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AI・自動翻訳が進んで、逆に外国語を学ぶ意味が増すかもしれないワケ

AIや技術の急速な進化とともに、「これから全て自動翻訳の時代になるし、わざわざ英語を身につけなくてもいいのでは」という考え方が日に増している気がします。

確かに、DeepLの精度はすごいし、海外の論文なんかはだいたい読み解ける。会議の自動通訳も進展し、語学関連で必要なくなる職種が増えていってもおかしくありません。

ただ、あえて別の論理で「今後技術が進展すればするほど、逆に語学スキルを抱くことの価値が増すのではないか」という説を唱えてみたいと思います。

二つのコミュニケーション

まず、「他言語コミュニケーション」を二つに整理してみます。
「必要な要件を満たすためのコミュニケーション(論理型)」
「目的ベースに依らないコミュニケーション(直情型)」です。

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前者は、ビジネスでの商談だったり、国際的な舞台でのプレゼン・セミナーだったり。また海外の論文を読み解いたり、逆に発表したりも含まれるでしょう。「伝えるべき内容」「理解したいコト」がそもそもはっきりしているため、自動翻訳技術等を活用することと親和性が高い。

後者は、シンプルに友人知人との会話や、アイデアを交換するための雑談など。明確な目的を果たすことで終わる前者と違い、その場その場で即興的かつシームレスに紡げる「リアルさ」「アナログさ」が基点となります。

前者タイプは技術発展とともに、大いにスムーズ化していくと思います。一方、後者タイプのコミュニケーションによる需要は、意外と残る(どころか、前者が誰にでもできるようになることで逆に強まる)可能性があるのでは?と感じます。

他言語で検索する力

ひとつ別のベクトルから「語学力」の有効性を試みます。まず、ネット社会で情報が氾濫する中、多くの人が得たがり到達する情報はそこそこ均質化されてくる現状があります(GoogleのSEOキーワードやSNSアルゴリズムによって)。

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新しい家に引っ越し、どんな椅子やテーブルを買ったらいいか。今度遊びに行く観光地で、どこを見に行ったらいいか。AmazonやGoogleに検索ワードを打ち込み、上位に上がったものを見て、消費していく。

全員が一様にGAFAプラットフォームを利用することで、人間の欲望が「予測されやすい」社会になり。では、唯一かけがえのない生き方はいかに可能か?東浩紀さんは「新しい検索ワードを探すための旅」と掲げています。

本書ではロシア語に精通した方が、ロシア語で「チェルノブイリ原発」にまつわることを検索したきっかけで、日本語圏では手に入らない情報・地域に到達し、現地の人らとコンタクトがとれたエピソードが語られています。

AIも浸透し、母語で得られる情報はだいたい皆同じになる。そこで、異言語でそもそも発想でき、異なる言語圏の情報ネットワークを行き交い、新たな機会創造ができる属人的スキルは、希少性が増してくるのではないか?

多言語ネットワーク資産

「ネットワーク理論」という分野があります。ざっくりいうと、私たち人間同士がどのようにつながっているかを研究している学問です。

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人間のつながり方に着目して、それぞれの「ネットワーク(界)」があります。仲の良い友達グループ、同じ趣味のサークル、世代が近い汎コミュニティ(U24とか)。

多くは閉じた圏内に留まるのですが、たまに複数のグループに精通して、顔が広い人がいます。「陽キャ力のある人」と勝手に私は呼んでいるのですが、その人経由で知り合いが増えていく体験がそれです。いわば、ネットワーク間の穴 (structural hall)を埋められる人ですね。

ストラクチュアル・ホールとは、あるネットワークとあるネットワークの間にある「構造的な隙間」のことです。この隙間に、両方のネットワークから情報が集まってきます。そのため、ストラクチュアル・ホールのところにいる人は、情報をコントロールし、得することができると言われています。たとえば、西洋と東洋をつないだシルクロードの商人や、現代の国と国をつなぐ商社の皆さんは、ストラクチュアル・ホールを上手に利用して、利益を得ています。

