大阪司法書士会による、沖縄の米軍基地問題を取り上げようとした法律講座への弾圧に対する抗議文

 私は大阪で司法書士をしています。大阪司法書士会は事業として、高校等での法律講座(出前授業)を行っており、私は一昨年、ある高校の法律講座の講師を担当しました。
 その講座のテーマは、「主権者教育」でした。これから主権者となる高校生に、今、伝えなければならないことは何かと考えた末、私は「差別や抑圧を取り除いてほしい」と訴える他者の声に「応答する」という責任が主権者にはあるんだよ、ということを伝えたいと思いました。そして、そのことを考えてもらうひとつの切り口として、沖縄に米軍基地が集中する現状と、本土の人たちに対し、その不公正を取り除くよう訴える沖縄の声を取り上げようとしました。
 しかし、私が法律講座で沖縄の問題を取り上げようとしたと知るや、大阪司法書士会の法教育推進委員会の委員長や常任理事会にチクる複数の司法書士があらわれ、常任理事会で問題視されることになりました。
 さらにそれだけにとどまらず、法教育推進委員会は、講師マニュアルを改定し、「政治的に対立する現実の話題」を取り上げることを禁止しました。
 
 昨年8月、私は大阪司法書士会に抗議文を提出しました。
 
 その抗議文をこのnoteで公開します。
 
 賛同していただける方は、是非、その気持ちを、このnoteの拡散、大阪司法書士会への抗議等で、かたちにして表現して頂けるとうれしいです。

抗議文

 貴会は、私が高校生等法律講座において、主権者教育として、沖縄の米軍基地問題を切り口のひとつとして、「2」に記載した内容の講座(以下、「本件講座」または「本件内容」という)をしようとしたことを常任理事会において問題視し、貴会法教育推進委員会は、これを受けて、講師マニュアルを改定し、「政治的に対立する見解がある現実の話題」を取り上げることを禁止する規定を新設し、法律講座で本件講座のような内容を話すことを不可能にした。
 貴会常任理事会及び法教育推進委員会による本件講座に対する圧力と介 入、本件講座のような内容を話せなくすることを意図した講師マニュアルの 改定は、マジョリティーによる構造的暴力の維持・強化に加担し、主権者教 育の理念に反する極めて不当な政治的弾圧行為であり、強く抗議する。


抗議の趣旨


1、法教育推進委員会は、講師マニュアルの「政治的に対立する見解がある現実の話題」について、「取り上げないでください」という文言等、法律講座 において本件内容を話すことを不可能にする文言を撤回せよ。

2、常任理事会は、本件講座ができないようにするはたらきかけ等、政治的 テーマをとりあげたことを理由とする講座内容への規制的介入をやめよ。

抗議の理由

1、主権者の応答責任について

 現在の日本政府が踏襲する基本方針や諸政策は、選挙権を有する日本国民、それも、「マジョリティー」である日本国民が民主的な選挙を通して選択してきたものである。そして、現在の日本政府の諸政策によって、差別や抑圧、不公正が 生じているとすれば、選挙を通してそれを取り除くことができるのも、主権者たるマジョリティーである日本国民であり、差別や抑圧、不公正を取り除くこと、 あるいは、取り除かなかったことに対する最終的な政治的責任も主権者たるマジョリティーである日本国民が負っている。
 特に、その差別や抑圧、不公正が、選挙権のない子どもや外国人、あるいは政治的少数者を狙い撃ちするとき、彼らは、多数決原理に基づく選挙制度の下では、 主権者たるマジョリティーである日本国民に自分たちへの差別や抑圧、不公正を取り除こうとする議員を選んでもらうことなしに、これを取り除くことができない立場にあるのであるから、主権者たるマジョリティーである日本国民の彼らに対する政治的責任はよりいっそう重大なものとなる。
 今の日本政府の政策によって、差別や抑圧、不公正を強いられていると主張する人たちが、「自分たちへの差別や抑圧、不公正を取り除いてください」と切実な声を発するとき、主権者たるマジョリティーである日本国民は、その声に「応答するか、応答しないか、どのように応答するか」の選択を迫られる責任の内に置かれる。「応答」とは、その声に対して、主権者として何らかの政治的判断を くだすことである。主権者として、その声に「応答しない」という選択をするこ とも可能であるが、声を聞いてしまった以上は、「応答するか、しないか」を選択する責任自体からは逃れることができない。また、「応答しない」ことも政治 的態度表明である点に変わりはなく、応答しないことによって、彼らに対する差別や抑圧、不公正が維持され、彼らとの信頼関係が破壊され、社会が相応の歪ん だ形をとるとすれば、その結果に対する政治的責任からもまた逃れることができないのである。
 主権者になるとは、国の政策決定に一票を投じることができる者として、さまざまな他者の声に対する政治的な応答責任の内に入ってゆくことに他ならない。 マジョリティーの立場にある主権者が、現在の政策や諸制度によって差別や抑圧、不公正を強いられていると主張する政治的少数者や選挙権のない者の声 を無視したり、無関心でいたりすれば、選挙を通して実現される民主主義は、マイノリティーに対する不公正な社会構造を温存させるマジョリティーによる構造的暴力に転化する危険性を孕んでいる。これから主権者となる高校生に、そのことに対する気付きのきっかけを与え、 他者の声に対する応答責任への自覚を促すことは、私が現在の主権者教育において最も重視している点である。

