K.CAT
この時期としては暖かな雨が降っています。月が変われば1年の中では感覚的にいちばん冷たい雨が降ります。
#ぼくは今夜君に嘘をつく ♪Am 12月の雪から 逃げるよう街に急いだ 僕の決断は暗闇の中 ふたつに別れた 君の心の淵に手を添えた ぼくの嘘が君を救うことが 出来るんだと 12月の冬は 行き先が見当たらない この小さな嘘が君を幸せにできるならば ぼくはもうひとつ 自分に嘘をつく 春を待つ手紙は 寒すぎて 紙の切っ先が その言葉を拒んでる 檸檬を置いたベランダの向こう側に 裸の夏の木々が揺れていた ぼくは今夜 君に嘘をつく 君は今夜 ぼくの嘘を信じるふりをする
自分の好む空気感というのがある。そこの空気感、自分の視界、聴覚、皮膚感覚、全てに受け入れられる場所というものがある。 いくつかの心地良い場所のひとつは軽井沢にある鹿島の森という場所。軽井沢の駅からもなんとか徒歩圏内だが、そのあたりは確実に違う空気が漂っている。毅然とした森の匂いがする。多少の風が吹いていても常緑樹の天幕が吸収してほぼ無風になり、太陽光にエフェクトを掛け、ついでに心地良い周波数の音だけ僅かに残し他は吸収する。樹木の力だ。 飛行機の中で書いている。 離陸した
とある街の都心の裏小径を歩く。気分がいい。あきらかに個人経営の喫茶店があったり、間口1間半の小料理屋がたくさんある。大通りの向こう側には鉄道の陸橋が見え、交差点付近には地下鉄の入り口がある。きれいに整備された緑の公園では樹木の下のベンチで本を読む人、昼寝をしている人、マットを敷いてなにかを食べている親子、様々だ。 コンビニでビールとサキイカを買い古書店で買った本を木陰のベンチで読む。 至福の時間。正午前というのが何よりも心地良い。バックパッカーの旅の様子を描いた本が面白く
オリジナル楽曲 真夜中の漂流者
北海道のほぼど真ん中で道に迷った。美瑛から滝川経由旭川まで道路標識に従い車を走らせたのだが道が一本ずれたようだった。きちんと整備されたアスファルトの道。緩やかに登っているのを感じた。周囲はほぼ原野。路肩には雑草としてのラベンダーが計ったように行儀よく咲いていた。 Uターンする場所もなくただ進んだ。時折、対向側から来る車は威圧感漂う装甲車。 ナビを見ると自衛隊の施設と書いてある。なるほど。 ナビゲーションを道案内として使うのは便利だが地図として使うのは実に不自由だ。 自
多かれ少なかれほとんどの人は長きにわたるボディブローのような攻撃を受けながら日々の生活をしていると思う。 日々のストレスや、変化した生活環境。 我慢しながら耐えながら繰り返す日々をやり過ごす。 ふとしたきっかけで取りまく状況の一部に奇跡的なバウンスバックの状況を得た。カエルを入れた真水をじわじわと加温していくとカエルはそれに気が付かずに死んでしまう。 もしかしたら長きに渡りそんな茹でカエル状態にあったのかもしれない。それは僕個人の状態を含めて世の中すべてがそうであるような気が
それでもやはり電子レンジは信用しない。直火以外は何も信用していない。
概念としての時間を持たぬとされるヒト以外の多くの動物は、明るくなって暗くなって、の繰り返しの現象をほんとうに生きているのだろうか。 音楽のことに触れると考える領域として意識して分けていた部分もある。が、自身を記していく上で、避けては通れないだろう。 僕が僕に対して思う無価値さは、音楽の表現という悔しさと隣接している。あの人が歌うから、という理由でライブを見に行くことは大いにあり得ると思うが、自作或いは既成の楽曲を良かれと思い演じてもそれは聞き手にはあまり伝わらない。アマチュア
真夜中の夜鷹みたいに 一晩中 月明かりに身を晒していたい 7月の夜のメロディーは 泣いてしまうほど美しく たそがれた友情も 今は優しさに満ちている 君の住む街の枯れそうなサルビアはまだ咲いているだろうか らしい君でいたなら らしい僕でいたいよ らしい君の詩集に らしい言葉が微笑む スロープの鎖は冷たいから あなたの手の温もりに逃れたい 八月の夏を降りながら 八月の秋に昇ってゆく たそがれた記憶も今は 愛しさに溢れているよ 今夜は 信濃町あたりから 外苑まで二人で歩こう
犬だと思ってコンビニで買ったドッグフードで手懐けていたらコンと鳴き批判的な目で見られた。
ふと気が向いて台所の鍋釜類の整理をした。大量にある調理道具、鍋、フライパンの類いは日常的に使われているのは一部のみで他は食器棚の下とかシンクの下に押し込められている。 普段は使わないフライパンが全部で10個出てきた。フライパンの単位って?個はあきらかに違う。台?それも違う。枚?それも違う。仕方がないからこの場はパンにする。 10パンのフライパンは様々で想像を遥かに凌ぐ絶望的に錆びてしまっている鉄のフライパンとオールアルミの肉厚のフライパン、これは熱伝導率が極めて高く火にか
ごめんください、という言葉は、誰かの家を訪ねた時に最初に発する言葉だが、帰り際にも使う言葉。帰り際に軽く頭を下げてのごめんください、そして静かに扉を閉め颯爽と去り行く。 そこに紳士、淑女性を感じる。 生まれ育った街はよく在りがちな海縁の気性が荒い町と称される場所だった。内面は違うのだろうが、十把一絡、反几帳面、それらの持ち合わせが総じて気っぷのいい、いい男と見られるような風潮があった。不良はかっこいいとの構図だ。 その町には親類の叔父、伯父がたくさんいて全てが高倉健か川谷
久しぶりに車の中でコンビニ昼色。おにぎりを食べていたらそのカケラが手元からシフトレバー付近に落下。その勢いで予想通りに海苔の欠片がシートとコンソールの隙間に落ちた。二度と取れないのだろう。 そしてサンドイッチのレタスのカケラもコンソールの隙間に落ちた。これにはショックで、現物は見えているので割り箸でなんとか取れないものかと、割り箸をシートの隙間に差し込んだ。そしたらあろうことか1本の割り箸が引っかかったレタスごと落下。その姿が見えなくなった。二次災害。 シートのレール付近に落