例になりまして、とりわけ、
「昭和期の大日本帝国時代の日本」という時期には、
この種の同調圧力というのがとても大きな力を持っていました。

そして、その「昭和期の大日本帝国時代の日本」という時期において、
同調圧力を生み出していたのは、先の引用からもわかるとおり「国家」でして、
その「国家」が「天皇を中心とする国家体制への献身奉仕」を良しとさせる、
同調圧力を生み出したせいで、第二次世界大戦期には、
若い青年たちが戦地に赴かなければならない徴兵令が出されたり、
また、「神風」といった身を賭す特攻攻撃を生んでしまったりしたわけで、

その当時の日本の「国家」が、
それら全ての元凶だということは疑いようのない事実です。
なので、絶対悪は「国家」です。

ただしかし、本作『この国の同調圧力』では、
それらの「国家」による上から押し付けられるような同調圧力の他に、
ある興味深い同調圧力というのが紹介されておりまして、

それが「下からの同調圧力」というものです。

そして、この「下からの同調圧力」における、
「下から」という役割を担う人物たちというのが、

この投稿の考察にも登場した「純真無垢な子ども」になります。

というのも、山崎先生が言うには、
昭和期の大日本帝国時代の日本は学校で子どもに、
お国に献身奉仕させるための「皇民化教育」というのを行なっており、

また、その結果、
大人が「下からの同調圧力」をかけられている様子というのを、
本作『この国の同調圧力』の中で次のように述べられています。

 昭和の大日本帝国の尋常小学校が、子どもたちの頭に刷り込んだのは、自分の存在価値は「天皇とそれに従う国家のためにどれほど尽くせるか」で決まるのだという、滅私奉公の政治思想でした。しかし、それは単に「大人が子どもに特定の価値観を植え付けた」という関係に留まりませんでした。
 大人が「純真」だと思う子どもは、そうした教えに何の疑問も抱かないばかりでなく、その「方向性」で自分の世界観を構築していきます。その構築の作業は、大人が教えた範囲を超えて自己増殖し、白か黒か、純白でないならグレーでも黒と見なす、という極端に不寛容な判別基準で物事を見ていくようになります。
 そうなると、天皇や国家への滅私奉公を子どもに教えた教師やそれ以外の大人たちが、プライベートな場所で気を緩めて、教育上の「建前」とは違う態度を取った時、それを目撃した「少国民」たちは、大人の「不心得」を許さず、容赦なく糾弾する側に回ります。
 自分のうかつな言動を「少国民」に見つかったら、より高い地位にある者に密告されるかもしれない。そんな恐怖が、やがて大人たちの心を締め付けていくようになります。

『この国の同調圧力』p90-91から引用

つまり、子どもはその純真さゆえに、
学校で先生が教えた「滅私奉公の政治思想」というのが、
自身のアイデンティティを形成する全てでして、
その結果、その思想から少しでも逸脱する事象があれば、
純真無垢な子どもそれを容赦なく糾弾するということなのです。

大人たちからしたら、
公的な空間では国家の「滅私奉公せよ」という同調圧力に対して、
従っているような素振りを見せて、
私的な空間ではそんな同調圧力を全く気にしないで寛ぐという、

いわば、本音と建前を使いこなしていました。

しかし、一方の子どもたちからしたら、
その本音と建前という分別は形成されていないので、
その大人の本音というのを、先の引用中の言い方をすれば、
「不心得」と捉えてしまい、見つかってしまったら最後、

容赦なく糾弾してきた、というわけなのです。

その際に大人たちは、
そのような糾弾してくる子どもに対して、
「国家」による上からの同調圧力ではなく、
下からの同調圧力を受けることになり、


それは正しく、
「国家」による上からの同調圧力を「表の悪魔」とするならば、
「純真無垢な子ども」による下からの同調圧力は「裏の悪魔」である


と捉えることができてしまうわけなのです。

◇『歌われなかった海賊へ』から読み解ける「下からの同調圧力」

続きましては、
逢坂冬馬先生の『歌われなかった海賊へ』を用いまして、
先の考察、


戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである


を見事に描き出しているその描写について解説していこうと思います。

ただその前に、
本作『歌われなかった海賊へ』の表層を簡単に理解するために、
その舞台設定とストーリーというのを簡単に申し上げますと、

舞台は1944年の夏のドイツでして、
ストーリーはエーデルヴァイス海賊団と名乗る少年少女たちが、
その頃のドイツ国内に蔓延っていたナチズムに反抗するという、
それはそれは涙無しでは語ることのできない素晴らしいストーリーです。

もしそれ以上に詳しく知りたいという方がいましたら、
下記に本書『歌われなかった海賊へ』の完全要約をした、
パート2のリンクを載せておきますので、そちらをご覧ください。

そして、今回の考察において、
この物語の中で私が一際注目した描写というのが、
物語の終盤で登場する描写で、

主人公のヴェルナーとその親友のフリーデが、
防空壕に避難している住民ら約百名の元へ行き、
間も無く処刑される親友のレオを助けてもらおうとする描写です。

この描写の後、結果的にヴェルナーやフリーデの必至の説得も虚しく、
防空壕に避難している住民は皆こぞって二人の協力を拒否してしまい、
町の警察署の前でレオは絞首台によって処刑されてしまいまして、