2、私が行おうとした本件講座の内容について

 今般、法教育推進委員会が、「政治的に対立する見解がある現実の話題」について「取り上げないでください」とする講師マニュアルの改定を行ったのは、私がある高校の法律講座において、沖縄の米軍基地問題を切り口のひとつとして 本件講座を行おうとしたことが、貴会常任理事会で「問題」とされたことが深く かかわっている。そこで、私が行おうとした本件講座がどのようなものであった かを説明する。
 学校側から「身近な法律の話と主権者教育」というテーマをいただき、前半は 高校生にとって身近な法律問題をとりあげ、後半で主権者教育を扱った。
 「沖縄の問題」を取り上げた本件内容部分は、主権者教育を扱った後半の中のさらに一部であり、当初の計画では、最後の7~8分で話すことを予定していた 箇所であるにすぎない。
 当該箇所では、これから主権者となる高校生に、主権者の責任を考えてもらうひとつの材料として、「訴えに応答する責任」をあげ、教育格差の問題と沖縄の 問題を例に考えてもらおうとした。
 前者では、生活保護利用世帯の大学進学率がそうでない世帯と比べて著しく低いことを取り上げ、選挙権のない高校生が、「親の経済力によって、夢や進学を諦めないといけない社会なんておかしい。みんなが公平に学べるようにしてください」と街頭アピールをしている姿を紹介したあと、「選挙のときに、大人たちが、こうした高校生の声などまるでないかのように無視して、景気対策など 自分たちに直結する関心事しか議論しないで候補者を選んでいたら、皆さんは そのような大人をどう思いますか?」という問いを準備した。
 そして、その後に「沖縄の問題について考えてみよう」として、以下のように 話を展開しようとした。

① まず、国土面積の0.6%にすぎない沖縄に70%以上の米軍基地が集中し ている事実を紹介する。
 そして、95年の米兵 3 人による少女暴行事件の際には、大規模な県民総決起大会が開催され、当時普天間高校3年生だった女子生徒が、「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」「今、このような痛ましい事件が起こっ たことで、沖縄は全国にこの問題を訴えかけています」などとスピーチし、当時、 大きく取り上げられたことを紹介する。(このスピーチをとりあげたのは、彼女が受講者と同じ年の高校3年生であったこと、当時まだ選挙権がなかった高校生の政治参加の実例を通して受講者に何かを感じとってもらいたかったこと、 彼女のスピーチに「本土」の私たちへの「訴え」が含まれていたからである。)
② 次にこの事件を契機に政府が約束した沖縄の「負担軽減」が果たされているとはいえないこと、返還が合意された普天間基地の代替施設が同じ沖縄県内の辺野古沖に建設されようとしていることを伝える。
 そして、普天間基地の代替施設を辺野古沖に建設することについては、「沖縄 ではなく県外に移設すべき」「市街地にある普天間基地の危険を早く取り除くためやむを得ない」などさまざまな意見があることを紹介し、「 本講座では、どの意見が正しいとか間違っているということを話しているのではない。また、皆さ んが今持っているいかなる意見も否定するものではない」ということをことわっておく。
③ そのうえで、いまの日本政府は日本の平和と安全を守るために米軍基地は 必要だという立場をとっており、「本土」の多数の国民もその立場を支持しているという事実を伝える。
 そして、自身の生活環境と比較してもらうために、県民総決起大会でスピーチした前述の高校生が、スピーチの中で、「私が通った普天間中学校は運動場のす ぐそばに米軍の基地があります」「 機体に刻まれた文字が見えるほどの低空飛行、 それによる騒音。私たちはいつ飛行機が落ちてくるかもわからない、そんな所で学んでいるのです」と話していたことを紹介し、一方で大阪は米軍基地のない都市であることを伝える。
④ そのうえで、「これからは皆さんが、主権者として沖縄の人から問われる立場になります」として、次の問いを準備した。
「『本土の人は、沖縄のことを無視しないで欲しい。日本全体の問題として考えてほしい』『日米安保体制が大切だと言うのなら、基地も全国で平等に負担し てほしい。』という声に皆さんは、これから主権者として、どう応答しますか?」
⑤ 最後に、「皆さんがこうした沖縄の声をまるでなかったかのように無視し て、今の自分の生活に直結する関心事だけを考えて候補者を選んだら沖縄の人 はどう思うでしょうか?」という問いかけを発した後、次のメッセージで講座を 終える予定であった。
「沖縄の人だけでなく、社会には、差別や不正義、不公正を解消して欲しいという訴えを発するさまざまな他者の声がある。主権者になるとは、こうしたさまざ ま他者の呼びかけに対して応答する責任の内に入ってゆくことに他ならない。 これから主権者となる皆さんには、できる限り、社会に目を向け、さまざまな他者の声にアンテナをはり、その声にどのように応答するかを考え続けていって欲しい」
 本件講座のねらいは、この最終メッセージを伝えることに尽きる。教育格差と 沖縄の問題は、選挙権のない子どもや沖縄の声に、大人や「本土」の私たちが「無関心」「知らんぷり」をすることで、された方はどのように感じるか想像をめぐ らせてもらうことを通して、他者の声に応答する主権者の責任に対する自覚を 促すために持ちだしたにすぎず、「辺野古」の問題それ自体を子どもたちに話すことが目的だったのではない。
 しかし、大変残念なことに、当日は私の時間配分のミスにより、本件講座部分を話す前に終了時刻がきてしまい、結局、本件内容部分はすべて話すことができなかった。

