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私がイタリアに行く理由(大学院留学)。

今年にヨーロッパの大学院申請を終え。
結局、イタリアの院に行くことにしました。

こうやってまとめたものの、実はすごく悩んでいました...。「どこに行くのが正解か」「ほんとうに今のタイミングで行って大丈夫かな」と。結局半年間近くもの間、延々と葛藤し続けちゃいました。

すぐに決められない、優柔不断なところ...。何よりも自分の欠点だなーと感じるところなんですが、最終的にはイタリアの院 (University of Padova) に帰結しました。軽くその経緯を振り返りたいな、と思います。

「イタリアで大丈夫だろうか」

正直本音で言えば、ずっとこれを抱えていました。

欧州圏の大学で言えば、イギリスや北欧、ベネルクス三ヶ国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)、スイスなどのプロテスタント圏がいずれも、世界大学ランキングでは上位に来る印象です。(学術的な水準も高い)

一方スペインやイタリアなどの、カトリック教圏でもある南欧は...。一部の大学を除けば、前者と比べると正直見劣りする印象が。宗教的な背景からか、資本主義の土壌を生んだプロテスタンティズム圏は、大学教育・研究の盛んさとも親和性があるのかな、と調べながら考えたり。真剣に学術的な水準を追い求めるのであれば、スイスやベルギーのほうに旗が上がるかな...と思いました。

イタリアへのこだわり

そう思案しつつも。自分にとっての「こだわり」を追究したい思いがありました。
イタリアという国には、長年特殊な興味を抱きつづけていて。

自分の住んでいる近くの街(神奈川県・川崎)に、ラ チッタ デッラ(La Citta Della)という、イタリアの丘の上の街をモチーフにした複合施設があり。映画館も設えてあったりと、小さい頃に家族や友人と訪れた記憶が強く印象に残っていました。

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淡いグラデーションのある、不思議な色合いの建物。
石畳の小路と、ゆったりと歩くことのできる並木通り。

車道と歩道で区分されたアスファルトの世界から、一歩入るとどこか違う時間軸が流れているような区画。その雰囲気に、どこか魅了され続けていました。

他にも、ゲームやアニメで見かけることが多く。ポケモンの「ラティアスとラティオス」で描かれた水の都 (ヴェネチア)、「紅の豚」で舞台にされたアドリア海、「アサシン・クリード」で駆け回ったフィレンツェの街、「チェーザレ・ボルジア」に出てくる都市国家の一群。

いろんな作品でイタリアの風土に触れる度、「あの特別な感覚はなんだろう」という、憧憬ともいえるような感情が湧き、それがずっと記憶に残っていました。

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そんな経緯もあって、大学に入ってからは「ロマンス・ランゲージハウス」という学生寮に属し。ロマンス語圏=ラテン語系列の言語や文化(フランス語・イタリア語・スペイン語等)に触れながら、料理やイベントを楽しむという比較的ゆるい活動だったのですが、これが自分にとって楽しかった。

輸入食品店を回るのも好きで、イタリア語で書かれた食材を原語でそのまま理解したいな、という思いから学び始めたり。授業でも取りたかったのですが、残念ながら開講されていなかったため、それに近いスペイン語を受講したり。ともかく、自分の身近な生活に「イタリア」を意識することが多々ありました。

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欧州圏を旅しているときでも、いろんな家庭で経験した「イタリアンな感覚」。
暖色の灯で照らされるラザニア。赤ワインをすすり紅く火照った頬。そんなディナーから交わされる会話に「親密さ」が芽生え始めて、打ち解けていく様。

国や言語が異なっていても、あるいは日本人同士であっても、それができることに、ひとつの魅力を感じ続けていました(シェアハウスやゲストハウスのスタッフをやった際にも、イタリア料理を中心にイベントを開くことができたりと、その感覚が活きたように思う)。

あのときの瞬間に、自分はとても居心地の良さを感じる。そんな体験を生ませている「イタリア」って、何なのだろう、と。

イタリアらしさが育む「文化」

思うにイタリアは、自前の「文化」を育むのが上手だと感じる。

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マクドナルドやスターバックスといったグローバル資本の流入を拒否し、広告や看板で乱れうるだろう姿に規制をかけ。新しい建物を建てる際には、高さ何mで、素材は何色のどれを扱い、徹底した項目を遵守する必要がある。

摩天楼が林立する光景を生むような、資本主義・自由主義的な思想と、ある意味真反対な道を歩んでいそうで。けれどその結果が、イタリアの個々の街にある統一感・雰囲気を守っているとも。

ジョットの鐘楼を眺めながら、数百年前から街に生きてきた先祖に思いを馳せたり。円状の広場に腰を下ろし、長らく談笑し合うような、ライトな雰囲気。盛んに活用される公共空間。

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そうして生まれる活気さが、文化の源にあると思う。アスファルトに舗装され、最低限の狭さが確保された歩道を細々と歩き、電車で無機質に移動する生活。人口規模にして1,000万を超えるような、肥大化した都市に生まれ育った自分にとって、イタリアの街に感じられる「自主性」の風土が、憧れに感じられていたのだと思う。

東京においても例えば「渋谷」とかはあるけれど、その街に元々住う人らが自主的に創り上げたものというより、鉄道会社や広告代理店が上から作り上げた「ちょっとよそ者感がある文化」なように感じる。そこに自分は、違和感を感じていた。

また日本だと、大都市圏の乱立が目立つように思う。人口100万を超える都市は12つあり、その圏内にいる人だけで3,000万近くになる。大ざっぱに、日本人の4人に1人は大都市圏に住んでいると言える。

一方イタリアは、中小規模の町が多い。5万人以下の都市に住む人の割合は、イタリアで全人口の66%にも(日本は18%)*1。少なくても2人に1人は、「小都市」といえる地域に分散して住んでいる。

また、基礎自治体の単位である「コムーネ」は中世にまで由来するもので、人口数十人の村も、三百万近くいるローマも同じように扱われる。

上からの市町村の合併が頻繁に繰り返されてきた日本と比べて、ひとつの街としてのアイデンティティを色濃く残すような精神。そういうところに「文化」の芽を感じ。そしてそれが、自分が生きている上で大事にしたいと思える価値観でした。

*1 ... 井口勝文 イタリアの小さな町 暮らしと風景 地方が元気になるまちづくり (2021年3月25日) 水曜社

イタリアに行く

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こんな特別な思いもあって、イタリアに二年間行くことにしました。日本にいて、日本語を話す日常から見えてくる感覚に合わせて、+αの価値観となる軸を養いたいと思い。

イタリア社会において、イタリア語圏に身を置くことで見えてくる感覚。食文化、色彩感覚、人とのコミュニケーション、公共空間のあり方、歴史を見つめる目。それらを持って自国を見つめ直すことで、自身が生き方に据えたいと思う価値観を、浮き彫りにしたいと思えました。

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もちろん、理想視できることだけでなく...。増加する移民や、排斥の声の高まり。欧州の中でも比較的に高い失業率だったりと、国として何かと問題を抱えてもいます。それらも含めて、イタリアで見える光景を自分の目で確かめてみたい。そう思いながら、渡航準備を進めています。

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