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吉祥寺と西荻窪の路上から反ファスト風土化を考えてみる


▼「東」吉祥寺という場所

住所は武蔵野市吉祥寺◯◯町(最寄り駅は西荻窪)という生活が始まって21年。気づいたら人生で最も長く住んでいる街になってしまった…。生まれが多摩の僕にとって、吉祥寺は中学生頃に「友だちと最初に買い物にいった街」だ。親に連れられて選ばれるのではなく、行き交う人を見ながら、自分たちの感覚で服を選んで小遣いをはたいた街。

他に選択肢がなかったわけでもない。新宿は電車で20分少しで行けたし、あと10分かければ渋谷や池袋もあった。ただし中学生には大きすぎた…。近場には立川という街もあった。ただしあの頃は怖すぎた…。そんな訳で、吉祥寺は、身近でありながらちょっと背伸びした大人「隣のきれいなお姉さん」みたいな街だった。

2002年、そんな憧れの吉祥寺に引っ越そうと決めたのだが、当然家賃もお高く、折り合いがつけていたら、土日は快速が止まらない「西荻窪駅」が最寄りになっていた。

当初、毎週末はいそいそと吉祥寺の「マチ」に繰り出していたのだが、思っていた吉祥寺となにかが違う。もちろん良い店はあるし、良い街なのだが、明らかに「そうじゃない」方向に向かっている感覚があった。

当時、駅前には、パンツが見えるくらいの腰履きズボンの若者が地べたに座っており、本当に踏みそうな密度感。「渋谷の商店街が(あいつらは問題は起こすが金を落とさん!と)若者を排除したので、そいつらが井の頭線で吉祥寺に流れてきた」という風説もあったが…。とにかくそうなると、店はファーストフード、ファーストファッションが優勢になっていくわけで、そんな「方向性」を感じた。

で、結局どうなるかというと、僕は生活圏の西荻窪で呑み暮らすことになるのだが、僕より上、当時40~60歳くらい、吉祥寺が文化中心だった頃を知っている世代には、やはり吉祥寺から流れてきた人が多かった。そう、「西荻窪」は文化的には「東吉祥寺」だったのだ。その知識レベル(特に文化系)と乱痴気レベルは「夜の大学院」と言いたいレベルで、逆に、吉祥寺全盛期の愉しさを妄想させた。

▼「住みたい街吉祥寺の地下から反ファスト風土化を叫ぶ」より

そんな中、「住みたい街吉祥寺の地下から反ファスト風土化を叫ぶ」というシンポジウムに参加してきた。僕的にはちょっと類を見ないゼイタクなイベントで、テーマはもちろんのこと登壇者がすごい。吉祥寺を考えるカウンターパートも、下北沢ボーナストラック、多摩ニュータウン(多摩市出身)、墨田区向島(前職からお付き合い)と、どこから切っても興味を持たない訳がない神イベント(参加者の何人かとお話もできたが、これがまた登壇者レベル!)

断っておくが、今でも吉祥寺は間違いなく「よい街」で、個人店やローカルチェーンなども頑張っているし、文化の薫りもちゃんと残っている。だが、大きな方向性として「ファスト風土」化しているのではないかという問題意識は、やはり、あるのだ。

(ちなみにこのイベント前に吉祥寺を少し歩き、知り合いがやっている個人経営の食堂が満員であることに安堵しつつ、単館系の吉祥寺プラザが閉館していることに涙しつつ、ランチを食いそびれて空腹でうろついていた)

さよなら吉祥寺プラザ

盛りだくさんかつ各々に魅力的なトークで、まだ消化しきれていないのだが、「反ファスト風土」のキーワードとして「ムラ」という言葉が思い当たった。

(各トークのキーワードは、一緒に居た竹本さんが挙げてくれているのでご興味ある方は⇒こちらをご参照ください)

▼ファスト風土化する街にはもっと「ムラ」が必要だ仮説

未だ「ファスト風土」化が進まない西荻窪(=東吉祥寺)の呑んべは、自分たちの住む街をあえて「ムラ」と呼ぶ人が多い。もちろん本当の「村社会」とはずいぶんと異なる。住民はほとんどが都心通勤しているし、一般的なビジネスパーソン以外で思い当たるのは、作家・編集者・ミュージシャン(食えている人は少ないが)など完全に都市型文化産業の担い手。にもかかわらず、なんか「ムラ」なのはなぜだろう。このイベントで出たキーワードだと、下記の3つから言えそうだ。

「創発」

例えば、僕の呑んでいる「柳小路」では月に一回「昼市」と称して路上全体がお店化する。沿道の1店舗の発案が広がっている。「西荻のこと研究所」のような地元民間発意の交流拠点・シンクタンクも生まれた。トークで発表された京島や多摩ニュータウンにも同じ匂いを感じる。小さいスケールで、有機的につながり、ボトムアップで都市をつくっていく「創発的アーバニズム」はファスト風土とは対極にあるものだろう。

「尊厳」

別のトークだが、尊厳とは「代替が効かないこと」という定義があった(登壇者の誰かもちらっと言っていた)。ファスト風土は、正に代替が効くことを前提としているように思える。それは、すぐに消費され消えてしまうマス的メディアであったり、マニュアルに従うチェーン店のアルバイトであったりするわけだ。僕はたぶん、西荻窪の呑んべを300人は知っている(それ以上は酔っ払っているので忘れてしまう)が、これはそんな珍しい現象ではない。しかも、人のことを酒のツマミにするという風潮があり、もちろん、当人が居ても同じことをいうのだが(そう思いたい)、お酒の勢いでとにかく面白い方に脚色する傾向もあり…。あきらかに悪習と呼ばれたら返す言葉もないのだが、代替は効かない関係性ができているとは言えよう。

「自治」

日本全体と同様、自治会・町内会は青息吐息だと思うし、画期的なエリアマネジメントがあるわけでもない。高円寺のように阿波踊りで街が一色に染まることもない。むしろ、皆が好き勝手に団結しないことがこのムラの特色だ。なので、これは決して他の街に勧められるものではないのだが…。先に挙げた昼市や研究所などの動きがあって、創発の動きとも親和している原始的な自治のマインドという方が正確かもしれない。そういえば、杉並区長が交代したことに伴い、いまウェブで「ミュニシパリズム」(選挙による間接民主主義に限定せずに、地域に根付いた自治的な民主主義や合意形成)を検索すると、やたら杉並区がヒットする。

感覚的ではあるのだが、「創発」「尊厳」「自治」の組み合わさった共同体的感覚を一言で表すと「ムラ」という言葉に行き当たったということ。

で、これを先の「吉祥寺のファスト風土化」に引き戻すと、反ファスト風土化のためには、吉祥寺がもう一度「ムラ」性を取り戻すことが必要(もしくは望ましい)のではないかということ。もちろん、乗降客数20万人クラスのターミナル駅と乗降客数 4万人弱の中央線マイナー駅を単純比較はできないのだが、例えば吉祥寺の駅周辺を「4万人が利用するムラ×5」と再定義することで、マインドが変わってくるかもしれない。

…と思ってもう一度吉祥寺を見直すと、北口サンロード、ハモニカ横丁、西側の中道通りほか商店街、東側の近鉄ウラ(近鉄はとっくにないがこの名前を使いたい)、南口の井の頭公園など、既に、ちょうどそれくらいにエリアが分かれているようにも感じる。ファスト風土化しつつ、ファスト風土一辺倒には染まらない、吉祥寺の強さはここにあるのかもしれない(この周辺に、数は少ないが個性的な商店、学習塾、そして住宅街が囲んでいる構造も着目したいが省略)。


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