3、本件講座に対する貴会および法教育推進委員会による圧力の経緯と不当性

(1)経緯

 私は、本件講座は、主権者教育として、これから主権者となる高校生に伝えるにふさわしい内容であり、貴会の法律講座としても恥じない内容であると強く自負している。
 しかし、貴会は、私が「辺野古」の問題にふれようとしたというだけで、これを不当に問題視し、貴会の法律講座で、本件講座のような話ができないように、 「辺野古」などの「政治的に対立する見解がある現実の話題」を取り上げること を禁止する講師マニュアルの改定を行うという許しがたい弾圧行為に及んだ。
 私は、昨年10月に本件講座を行った当日、自身の Facebook 上に「友達にのみ公開」の設定で、「辺野古の話」をしようとしたことを記載したが、それ から2ヶ月もたった昨年12月、貴会法教育推進委員会委員長(以下、「委員長」という)は、いきなり私の法律講座を見学にきて、その帰り、「他会の司法書士」から、私が法律講座で辺野古のことを話そうとしたことに対して意見があ った旨を述べ、「これはほっとけないと思って」と述べたり、「なんでそんなこと話したの」と非難がましい口調で詰問するなどした。また、私が講座の中でどの ような内容の話をしようとしたのかや私の思いをろくに聞くことすらなく、私 が「特定の思想を押し付けるような偏向した内容は話していない」と言っても、 「学校の承諾はとったのか」「プリントは配ったのか」「辺野古のことを話そうと したのはこれ1回だけか」などの尋問のような質問を繰り返すばかりであった。 また、学校からは「内容についてはお任せする」「当日に USB でデータをもっ てきていただければけっこうです」と言われていたことを伝えても、「学校からそう言われていたからといって承諾もとらずに(辺野古のことについて)話した のか」と非難がましいことを繰り返すばかりであった。
 その後、「 他会の司法書士」 が委 員長に意見を伝えたきっか けが 、 私 の Facebook 上の投稿であったことから、私の真意を説明するため、Facebook 上 で、本件講座の詳細や私の思いなどを記した。
 しかし、その数日後、委員のひとりから、「講座で辺野古のことを話そうとし たことについて、委員長が常任理事に相談することを検討している。まずは話し 合いの席を持ちたい」との電話があり、私と 2 名の委員の間で話し合いがもたれることとなった。「複数の司法書士」が「講師の選定について考えた方がよい」 などの意見を委員長に伝えており、収拾がつかなくなっているとのことであっ た。
 話し合いの席で、私は2名の委員に対して本件講座の内容を説明した。この時、 委員から、法教育推進委員会において講師マニュアルを改定する議論があることを聞いた。講師マニュアルの改定は、本件の問題が発生する以前から話にはあがっていたそうであるが、このタイミングでの講師マニュアル改定の議論は、 本件講座を「問題」視して、その「対策」として、本件内容のような講座をやりにくくする(あるいはできなくする)ような文言を盛り込むことが念頭におかれ ていることは明らかであった。
 この話し合いの後、委員からは、本件講座が穏当なものであったとの報告が委員長にされた。しかし、「本件講座をこれまでどおり行ってかまわない」「講師マ ニュアルに本件講座がやりにくくなるような文言は盛り込まない」といった正式な知らせを受けたわけではなく、「宙ぶらりん」の状態が続いた。そのため、 私は、その後も、本件講座に対する圧力が、いかに不当で、主権者教育の理念に 悖るものであるかを Facebook 上で訴え続けた。
 すると、今年に入って、今度は、本件講座の件を常任理事会にまで持ち込んだ 会員がいたようで、常任理事会において本件講座の話題がとりあげられることとなった。常任理事に確認した事実によると、「会へのクレームの原因になることからできれば差し控えて欲しい」との意見が多数であった。
 そして、常任理事会の意向をうけて、法教育推進委員会の中で、講師マニュアルを改定する議論が再燃し、「政治的に対立する見解がある現実の話題については、保護者等も多様な見方や考え方を持っていることから、取り上げないでくだ さい」等の文言が新設され、本件講座を行うことが不可能になった。

(2)不当性

 以上の経緯から明らかなように、本件講座に対しては、他会の会員を含む複数の司法書士が、数段階にわたって、執拗に問題視する攻撃をしかけている。本件講座は、政治的に過激な内容を含むものでないにもかかわらず、「辺野古」をとりあげたというだけで、本件講座を「問題」視して、これだけ多くの司法書士が裏で動いていたという事実は、貴会(または司法書士業界)の異常な政治的偏向 を窺わせるものである。さらに、それにとどまらず、本件講座ができないように講師マニュアルを改定することは、本件講座に対する弾圧が、永久化・固定化す ることを意味する。そして、私だけでなく、現在及び将来のすべての講師がその縛りを受けることになる。「本件講座を潰すためにそこまでやるか!」という驚 きと怒りを禁じ得ない。
 しかも、委員長や常任理事会に、私や本件講座について否定的な意見を述べたと思われる「他会の司法書士」「複数の司法書士」「常任理事会に持ち込んだ会員」 の中で、Facebook のコメント欄やメール等で、私に直接、講座内容を確認した り、意見を言ってきたりした者はひとりもいない。また、法教育推進委員会や常任理事会も、私に直接講座内容を確認することもなく、私を議論の席に呼んで意見を言う機会を与えることもなかった。誰ひとりとして、私に直接何も言わない まま、裏で私の行為や本件講座を問題視し、そのことについて私に弁明の機会を与えることもなく、私の知らない「密室」で本件講座を話せなくする決定をしている。私としては、正体の分からない複数の者から、陰湿な「いじめ」を受けたような気持ちである。
 なかでも、常任理事会が、一講師の講座内容に介入し、事実上、本件講座をさせないように法教育推進委員会にはたらきかけたことは重大である。
昨年12月末の時点においては、委員長や委員らは、講座の中で「辺野古」をとりあげることについて、主として「学校の承諾」を問題としており、「いっさ い話すな」というスタンスまではとってはいなかった。しかも、委員からは本件講座が穏当な内容であった旨の報告が委員長にされている。にもかかわらず、法教育推進委員会が、政治的なテーマをとりあげることをいっさい禁止するより 規制的なマニュアル改定を行った背景には、常任理事会の意向が強く影響したと推認せざるを得ない。
 私は、3年前に、高校生等法律講座の講師登録をし、委員会からの講師募集に応じて、多数の講座を担当してきた。一方、常任理事会といっても、構成員の中には、法教育分野について通じていない会員もいたのではないか。また、貴会は、 私から何ひとつ直接、事情を聴取せず、出席した常任理事たちは、本件講座の中身、講座の趣旨、私が伝えたかった思い等、何ひとつ知らなかったはずである。 そのような常任理事会が、なぜ、これまで法律講座を頑張ってきた講師の講座を 以後はできなくするような重大な意見を軽々しく出すことができるのか。また、 本件内容に対するこのような圧力が、国や政権の意向に「忖度」し、マイノリテ ィーの告発の声を無きものにするマジョリティーの暴力に貴会が加担すること を意味する点について、どれほど深く吟味し、どれほどの時間をかけて議論を尽くしたのであろうか。もし、そうした議論を十分に尽くしたうえでの判断だというのであれば、是非 とも、その見解を公表して欲しい。もしこれらの諸点について何ら議論もせず、 「会へのクレームの原因になる」という理由で、短時間で「差し控えて欲しい」 という決定をしたのであれば、強く猛省を促す。

