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【ミリオンヒット】マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』第一章〜第五章を徹底解説【PART4】

▼5/14(火)20時にYouTubeでプレミア公開


◆本当の正義のお話 PART4


◇紹介書籍


こんばんは!Kazukiです!
それでは今週もさっそく投稿の内容に入っていきましょう!
今週紹介していく書籍はコチラになります!


2011年11月25日に早川書房さんから発行されました、
マイケル・サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』になります!
本作は今年読んだ書籍の中でもいっちばん頭を使う難読書でした!


、、、非常に疲れた!笑


◇紹介書籍概要


また今週の紹介書籍の概要につきましては、
いつもと同じように下記の方に詳細は載せておきますので、
もし紹介書籍の概要が気になった方がいましたら、
そちらの方たちはぜひ下記の方をご覧いただければと思います!

タイトル 『これからの「正義」の話をしよう』
著者 マイケル・サンデル
価格 990円税込
発行日 2011年11月25日発行
訳者 鬼澤忍(おにさわ・しのぶ)
発行者 早川浩
発行所 株式会社早川書房
印刷 精文堂印刷株式会社
製本 株式会社フォーネット社

『これからの「正義」の話をしよう』奥付およびカバー裏


◇紹介書籍選出理由


そして、今週の投稿に、

マイケル・サンデル氏の
『これからの「正義」の話をしよう』を選んだ理由になりますが、

それがコチラになります!



先月投稿した中村啓先生の『無限の正義』における難題、

「法律を守る?家族を守る?」を、

世界的ベストセラーであるマイケル・サンデル氏の著作、
『これからの「正義」の話をしよう』を用いて読み解いたら、

なにか面白い結論が飛び出すのではないか……?



と思ったからになるんですね!
そうです、最初はこのシリーズ、
希望的観測の見切り発車でスタートしています。


本作『これからの「正義」の話をしよう』は、
現在も世界の名門校であるハーバード大学で教鞭を振るっている、
哲学者・政治哲学者・倫理学者であるマイケル・サンデル氏が、

そのハーバード大学内で実際に行っていた「JUSTICE」という講義を、
建学以来、始めてテレビ番組として一般公開をしたのちに書籍化されたという、


なんだかよくわからないが凄そう……


という感想がピッタリの書籍でして、

しかも本作、
日本ではすでに累計100万部を達成していると、
通販サイト「Amazon」の概要欄には記載されてあり、


「正義」を論じた哲学書の中では、
群を抜いてその名を世間に知らしめている名著であることは、
誰もが疑わない事実かと思います。


ただ、私自身、本作の名前は聞いたことはあったんですが、
その実、中身を未だ読んだことがなかったものでして、

今回の【本当の正義のお話】のシリーズを機に、
また、来たる『無限の正義』と本作との考察を機に、
手を出してみたのですが、、、


、、、いやあ、、、


非常に難しかったですねえ!笑


もちろん、哲学書であることは、
読む前から十二分に承知してはいたので、
それ相応の覚悟を持って本作に挑んだんですが、

読んでいる最中に度々襲ってくるこの感覚。


「これはつまり、どういうことなん?」


みたいなね。もうそんなんばっかでしたよ。

それでもなんとか正義哲学が濃縮された、
本作の400頁弱全てを読み終えて今に至るわけなんですが、

そうして思うことは、ただひとつ。


本作を読破した達成感と読んで良かったという感想でしたね←


そして、その「読んで良かった」という、
読書好きとは思えない極めて平凡な感想の中には、

「様々な正義にまつわる哲学に触れることができて良かった」

という本作だけに依拠した感想もあれば、一方で、


「『無限の正義』と本作を掛け合わせた考察ができる……」


という点から、
読んで良かったという感想を抱くに至りました。


そして!

その本作を読んで良かったとの私の想いは、
ぜひ、読者の皆様と共有したいと思いまして、

今週の投稿にはマイケル・サンデル氏の、
『これからの「正義」の話をしよう』を選びました!


◇投稿内容とその目的


そして、今週の投稿の内容につきましては、



本日のパート4では、
本作『これからの「正義」の話をしよう』の、
第一章〜第五章を徹底解説していきまして、

また、次回のパート5では、
同じく『これからの「正義」の話をしよう』の、
第六章〜第十章を徹底解説していきまして、

そして、最後のパート6で、
先月、著者公認で第一章を要約させていただきました、
中村啓先生の『無限の正義』と、
マイケル・サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』の、
二冊を掛け合わせた「ある考察」を披露していきます!