コクリ!の深い話(8)ノーイシューなのに参加者が船から降りないコミュニティは面白い
●入山章栄さん(後編)
同サイトより借用

上図で、左のグループを「A」、右のグループを「C」とすると、両者の間をつなぐ点の「B」ですね。その人は、唯一無二のブローカーとなります。この「B」がいないと、両ネットワークが交じり合うきっかけが成り立たず、お互いに機会損失になるためです。

では、この「A」を日本語圏、「C」を他言語圏とするとどうでしょう。両言語圏の人脈・情報を磁力のように引き寄せられる「B」は、異質なもの同士をブリッジ(橋渡し)し、新しいチャンスを埋む可能性を持っています。

語学力に精通した人が抱く、ネットワーク自体に価値があるのでは? 属人的な「多言語ネットワーク資産」とも言えるのではないでしょうか。

自動翻訳で生み出せないモノ

翻訳技術を使えば、誰でもBになれるのでは?という見方もあります。もちろん、海外でも抜群に通じる能力・知名度を発揮できる人 (特定の分野でリードする経営者や学者、大ヒットさせたクリエイターなど)は、語学力の有無に関係なく、世界中から声がかかってもおかしくありません。

ただ、そうでない場合は「直接面と向かって会話ができ、覚えられる存在」であることが、地道に重要になのかなと思います。いわば、その界隈で「顔がある」「存在感を出せる」ということ。

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例えば、ヨーロッパのある国でIT関連の国際的なセミナーがあるとき。主催の一員から「そういえばこの前の食事会で知り合った日本人がいたから、声かけてみようかな」と、DMが届く。「OK!」と快諾し、登壇したら他のスピーカーとも直接面識ができて…という快循環が生まれる。

これが、例えば食事会のときにいちいち翻訳アプリを開いていて、逐一テキストを打って…とやっていると逆にコスパが悪くなり、手間もかかる。よりシンプルに、カジュアルな空気感で(かつ深いレベルで)相手を理解し、瞬時に一対一の信頼関係を紡ぐことができるのは、属人的な語学力に依るところがまだまだ大きいのかなと感じます。

そんな持続的な関係ができていると、「その言語圏特有のネットワーク資産」として、いろんなきっかけが生まれやすい。例のようなイベントがあったときに、真っ先に声がかかったのがそれですね。

他にも私の体験談でいうと。欧州の大学院へ行くとSNSで投稿したとき、イランの旅で出会ったフランスの整体師が「今スイスのチューリッヒに拠点構えてるから、もし来ることあれば泊まりにおいでよ」とDMが届きました。彼とは同じ宿で幾晩も食事をともにし、直接向かい合って話し合ったからこそ、深い繋がり(縁?)ができ、そんなお誘いからまた新たな可能性も開拓していけそうだ、としみじみ思いました。

語学力と「〇〇力」をかけ算する

もちろん、「ちょっと話せるよ」程度の語学力単体だけでは心許ない気もします。なので、語学スキルに何かをかけ合わせてみる。

「人から好かれる力」でもいいし、「語学力」✖️「営業力」、「語学力」✖️「調査力」、「語学力」✖️「企画力」…。特定の言語圏のネットワーク資産を自在に活かしつつ、何か新しい火種を生み出せる存在。それぞれ得意な能力を足し、他言語圏を開拓していける人が活躍できる時代なのかなと思います。

総括

「必要なことを満たす」ための語学から、「新しい創造的なきっかけを生む」ための語学として。技術が進展しまくる時代だからこそ、語学スキルの意義が変容しているのではないかなと思います。他言語圏ネットワークに接続できることで、意外なヒントや考え方、斬新なインスピレーションに、一言語にのみ精通している人よりも遭遇可能性が高くなる。

いわば「ハートを掴むコミュニケーション」に重みがシフトしていくとも言えるでしょうか。「その人自身の頭で考えられ、その人の発声器官を通してリアルに(かつコンスタントに)発話できる語学能力」に、より付加価値が認められていくのではないかと予想しています。

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