(3)「会へのクレームの原因となる」という理由の問題点

 ある講座内容を、貴会の法律講座で行ってよいかどうかは、あくまでも、その 内容が法教育の理念に照らして適切か否かで判断すべきであり、「クレーム」が 発生するおそれの有無で判断すべきではない。内容そのものではなく、「クレー ム」が発生する「おそれ」の有無で講座の可否を判断することは、過度の「委縮」 や「自主規制」をもたらし、政治的に偏向した一部の者がけしかける「クレーム」 によって、子どもたちに真に必要な法教育・主権者教育ができなくなってしまう ことに道を開くからである。
 戦前、ファシズムの空気が強まるにつれ、自由主義的な教育や学説が、次々と 「問題」とされ、激しい攻撃にさらされるようになっていった。その後の歴史は、 そのような「クレーム」に抗して、「学問の自由」を守り抜こうとした人々の正しさの方を証明しているが、本件講座を「会へのクレームの原因になる」との理 由で「差し控え」させようとする貴会の姿勢は、戦前のこうした時代に、攻撃を おそれ、学問の自由を放棄して、時代の空気と国家権力に迎合し、戦争協力に舵を切った者たちに通じる発想である。そのような貴会の姿勢では、この先、類似の状況に陥ったとき、学問の自由や人権を守り抜くことなど決してできない。
 もとより「炎上」すれば、その対応や処理に時間と人手を費やし、会務や日常業務に支障をきたすことになるので、そうした事態を避けたいという思いを理解しないわけではない。しかし、「クレーム」のリスクからその講座を「差し控える」かどうかは、講座内容がセンシティブなテーマに踏み込んでいる度合と、 「クレーム」が発生する具体的・現実的な可能性、講座内容を子どもたちに伝えることの意義や必要性と「クレーム」対応で人手と時間をとられるリスク、講座内容を伝えないこととした場合の不利益とを比較・検討しながら判断すべきで ある。また、禁止するよりも、より規制的でない手段はないかも検討すべきである。
こうした点から本件講座を判断すると、本件講座は、基地や「辺野古」移設の 是非そのものを議論することを目的とした踏み込んだ内容ではなく、本件講座 を行ったとしても、学校や保護者等から、「クレーム」が発生する具体的・現実 的可能性は決して高いとはいえない。一方で、後述するように、本件内容をこれから主権者となる子どもたちに伝える意義と必要性は非常に高く、逆に本件内容の弾圧を通して貴会が発することになる社会的メッセージが子どもたちに与 えるマイナスの影響は非常に大きい。よって、本件講座を差し控える理由はない。
 もちろん、今の社会状況を考えると、「辺野古」をとりあげるだけで、「クレー ム」が発生する可能性はゼロではないが、「クレーム」が発生した場合には、まずはその「クレーム」内容を精査・峻別し、正当な理由がある指摘には真摯に耳を傾けて対応すべきであるが、理由のない「クレーム」に対しては毅然と対処することを原則とすべきである。「クレーム」による責任者や事務局の負担過多を心配するのであれば、講座内 容を規制することではなく、委員会内にクレーム処理チームを設けたり、クレー ム処理を複数で担当したりするなど、委員長個人に負担が集中することがない ような対策を議論するのが筋である。
 また、本件をめぐって現実に発生した複数の司法書士からの「クレーム」については、まず、本件講座に対する「クレーム」の数と内容、それによって委員長 が強いられた負担を明らかにし、「クレーム」内容を精査・峻別するとともに、 「クレーム」への委員長の対応が適切であったのか検証することも必要である。 委員長は私に直接講座内容の確認をいっさいしておらず、そのような状態で、まともにとりあう必要のない(あるいは、本件内容を私に直接聴取することなしには正しく対応できない)「クレーム」にまで多大な時間と労力を費やして「対応」していたのであれば、そのような対応のしかたを改めることで、負担過多は軽減できるからである。常任理事会や法教育推進委員会は、こうしたことこそ「議論」すべきであり、 そのような議論を十分に尽くさないまま、私に直接本件講座の確認もしないで、 人権問題とも深くつながる現実の政治問題を法律講座でとりあげることを、一 律に禁止することは断じて容認することができない。

4、総務省は、主権者教育で「政治的に対立する現実の課題」をとりあげることの有益性を認めており、今般の講師マニュアルの改定は、「生徒が現実の政治に ついて具体的なイメージを育むこと」を妨げるものであること。

