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唐突に「日記」をはじめたいと思った。

唐突だけど、日記をはじめてみようと思う。

理由はいろいろある。
まず、僕の仕事は人の文章を読み、直し、読み手に届けていくことだ(知らない人のために。僕はダイヤモンド社という出版社でビジネス書の編集をしています)。
自分が書いていないのに、人の文章に口を出すのはどうなのか。
ふと、そんなことを思ってしまった。

また、文章には正解がないように見えて、じつはさまざまな「型」がある。
型に沿った文章が良いのか悪いのかはさておいて、その型を知り、身につけておくことは、自分の仕事において大いに役立つと考えた。
実際、日々、本を読んでいると、「この文章良いなあ」「この展開、引き込まれるなあ」と感じることは多々ある。
それを、自分でも実践してみたくなったのだ。

などと書いてみたが、正直なところ、ただの備忘録になる予定ではある。
何を書くかというと、日々感じたことだ。
編集者の企画の仕方には、大きく分けて「著者から考えるか」「企画から考えるか」の2種類がある。
僕は完全に後者だ。日常での思いつきや、過去の体験から、企画が浮かんでくる。
その思いつきを日々メモにまとめているけど、ちょろっと書いたくらいでは深い思考にはならない。つまり、企画にならない。
それに、仕事に追われる毎日では、浅い思いつきはすぐに忘れてしまう。
だから、少し長めの文章として、残しておきたいと思った。

個人的な備忘録をわざわざ公開するのにも、理由がある。
ここまで読んでいただいてわかるように、僕の文章は基本的につまらない。
理路整然とした文章なら書けている気もするけど、今の時代、「わかる」「読める」だけの文章には価値がない。
おもしろくなきゃ、読まれない。
一般に公開すること(つまり少しでも読み手がいること)で、「おもしろさ」を意識した文章を少しずつでも身につけていけるのではと考えた。

おそらく、しばらくはつまらない文章のままだと思う。
時間もかけないし(たんぶん30分くらいで書く)、推敲もしない。
読み返さないし、思いつくままに書いていく。
きっと誤字も多い。字句統一も意識できていない。
それでも、テクニックを学んで実践していくというよりは、数をこなしていくことで感覚的にコツをつかんでいきたいと思った。

背中を押してくれたのは、過去の自分だ。
2021年の8月に、『書く習慣』という本をつくった。
その本で、著者のいしかわゆきさんは、こう言っている。

「私にとって日記は、人に見せるもの」
「書き続けること、書くのが好きになることが、文章が上達するいちばんの近道だ」

この言葉が、背中を押してくれた。
本の企画を考えるとき、「過去の自分」に向けてつくることは多い。
でも、「未来の自分」に届くこともあるんだな。

当初は、「2024年からはじめよう」と考えた。
でも絶対、年末には忘れている。
覚えていても「忙しい」とかなんとか理由をつけて、やらないだろう。
だから、「いま」はじめてみた。
そして宣言してみた。

はじめたからには、宣言したからには、続けるしかない。
(そう言っておいて、おそらく毎日は続けられないけど…)
(こんな予防線をはってしまうくらい、自信はないけど…)

書くから、考える。考えるから、日常を見る目が変わる。
ということで、書いていこう。


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