恐らく、この描写を目の当たりにしたほとんどの方は、

「その防空壕に避難している住民の人たちはなんて酷いんだ!」

と思われるかもしれませんし、
見方によってはヴェルナーとフリーデは、
その市民たちの同調圧力に負けてしまった、
と見ることができるかと思います。

私自身も本作『歌われなかった海賊へ』を読んでいて、
そのような気持ちや見方を心の中で抱いておりましたし。

しかし、少し考えてもみてほしいんですが、
この時に防空壕に避難している住民の方々が抱いていた、
切実な願いというのは、

「助かりたい」

という、戦時下であれば誰もが否定しないような、
そんな普遍的で至極真っ当な願いというのを抱いています。

だからこそ、ヴェルナーやフリーデの二人が叫ぶ、
嘘か誠かよくわからないその助けを求める声よりも、
自身の心の中を埋め尽くす「助かりたい」という声に従うのは、
とても当たり前な生物としての本能であり、
また人間としての本能なのだと思います。

けれど、ヴェルナーやフリーデたちは、
ナチズムに抗っている自分たちの方が人間として正しく、
また、ナチズムに抗えない人たちは勇気のない人として、
「ナチズムに抗う自分たち」と「ナチズムに従うその他大勢」というふうに、
あたかも「自分たちの方が絶対に正しいんだ!」と、
思い込んでいる描写というのが度々登場しています。

なので、先の助けを呼びかけた時に、
住民たちから猛反発を喰らってしまったヴェルナーは、

 無数の罵声が二人に浴びせられた。それを叫ぶ人々は、皆同じ顔に見えた。群衆という集団性の中に個々人の顔は隠れ、同時に人間性もまた埋没したように見て取れた。
 ここにいるのは、良心を持った個人の集まりではない。

『歌われなかった海賊へ』p317から引用

というように、
その住民一同の人間性を非難し、
さらには、彼ら彼女らに良心はないと、
断言するような理解を抱いていますが、

一方の住民側からしたら、
その良心の呵責に駆られている、
純真無垢すぎるヴェルナーたちの方が、

自分たちの平穏を危険に晒す、
悪魔のように見えていたのかもしれないということです。

もちろん、先にも述べたように、
絶対悪というのは、滅私奉公やナチズムなどを生み出している国家であり、
また、それに従っていた大人というのも、幾許かの罪はあるのかもしれません。
現に今もなお、ナチス時代の罪で裁かれるナチ党員とかいますからね。

ただし、その方たちというのも、私たちと何ら変わらない人間です。

なのであれば、生き残るための本能というのが備わっており、
そのために「国家」による同調圧力に屈することだって、
なんら不思議ではありません。誰だって死にたくないですからね。

そうして、心の中ではよくないことだと知りつつも、
「生き抜くためには仕方がない…」と納得させた心に対して、
「良心を持った個人の集まりではない」とその人間性を非難され、
正しさだけの同調圧力を振りかざすような子どもがいれば、

そのような子どもこそ、彼ら大人からしたら、
本当の悪魔のように見えたのではないのかと思います。

こうして、今回の投稿の考察である、


戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである


という考察が成り立つに至るわけなのです。

さぁ全ての子どもを愛する大人の皆様、
これが一つの現実かもしれませんよ。

◆おわりに


いかがでしたかね!

今回のこのパート3の投稿では、
2023年7月15日にSBクリエイティブさんから発行されました、
山崎雅弘(やまざき・まさひろ)先生の『この国の同調圧力』と、
2023年10月25日に早川書房さんから発行されました、
逢坂冬馬(あいさか・とうま)先生の『歌われなかった海賊へ』を用いて、

戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもである、
という考察をお届けしてきました!

こんな考察をしておいてなんですが、
私自身、子どもはとっても大好きですし、
子どもが持つ純真無垢さというのには、
時に救われることだってあります。

しかし、先にも述べたように、
その純真無垢さというのが、戦時下においては同調圧力を増長させる、
または、本音と建前を理解できない狂気として働いてしまうということは、
疑いようのない事実かと思います。恐ろしいことに。

また、今週お届けしてきました、
山崎雅弘先生の『この国の同調圧力』と、
逢坂冬馬先生の『歌われなかった海賊へ』につきましては、
それぞれ投稿で紹介しきれていないコンテンツが数多く残っていますので、
もし今週の投稿をご覧いただき読んでみたいと感じた方がいましたら、
ぜひ下記のAmazonのリンクからご購入してご一読いただければと思います。

そうしてその時にはやっぱり、
戦時下における裏の悪魔は純真無垢な子どもなのだと、
再認識してしまうかもしれませんし、
また違う希望を見出すことができるかもしれませんが、
それは皆さん次第です。

ご健闘を祈ります。

では、この投稿が面白いと感じた方は「スキ」。
また、次回の投稿も見逃さないように「フォロー」。
どちらもお忘れなきようこれからも応援してくれるととても嬉しいです。

それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。またね👋

◇紹介書籍リンク

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