 今般改定されようとしている講師マニュアルでは、「政治的に対立する現実の話題については、保護者等も多様な見方や考え方を持っていることから、取り上げないでください」との文言が新設されたが、主権者教育において、「政治的に対立する見解のある現実の話題」を取り上げることは否定されていない。総務省 の「指導上の政治的中立性の確保に関する留意点」においても、「政治的に対立 する見解がある現実の課題」をとりあげることは、「生徒が現実の政治について具体的なイメージを育むことに役に立つなどの効果が考えられます」と記されており、否定されていないどころか、むしろその有益性が示されているところで ある。にもかかわらず、貴会はなぜこれを禁止し、その有益性を奪おうとするのか。
 では総務省が「留意」すべき点としてあげていることは何かといえば、主に① 特定の事柄を強調しすぎたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げるなど 偏った取扱いとならないようにすること、②教員が個人の好悪から一つの主張 に誘導することがないよう、公正中立の立場で指導することの2点に大別され る。
 本件講座は、この留意点に十分に配慮したものである。本件講座は、辺野古移設の賛否いずれかの主張のみを一面的にとりあげたものではない。また、そもそも、「沖縄の問題」それ自体を子どもたちに話すことを目的としたものでもない。 米軍基地が沖縄に集中していること、沖縄の人々が、「本土」の人々に対して、 「沖縄の問題を日本全体の問題として、自分事として考えて欲しい」と訴えてい ることはごく一般的な事実である。基地の是非そのものについては多様な見解 があるとしても、こうした一般的に認められている事実を通して、主権者として 他者の訴えに応答する責任について考えるきっかけを与えることが本件講座の ねらいであり、政治的に対立する見解の一方のみを取り扱ってはいない。また、 生徒のいかなる意見を否定するものではなく、当初からそのことは生徒たちに 必ず伝えるつもりでおり、講師と生徒という力関係の差を利用して、生徒が特定の見解をもつように誘導することがないように私はいつも細心の注意を払っている。
 それにひきかえ、貴会は、「辺野古」にふれようとしたことを聞いただけで、 これを問題視し、ただならぬ異様な執念を燃やして、講座の内容さえろくに確認もしないで、マニュアルを改定してまで、「辺野古」などの話を講座の中でいっさいできないようにしようとしている。貴会のこのような態度こそ、「政治的中立性」に反する「偏向」した政治的態度ではないのか。
 沖縄の米軍基地問題のような「政治的に対立する見解がある現実の課題」をとりあげることは何ら問題がない以上、本来議論されるべきは、本件内容が上記留 意点①②に抵触しているか否かである。そのうえで、本件内容に問題がなければ これを認めるべきであり、本件内容にこれに抵触する問題があるというのであれば、貴会として本件内容の改善点を指摘し、貴会の講座として認め得るものにすればよいだけである。また、研修等を実施するなどして、今後、同様の「問題」 が起こらないようにすればよいだけであろう。なぜマニュアルを改定してまで、 本件講座そのものを永久的にできなくする必要があるのか。
 沖縄の基地問題をはじめ「政治的に対立する見解がある現実の話題」は、主権者教育の有益な教材となり得る。仮に本件内容に何らかの問題があったとしても、この先、同テーマで有益な主権者教育を行うことは可能であり、いたずらに 「政治的に対立する見解がある現実の話題」にふれることを規制することは、 「生徒が現実の政治について具体的なイメージを育むこと」を妨げるものであ り、主権者教育の目的に反するものである。
 どうしても文言を設けたいのであれば、「政治的に対立する見解がある現実の話題を取り上げるさいには、偏った取扱いとなったり、ひとつの主張に誘導することがないようにしてください」といった文言を設ければ十分であろう。

5、今般のマニュアル改定は、合理的範囲を逸脱し、裁量権の濫用であること。

大阪司法書士会の法律講座である以上、その内容は、①法教育の目的・趣旨に適うものであり、②一定水準の質に達したものであることが必要である。 しかし、貴会の講座としての統一的な基準は、講師が法教育の目的・趣旨から明らかに逸脱した講座をすることを予防したり、一定水準の質を確保すること を目的とした最低限の合理的な範囲にとどめるべきである。
 法教育の目的は、何らかの「結論」を正しいあるいは誤っていると教えるのではなく、結論を導きだす「プロセス」の中に、「法的なものの見方・考え方」を 導入することによって、そのプロセスを豊かなものにすることにあると考える。
 また、主権者教育の目的は、「単に政治の仕組みについて必要な知識を習得させるにとどまらず、主権者として社会の中で自立し、他者と連携・協働しながら、 社会を生き抜く力や地域の課題解決を社会の構成員の一人として主体的に担うことができる力を身に付けさせること」(文部科学省「主権者教育の推進に関する検討チーム最終まとめ」)である。
 さらに、学校教育法においては、高等学校における教育の目標として、「社会について広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」があげられているところである(学校教育法51条3項)。
 さて、本件内容は、米軍基地の是非や辺野古移設の是非について、ある特定の 「結論」を、正しいあるいは誤っていると教えようとするものではない。これか ら主権者となる高校生は、選挙における投票等、さまざまな政治問題について、 主権者として政治的判断を下していかなければならない。本件内容は、その「結論」を導き出す「プロセス」を豊かにするものとして、「他者の訴えに応答する 責任」という視点を提供し、主権者としての政治的責任への自覚を促そうとしたものである。本土の主権者が、沖縄の声を「知らんぷり」すれば、「本土」と沖 縄の信頼関係の構築ははかれない。このように、「応答責任」という視点は、「他者との連携・協働」という主権者教育の目的に深くかかわる。また、マイノリテ ィーや政治的少数者の声への応答を考えることは、平等や公正、多数決と少数者 の尊重、人権等、法的なものの見方を鍛えることにそのままつながるもので法教育の目的とも合致する。以上のとおり、本件内容は、法教育及び主権者教育の趣旨・目的に適うものであり、貴会の法律講座の質として恥じないものである。 にもかかわらず、貴会が、本件内容を殊更に問題視し、マニュアルを改定してまで、「政治的に対立する見解がある現実の話題」を取り上げることを一律に禁 止し、本件内容を法律講座で話せないようにしようとするのは、合理的範囲を逸脱し、裁量権の濫用というべきである。