なので、
今週のこの【本当の正義のお話】シリーズの投稿を、
パート4からパート6まで全部ご覧くださった暁には、、、




日本国内では累計100万部を突破した大ベストセラー哲学書を、
その要点だけに絞ってかいつまんで理解することができて、

また、

未だ誰も見たことがない警察エンタメミステリ『無限の正義』と、
ミリオンヒット『これからの「正義」の話をしよう』の二冊を掛け合わせた、

本当の正義を明らかにした考察を堪能できる!




という、そんなシリーズの投稿になっていれば幸いだと思っております!


ぜひ一緒に、
日本国内で累計100万部を突破した大ベストセラー書籍、
『これからの「正義」の話をしよう』を隅から隅まで堪能する読書の旅へ、

出かけていきましょう!


◇第一章「正しいことをする」


それでは、さっそく今回の投稿の内容であります、
本作『これからの「正義」の話をしよう』の第一章〜第五章までの解説に、
入っていこうと思いますが、

本作の第一章である「正しいことをする」の中でマイケル氏は、

2004年夏にメキシコ湾で発生したハリケーン・チャーリーを例に、
被災した人たちに対して過剰な価格でサービスを提供するのは妥当か、

また、

1932年以降、
アメリカ軍が戦闘中の敵の攻撃によって負傷もしくは死亡した兵士に送る、
パープルハート勲章の対象に精神疾患や心的外傷を負った兵士は妥当か、

そして、

2008年から2009年までにアメリカを襲った金融危機の際に、
不正を犯した巨大保険会社の幹部が億越えのボーナスを得るのは妥当か、

など、
過去から現代までのアメリカを取り巻いている、
いくつかの「正義」に反する例を挙げたのちに、

本作が掲げている「正義」への三つのアプローチについて、
次のように述べられておりまして、それがコチラになります。


 ある社会が正義にかなうかどうかを問うことは、われわれが大切にするものーー収入や財産、義務や権利、権力や機会、職務や栄誉ーーがどう分配されるかを問うことである。正義にかなう社会ではこうした善きものが正しく分配される。つまり、一人ひとりにふさわしいものが与えられるのだ。難しい問題が起こるのは、ふさわしいものが何であり、それはなぜかを問うときである。
 われわれはそうした問題をすでに考えはじめている。便乗値上げの是非、パープルハート勲章の受章資格をめぐる対立、企業救済などについて考えながら、善きものの分配にアプローチする三つの観点を明らかにしてきた。つまり、福祉、自由、美徳である。これらの理念はそれぞれ、正義について異なる考え方を示している。

『これからの「正義」の話をしよう』p35


そうして掲げた「正義」への三つのアプローチの中でも、
マイケル氏は福祉、


とりわけ、、、


「福祉の最大化」


という考え方に対して、
その持論を展開していきます。


◇第二章「最大幸福原理ーー功利主義」


そうして、
この「福祉の最大化」という考え方を説いた第二章の、
「最大幸福原理」でマイケル氏が白羽の矢を立てたのは、

イギリスの出身の哲学者・経済学者・法学者として、
今もなおその主義主張が語り継がれ根強い信仰がなされている、

ジェレミー・ベンサムの「功利主義」でした。


この「功利主義」とは、一体どういったものなのか?

本作でのマイケル氏の言葉をお借りすると次のとおりになります。

 イギリスの道徳哲学者であり法制改革者でもあったベンサムは、功利主義の理論を確立した。その中心概念は簡潔で、直観に訴えかけてくる。それは、道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の全体的な割合を最大化することだというものだ。ベンサムによれば、正しい行ないとは「効用」を最大にするあらゆるものだという。効用という言葉によって、ベンサムは快楽や幸福を生むすべてのもの、苦痛や苦難を防ぐすべてのものを表わしている。

『これからの「正義」の話をしよう』p61


つまり、ジェレミーの「功利主義」とは、


世の中の人たちが被る苦痛を減らして、
幸福だと感じる人の割合を増やすこと、

そして、それが「正しい」としているんです。


したがって、このように解説すると、
一見、なんの問題もないように思える主義ですが、

本作の中でマイケル氏はこの「功利主義」に対して、
大きく二つの問題点があることを説いています。


それが、


  1. 個人の権利を尊重しないこと

  2. 幸福の価値を単一にしてしまうこと


の二点です。


まず一つ目の「個人の権利を尊重しないこと」というのは、

例えば、誰か一人が苦しい思いをする一方で、
あるコミュニティ全体が幸せな思いをして、
苦痛よりも幸福の割合が多いのであれば、

それはすなわち、、、

拷問でさえ「正しい」ということになってしまうわけなのです。


次に二つ目の「幸福の価値を単一にしてしまうこと」というのは、

「功利主義」の下においては、
幸福の質や程度などは全く鑑みられず、
どのような幸福も「1つ」として換算されます。

しかし、マイケル氏に言わせてみれば、、、

十人十色である幸福の価値を、
まるで一円二円というように単一に換算することは正しいのか?

