見出し画像

人生9回目の引越しを前にして気づいた「自立」の意味

「引越し」について書いてみる。

書くことが思い浮かばないからだ。どんな結末に着地するかわからないけど、とりあえず書いてみる(「書いてみると、言葉が出てくる」と、かつて編集した本『書く習慣』にも書いてあった気がする。たぶん)。

この文章を書いているいま、わたしの目の前には引越しの段ボールが積み上がっている。来週の月曜に引越しを控えていて、梱包した段ボールをしまいこんだクローゼットの中で仕事しているからだ。ちなみに、引越しによってようやく常設の仕事デスクが持てる予定。在宅勤務になって7ヶ月、ようやく念願が叶った。

実家にいたときも含めると、引っ越しは人生で9回目になる。別に親が転勤族というわけではないので、33歳という年齢から考えても、多いほうだと思う。実家を出てからに限っても、これで6回目の引越しだ。はじめて一人暮らしをした街。編集者になって住みはじめた街。半同棲をはじめた街。結婚して移り住んだ街。そして、娘が生まれた街。どの家や街にも思い出がある。

これほど引越しが多いのは、賃貸契約の更新がくるたびに引っ越していたからだ。更新料を払うくらいなら、新しい街に住みたくなってしまう。そのほうが「生きたお金」という感じがした。そもそも自分は飽き性というのもあり、2年も同じ街に住むと満足してしまう(たいして開拓もしていないくせに)。また、異動したり、結婚したり、転職したり、子供が生まれたりと、なぜか自分の人生は3年周期で変化があるのも大きい。

実家を出たのはいまから10年前、社会人1年目のとき。東京寄りの神奈川県の隅っこに実家はあり、就職した会社までは電車で1時間ほど。満員電車はつらかったけど、通えないということはなかった。

しかし社会人1年目、わたしは地方担当の営業に配属となり、毎週月曜から金曜まで出張生活となった。起きてから寝るまでほぼ仕事づくめで、寂しさを感じる暇なんてなかった。先輩たちのようにご当地グルメを巡る余裕なんてなく、その2年間の記憶は熊谷駅前のラーメンが美味しかったという思い出しかない(舌が痺れるほど濃厚な家系ラーメンだった)。

それまでは、実家を出ることで「地に足がつかない」感覚になる不安があった。帰る場所がないというか、東京という街でフラフラ漂う感じというか。でも出張生活により「もはや実家を出ても同じだな」と思ったため、勢いで一人暮らしをはじめた。

あれから10年、たしかに地に足つかない感じはある(引越ししまくってるからだろと、自分でつっこんでおく)。でも反対に、思い出のある街が東京に増えた。転職で勤務地が変わったこともあるけど、なんか、気心知れた街が増えた気がするのだ。

よく、「自立とは、依存先を増やしていくこと」だと言われる。生まれ育った街を出るのはたしかに不安があったけど、それからいくつもの街に住んだ(物理的に依存した)ことで、少しずつ自立していったのかもしれない。いまなら、どの街に住んでもやっていけるという自信がある(まあ次の引越しは同じ町内だけど)。

という強引な結末に辿り着いたところで、今日の日記は終わり!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?