6、今般のマニュアル改定は、講師の教授の自由と講座内容の多様性を奪い、また「多様性」の理解を誤っており、貴会の「不寛容」を天下に示すものであること。

 講師の講座が、①法教育の目的・趣旨に適うものであり、②一定水準の質に達したものである限り、講師の教授の自由と講座内容の多様性は最大限尊重されるべきである。
 すべての講師が同一教材で同一内容のことしか話さない没個性的で画一的な法律講座よりも、個々の講師が、それまでの人生経験や司法書士業務を通じて培った経験や問題関心にひきつけて、伝えたいと思うことを語る方が、子どもたちの心にも響くであろうし、創意工夫をこらした多様な講座内容の実践がある方が、法教育はより豊かなものになるであろう。また、そのような講師の個性や講座内容の多様性を尊重する姿勢それ自体が、子どもたちに「多様性」を尊重することの大切さを伝える実践となる。いたずらに厳しいマニュアルを設けて、講師の個性を奪い、講座内容を画一化・均質化させようとするのは、「多様性」を尊重する趣旨に沿わない。
 今般改定されようとしている講師マニュアルにおいては、「政治的に対立する見解がある現実の話題」を、「取り上げないでください」という理由とし て、「保護者等も多様な見方や考え方を持っている」ことがあげられている。しかし、「保護者等も多様な見方や考え方を持っている」ことからなぜ「取り上げないでください」という結論が導かれるのか意味不明である。法教育・主権者教育は、「多様な見方や考え方」がある事柄について、対立を 乗り越えて、「対話・協働」し、解決策を導き出してゆく「プロセス」を育む力 を養うことを目的としているのに、「多様な考え方があるからとりあげるな」というのでは、法教育・主権者教育の放棄である。そもそも保護者等に「多様な見 方や考え方」がない事柄など存在しない。仮にあったとして、そのような事柄し か話すことができない法教育・主権者教育にいったい何の意味があるというのか。当該文言を見る限り、法教育推進委員会は「多様性」についての理解を誤っ ていると言わざるを得ない。
 また、本件内容が、「沖縄の問題」をテーマにしたといっても、その中身は、 「沖縄の問題を日本全体の問題として考えて欲しい」という沖縄の声に「本土」 の私たちひとりひとりが、どのように応答すべきか考え続ける責任があるという、政治的立場を超えて誰もが承認できるレベルの話しかしていない。貴会は、 講師が、ほんの数分、「たったこの程度の内容」を話すことさえ許容できないほ ど、講師の個性(教授の自由)や講座内容の多様性を認めないのか。今般の貴会 による本件講座に対する弾圧は、貴会がどれほど「不寛容」な団体であるかを天下に示すものに他ならない。本件講座の穏当さと比較して、貴会がこれを許容し ないレベルは、常軌を逸した異常なものと言わざるを得ず、その不寛容な態度は 「戦前」の様相さえ想起させるものである。そのような貴会・法教育推進委員会 に、子どもたちに「多様性の尊重」や憲法13条「個人の尊重」の理念など語る 資格があろうか。
 なお、クラス単位で法律講座を開催する際には、複数の講師が出向き、各クラスで同時に講座を行うことになるが、貴会の法律講座の従来の取り扱いでは、講師が各々のこだわりに応じて、クラスごとに独自の教材を使用することも認められてきた。貴会の当該取扱いは、全クラス同一教材使用による同一内容の講義 という「画一的な統一性」ではなく、クラスによって使用教材や講座の中身・進 め方は違っていても、学校から依頼されたテーマや法教育の趣旨・目的から逸脱 しないという点での「多様性の中の統一性」をめざすものとして、講師の教授の自由と講座の多様性を尊重する趣旨に適うものだった。しかし、今般改定されようとしている講師マニュアルにおいて、複数クラスで同時開催する際には、「必 ず」統一した教材を使用することを義務づける変更も同時になされた。
 当該文言も、私のような講師に独自教材で自由に講座をさせまいとするねらいと無関係でないと思われるが、規制と管理を強め、講座内容を画一化・均質化させようとする現在の法教育推進委員会の方向性を示すものであり、本件講座 程度の内容を許容しない「不寛容」(多様性の否定)と同一線上にあるものであ る。「必ず」の文言を撤廃し、複数クラスで同一開催の場合でも、学校から特に 要請がある場合を除き、講師が独自の教材を使用できるような道を残すべきである。

