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消費されたいのか?

最近、美術館や映画館に行くと思うコト。

世に出て評価されているモノに触れると、人知れず影に隠れているモノとの、運の含有量について考えてしまう事がある。

でも、決して人の成果や努力を否定したい訳じゃなくて、静かに眠りについているモノの寝顔を見てみたいというエゴなんだ。

他者から評価される事が全てじゃないし、マイノリティ側だからこそ魅力を放つモノがある事も、うっすらと知っている。

そんなおこがましい感情は無責任だなあ。と思いながら、それでも報われないなにかの幸せを願ったりする。

やっぱり、無責任だなあ。

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