ということなのです。


ちなみに、これは余談ですが、、、

このジェレミー・ベンサムの「功利主義」は、

昨今、あの「肉を食べるな!」って、
不健康な見た目をして喚いているおヴィーガンの方々が掲げる、


「ヴィーガニズム(脱搾取主義)が目の敵にしている考え方」


だというのは、
昨年公開した【動物倫理】シリーズの投稿で解説していますので、
もし、ご興味のある方はぜひご一読いだだければと思います。


◇第三章「私は私のものか?ーーリバタリアニズム(自由至上主義)」


また、この「功利主義」に反対しているのは、
なにもヴィーガンの方々だけではなくて、

自分が稼いだ富に対して多額の納税を強いられている富裕層も反対している、

と、マイケル氏は第三章の「私は私のものか?」の冒頭で述べられてします。


つまり、富裕層に多額の納税をさせて、
貧困層を社会保障などで助ける「富の再分配」というのは、
「功利主義」に言わせてみれば、、、

「少数の苦痛を伴いつつも多数の幸福を実現しているので正しいことである」

と言えてしまうわけなのです。
多額の納税をする人たちは、たまったもんじゃないですけどね。
しかし、これが「功利主義」下では良しとされてしまうんですよ。


しかし、彼らもアホではありません。


その考え方に対する異論というのをもちろん備えておりまして、
それをマイケル氏は次のように本作の中で紹介されています。


 第二の異論は、こうした計算を見当違いだとみなすものだ。それによれば、貧困者を助けるために富裕者に課税するのは正義にもとることだという。なぜなら、基本的権利が侵害されるからだ。この異論によれば、同意なしにゲイツやウィンフリーから金を取り上げることは、大義のためであっても強要であることは間違いない。自分の金を自分の好きなように使う自由を侵害しているのだ。このような根拠で再分配に反対する人びとは、しばしば「リバタリアン(自由至上主義者)」と呼ばれる。
 リバタリアンは、経済効率ではなく人間の自由の名において、制約のない市場を支持し、政府規制に反対する。リバタリアンの中心的主張によれば、どの人間も自由への基本的権利ーー他人が同じことをする権利を尊重するかぎり、みずからが所有するものを使って、みずからが望むいかなることをも行なうことが許される権利ーーを有するというのだ。

『これからの「正義」の話をしよう』p99


なので、それらの観点から、
この「リバタリアン」は一般的に、
次の三つのタイプの政策や法律を拒否すると言われていまして、

それが、、、


  1. パターナリズム(父親的温情主義)の拒否

  2. 道徳的法律の拒否

  3. 所得や富の再分配の拒否


、、、まあ要するに、


自分たちが努力して稼いだ金なのに、
同意もなしに強制的に取られるのは納得がいかねえー!
あと、個人の自由を縛る法律も気に食わねえー!


というのが、
リバタリアンの方々の主張だということなのです。


、、、


反抗期か。


◇第四章「雇われ助っ人ーー市場と道徳」


ただ、そんな反抗期たちですが、
彼ら・彼女らが思春期を迎えた子どもの反抗期と違うのは、

とんでもない富をその手に抱えていることです。


すると、彼らリバタリアンたちは必然的に、
その溢れんばかりの富を自由に消費するために、


「自由市場」


という役割を市場に求めようとしまして、
この役割について、
マイケル氏は次のように述べられております。


 正義をめぐる議論が白熱すると、たいてい市場の役割の話になる。自由市場は公平なのか。お金で買えないもの、否、お金で買ってはならないものはあるのか。もしあるとしたら、それは何であり、それを売買することのどこがいけないのだろう。
 典型的な自由市場の擁護論は二種類に分かれる。一方は自由を、もう一方は福祉を重視する。前者は市場をリバタリアニズムの観点から論じている。人びとに自発的な取引をさせるのは、彼らの自由を尊重していることになるという言い分だ。自由市場に干渉する法は個人の自由を侵しているのである。後者は市場を功利主義の観点から論じている。自由市場は全体の福祉を促進するという言い分だ。二人の人間が取引をした場合、どちらも利益を得る。彼らの取引は、誰も傷つけず、両者に利益をもたらすかぎり、全体の効用を増大させるに違いない。