7、貴会の本件講座に対する弾圧が主権者教育の理念を踏みにじるものであること

(1) 「沖縄の声に対する敵対宣言」であり、子どもたちが、自身の生活のあり方を問い直し、持続可能で公正なあるべき社会の姿について考えることを妨げること。


 沖縄への米軍基地の集中や原発の地方への集中立地など、マジョリティーである中心的日本国民が、民主的選挙を通した「多数」の意思により作り上げた政治システムや社会構造が、「周縁」地域や社会的弱者、マイノリティーへの差別や犠牲の上に成り立っているのではないかと問われる場面は少なくない。国際的な構造にも目を向ければ、日本を含む「先進国」が排出してきた温室効果ガス により、温室効果ガスの排出量が極めて少ない国々が水没の危機に瀕するなど、 もっとも厳しい影響を受けると言われている。
主権者教育においては、そのような社会構造の上に成り立っている私たち自 身のいまの生活のあり方そのものを問い直し、真に公正で持続可能な社会のあるべき社会の姿を考え、その実現に向けて主権者として政治的責任を果たそうとする姿勢を養うことが強く求められる。そのために、先進国の都市に暮らすマ ジョリティーである日本国民である私たちは、今の社会構造の下で「差別されて いる」「不公正を強いられている」と主張する国内、国外の人たちの声にアンテ ナを張り、耳を澄ましてその声を聴くことが欠かせないのである。司法書士がそのような態度を養おうとする主権者教育を行うことは、学校教育法が高等学校 における教育の目標として掲げる「社会について広く深い理解と健全な批判力 を養う」こととも合致する。
25年前、米兵 3 人による少女暴行事件に抗議する県民総決起大会で、選挙 権もなかったひとりの高校生が、「今、このような痛ましい事件が起こったこと で、沖縄はこの問題を全国に訴えかけています」と「本土」の私たちに訴えかけた。その年に生まれた女性が、2016年、ジョギング中に元海兵隊員に暴行さ れ殺害された。事件をうけて開催された県民大会で登壇した21歳の大学生は、 「日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたた ちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか」と「本土」の人たちに 再び訴えた。
基地のない大阪に住む主権者のひとりとして、こうした声にどのように向き 合っていくのか、私たちには考え続ける責任がある。主権者教育の中で「沖縄」をとりあげることは、こうした沖縄の声に対する「本土」の司法書士として私なりのほんのささやかな「応答」である。また、「沖縄」をとりあげるのは、沖縄 以外の、さまざまな「他者の声」についても気づくきっかけを与えると思うからである。
しかるに、貴会は、これを「問題視」して、わざわざマニュアルを改定してま で、主権者教育の中でこうしたメッセージを伝えることを封じようとしている。 これが、先に紹介した沖縄の若者の声に対する貴会の「応答」なのか! 貴会による本件講座に対する弾圧は、「大阪司法書士会は、こうした沖縄の声 を大阪の高校生に知らせ、考えるきっかけを与えることにいっさい協力しない (むしろ妨害する)」「大阪司法書士会は、こうした沖縄の声に対して『沈黙』で 応える(会員に『沈黙』させる)」と宣言するものに他ならない。これはもはや、 沖縄の「本土」に対するこうした声に、「大阪司法書士会は敵対する」と宣言す るに等しい。基地のない大阪の単位会として、何と身勝手で暴力的な宣言であろ うか!

(2)、マイノリティーを「沈黙」させる社会構造の維持・強化に手を貸し、子どもたちの「政治的発言」への勇気を挫くものであること。

 2013年、オスプレイ配備撤回と辺野古移設断念を求め、銀座をデモ行進する翁長沖縄県知事らに対して、沿道の日の丸を手にした集団から、「非国民」「売国奴」「中国のスパイ」「日本から出ていけ」等の罵声が浴びせられた。2017 年には、東京のローカルテレビ局が、高江のヘリパット建設に反対する住民運動 に対するデマや偏見、差別を扇動する番組を放送し、大きな問題となった。ネッ ト上にも類似のデマや誹謗中傷が多くみられ、いまや「沖縄ヘイト」と呼称され るにいたっている。こうした「沖縄ヘイト」や、沖縄の基地建設に反対する人々 に対する誤解や偏見、偏向に基づく敵視や攻撃は、ますます強まっているように 感じられる。
 また、現在の「本土」の教育や報道には、沖縄の基地問題を「政治的タブー」 として、取り上げないようにしようとする「空気」が存在する。実際にはまだ何 の攻撃や圧力も受けていないにもかかわらず、漠然とした「おそれ」のみで、過剰な「自主規制」を行い、「語るな。沈黙せよ」という何者かの声に「忖度」する「空気」も、同時にますます強まっているように感じられる。講師が法律講座でほんの数分、「辺野古」にふれようとしたというだけで、複数の司法書士からの「講師の選定について考えた方がよい」等のクレームで収拾 がつかなくなり、貴会がこれほどまでに過剰に反応するのも、社会全体のこうし た異様な「空気」が、貴会の中にまで蔓延していることを示すものである。
 社会構造の中に、差別/被差別の関係が存在するとき、そこには、①被差別側のマイノリティーを「沈黙」させる構造(声をあげさせないようにする、声をあ げたものをバッシングする、あげられた声を報道しないなどして届かないよう にする)、②差別する側のマジョリティーの「沈黙」(無知、無関心、無視、黙殺) が存在する。「沖縄ヘイト」と「タブー化・萎縮と忖度の空気」は、①②を強化 する共犯関係にたっている。
 主権者教育とは、まさに①②を強化する社会的圧力に抗う力を育てることである。こうした社会的圧力にもとづく「沈黙」によって漫然と「現状」が維持さ れる限り、自らの生活のあり方そのものを批判的に問い直し、よりよい社会を実現していこうとする態度も生まれないし、他者と信頼関係を築くこともできな い。「沖縄ヘイト」と「タブー化、萎縮と忖度の空気」が強まっている時代だからこそ、「本土」に届きにくくなっている沖縄の人が発する声を伝え、「沈黙」に 対抗する「応答」の大切さを伝えることこそ必要であると考え、私は主権者教育 で「沖縄」をとりあげた。しかるに、貴会は、これに真っ向から敵対し、「沖縄の声を伝えるな」「語るな。 沈黙せよ」と圧力をかけている。貴会の行為は、「大阪司法書士会は、(①②を強 化する)萎縮と忖度の空気の方にしっかり歩調を合わせていきます」と宣言する に等しい。このような貴会に、子どもたちに「主権者教育」を行う資格があろう か。
 最近、著名人らが「政治的発言」をすることに対する「バッシング」や、社会問題について署名を呼びかけた高校生に対する SNS 上での誹謗中傷が問題にな った。こうした風潮に抗して、子どもたちが政治や社会の問題について、発言・ 行動することを応援し、勇気づける主権者教育こそ必要である。
しかし、貴会自身が、講座の中で「政治的」テーマをとりあげた講師を弾圧す るようでは、子どもたちの「政治的発言」を勇気づけることなどできるはずがな い。今般の貴会及び法教育推進委員会による私への圧力は、「政治的発言をする と、こんなことになるのだぞ!」という見せしめであり、子どもたちの「政治的発言」への勇気を挫くものに他ならない。本件講座に対する弾圧を続ける限り、たとえ、貴会員が「政治的に対立する見解がある現実の話題」を避けながら、内容的に問題のない主権者教育その他の法律講座をしようとも、貴会の講座は、子どもたちに、「時代の空気をよみましょう」「同調圧力には逆らわないようにしましょう」「国や政権の意向を忖度しまし ょう」「長いものには巻かれましょう」という社会的メッセージを送り続けるこ とになる。また、あらかじめ一定の声を無きものにしたうえで、どんなに多様性 の尊重、少数意見の尊重、個人の尊重などの綺麗事をもっともらしく語ろうとも、 欺瞞でしかない。私は、そのような貴会の法教育にはいっさい協力することがで きない。

