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サソリと干し芋

暦やニュースなどから感ずる季節感を根底から変えねばならない時代になっている。地球環境の変化は想像以上に早く、今は季節変化の過渡期にあると思われるがこの変化が一過性のものであり、やがて一旦は落ち着くのであろうか。 人間は環境の変化に馴染み順応するものだと思うが季節ごとの哀感、経緯度をまたいでの旅先から感ずる空気感、風景の変貌感 なども変わってしまうことはやるせないものであろう。

あらゆるものの連鎖の普遍性が特殊性に移行するのは産業革命以降の熱を放出し続けててきた人類の責にあるものであろうか。もうひとつの何かがある気がしてならない。人間の欺瞞から端を発する地球の自己浄化作用、自然の流れかも知れない。

軒下で七輪に火をつけ乾燥芋を炙って食べる。めっちゃうまい。 超旨い。味覚にどうでもいい量販店で買う100円に満たない廉価版の発泡酒を合わせて飲むと、そんなモンダイはどうでもいいとアルコールに乗じてふわりと考える。

今もなお生まれも育ちも雪のない区域にいるがモノトーンの雪原野の風景を見るとなぜか心が和らぐ。キラキラした南国にあまり行きたいとは思わない。南国ではないが昔、八丈島で野営していた時のこと、焚火のテントサイトで宴の時、足元に 全長15センチぐらいのサソリが登場した場面を話の成り行きから思い出した。その瞬間、僕らの体から15リットルぐらいの汗が流れ、僕らはノコギリやトンカチ、ムヒ15グラムを握りしめぼくは指令本部長にそのまま就任した。指令本部長は現場から7メートルぐらい離れて指示を出せばいいのだが、あろうことか二名の前線の兵隊はさらに指令本部長の後ろに逃げてしまい更にあろうことか指令本部長を二人がかりで前に押し出した。
リーダー不在、内紛の中、緊急臨戦態勢と緊急退避体制になった。恐怖のどん底になった。

結局侵略者に降伏してその場から避難したのだが地元民に聞くとそれは決してサソリではなくサソリモドキという蜘蛛の一種であることを知った。

クモでさえキライであるのにサラにサソリのフリをしたクモは耐え難いものだった。 毒はないというが見た目に既にドクがある。
そんなことを出来事を思い出した。

廻り舞台の冬の場面はクライマックスを迎え次に巡る舞台は淡い春の色合いになっている。
週末は小雪の予報にあるが、春が近いみたいだ。
時は残酷なサソリのように過ぎてゆく。

君がため 春の野に出でて 若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ
   光孝天皇(830~887)

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