『これからの「正義」の話をしよう』p124


しかし、一方で、
マイケル氏は懐疑論者の意見として二点、


  1. 自由市場は、その名前ほど自由ではない

  2. 一部の物品や社会的な慣習は、金銭で売買されると腐敗したり悪化したりする


という点を挙げておりまして、

また、その具体例として、


  1. 戦場で戦う行為

  2. 子どもを産む行為


という二点を挙げて解説されています。


まず一つ目の例である「戦場で戦う行為」では、
19世紀のアメリカ南北戦争における徴兵制をマイケル氏は参照しておりまして、

この時、北軍では、
徴兵された者が兵役につきたくない者は、

新聞に「身代わり求む」という広告を出して、
1,500ドルをその身代わりに支払えば兵役を免れることができたんですね。

つまり、

金がある人間は就きたくもない兵役に就かなくても良かったんです。


しかし、そんなのは金がない人間だってそうです。
戦場に行って喜んで死んでくるよ!なんて言う人間はいません。

従って、その「戦場で戦う行為」を自由市場で売買すると、


金のある人間は自由だが、
金のない人間は「金のために戦地に赴く」という制約を受けるんです。


果たして、本当にこれを「自由」と呼ぶのか?と言うことですよ。


また、次の二つ目の例である「子どもを産む行為」ですが、
これは今現在NHK総合で毎週火曜日午後10時から放送している、
桐野夏生先生が原作を務めた『燕は戻ってこない』を例に挙げていきますが、


本作は、

派遣社員として暮らしているリキがお金に困って、
お金欲しさに草桶夫妻の代理母を務めることになる、

という物語なのですが、

ここに見え隠れする問題点というのは、
先の「この取引は本当に自由といえるのか?」という問題点の他に、


「赤ん坊や妊娠を商品として扱うのは、その価値を貶めるものなのでは?」


という問題点があるのだとマイケル氏は本作で述べています。


もちろん、この点には、

「子どもを産む行為は神聖なものである」

という宗教色が背後に見え隠れしていることは然りですが、

それでも、確かに、

「お金を払って自分の子どもを赤の他人に産んでもらう」

というのは、
これまでの倫理観に照らし合わせても、

「う〜ん」と頭を捻りたくなる取引であることは否定できません。


◇第五章「重要なのは動機ーーイマヌエル・カント」


話が少し難しくなってきましたので、
ここで簡単にこれまでの話をまとめていきます。


本作では「正義」にアプローチしていく項目として、

「福祉・自由・美徳」

の三つを最初に挙げていました。

けれど、福祉を最大化する「功利主義」下では、

富裕層の自由は制限されて、人間の幸福は単一にならされてしまい、
「自由」と「美徳」という点では「正しい」と言えないのでは?

ということでして、

また、自由を最大化する「自由至上主義」下では、

その自由を保障されるのは、超富裕層の方たちだけでして、
貧困層の「福祉・自由・美徳」という点では「正しい」と言えないのでは?

ということでした。


それでは、
この「福祉・自由・美徳」の三つの矢が的を得る「正しさ」とは、

一体何を意味するのでしょうか?


マイケル氏は、
その答えを明らかにする一つの糸口として、
第五章の「重要なのは動機」という章で、

プロイセン王国の哲学者であるイマヌエル・カントを参照しています。


しかし、このカントを参照している章は、
カント自体の言説が非常に難解なため、

章自体なにが言いたいのか、
正直よくわからない構成になっていますし、
(*マイケル氏本人も「めっちゃむずいで」って言ってる)

また、マイケル氏はカントが提示する「正しさ」には、
本作の三本柱である「福祉・自由・美徳」のうち、

「福祉の最大化」と「美徳の奨励」は含まれていないので、

そこに首尾貫徹していないモヤモヤを感じてしまいます。


けれど、このカントについて詳述している第五章では、
ある重要な「正しさ」の視点についてマイケル氏が言及していまして、

それは、、、


「正義にかなうのは憲法であり、憲法は仮想上の契約である」


という点になるんですが、
その詳細は次回のパート5の第六章「平等の擁護」で、
お届けしていきますので、


悪しからず。


〈パート5へ続く〉

◇紹介書籍リンク

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