8、「政治的に対立する見解がある現実の話題」をとりあげることができなくなることで、その他多くの事柄もとりあげることができなくなり、さまざまな不利益が生じること。

 法律講座において、「政治的に対立する見解がある現実の話題」をとりあげることができなくなる弊害は、単に本件講座ができなくなるにとどまらない。 例えば、「生活保護」についてとりあげる際に、誤解や偏見を取り除きたい思いから、「生活保護バッシング」の問題点を話題にすることもできなくなる。な ぜなら、「生活保護バッシング」の立場に与する議員や保護者等もおり、「政治的に対立する見解」が存在し、保護者等も「多様な見方や考え方」をもっているからである。また、私は、「子どもの権利条約」の普及をめざす団体で長年ボラン ティア活動をしていた経験から、なるべく子どもたちに「子どもの権利条約」のことを話すようにしており、その際には、子どもの「意見表明権」や「権利」の 方を中心に伝えてきた。しかし、子どもの権利についても、「子どもに権利を認 めるとわがままになる」「権利だけではなく、義務も教えるべき」という教師や 保護者の声も根強く、自治体の「子ども権利条例」に強く反対している地方議員 もいるため、こうしたテーマについても、取り上げることができなくなる。さら に、近年、司法書士が熱心に取り組んでいるセクシュアル・マイノリティーの問題についても、私は、「今『当たり前』になっている権利も最初から『当たり前』 だったわけではなく、過去に声をあげた人々が闘って勝ち取ってきたものであ り、今はまだ『当たり前』になっていない権利もたくさんある。権利の学びを深 め、今の社会のまだ『当たり前』になっていない『おかしい』に気づき、『当た り前』の権利にするために声をあげることのできる人になって欲しい」というメ ッセージを伝えた際、「婚姻の自由をすべての人に訴訟」(同性婚訴訟)を支援す る司法書士の取り組みを紹介したことがあるが、現在、国は同性婚を認めない立場で係争中のため、こうした話題も取り上げることができない。そして、「憲法」 についても、現在通説とされている憲法学説と自民党の改憲草案に見られる憲法観には開きがあるように思われ、「政治的に対立する見解」が存在する。数年先には、「改憲」の是非をめぐり、憲法についての「国民的議論」が必要になることも考えられるが、そのとき、貴会の法律講座は「憲法」を 取り上げることが できないことになる。
 今般のマニュアルの改定は、私にとって、単に本件講座ができなくなるにとどまらず、私が従来、こうした現実の問題に引き寄せて、子どもたちに伝えようと してきたメッセージの多くも、こうした現実の問題に引き寄せることができなくなることで、伝えることができなくなったり、伝えることが困難になってしま うのである。今般マニュアルの改定によって、私が受ける不利益は計り知れない。 今般のマニュアル改定は、講師が講座(雑談や、子どもの理解を促進するため に現実の問題を例に説明することを含む)の中で話すことのできる範囲を極端に狭めるものとなり、法教育の多面的な発展の可能性を阻害するものである。

9、マニュアル改定の決定過程が極めて陰湿かつ非民主的であること。

「きまり」をつくるにあたっては、その「きまり」によってもっとも不利益を受ける者の声をよく聴かなければならない。ある「きまり」をつくることに対し て、強く反対する者がいる場合には、その「きまり」をつくろうとする者は、そ の「きまり」が必要な「理由」を丁寧に説明し、反対する者と対話し、広く意見を求めながら、できる限り、すべての構成員が納得できる「きまり」になるよう にすべきである。
 今般の講師マニュアルは、新しい講師のための講座開催の手順や留意点を記 した一般的マニュアルの形をとってはいるが、従来、認めてきた取扱いを不可とするなど、いくつかの変更を伴っている。そして、「政治的に対立する見解があ る現実の話題」を講座の中で取り上げることを禁止する文言は、私の本件講座を 問題視して新設されたことは明らかである。にもかかわらず、法教育推進委員会 は、当該文言について、委員会で私に意見を述べる機会をいっさい与えていない。 それどころか、昨年12月末、私との話し合いの席で、私から直接本件講座内容 を聞いた2名の委員以外は、本件講座がどのような内容だったかを私から直接聞いてもいない。それでいったいいかなる「議論」ができたというのか。 マニュアルの公表にあたっても、当該文言をめぐって、私との間に深い意見の対立があるにもかかわらず、他の講師を含めて、広く議論しようとする姿勢は皆無であった。法教育推進委員会は、3月1日に行われる予定であった親子法律教室の後の登録講師との意見交流会(新型コロナウイルスの影響により中止され た)で講師から意見を聞いた後に、改定マニュアルを公表する予定だったそうであるが、当該交流会の案内には、交流会を行う旨が書かれているだけで、マニュ アルの改定案はおろか、マニュアルの改定について意見を聞く予定であること さえ事前に告知されていなかった。
 また、いつまでたっても、いっこうにマニュアル案の公表がないことから、マ ニュアルの公表予定時期や改定マニュアル案に本件講座を不可能にするような 文言が含まれているのか委員長にメールで問い合わせたところ、信じられない ことに、委員長は、1ヶ月以上にわたり、故意に返信せず、電話したところ、返信しなかった理由の説明も謝罪もなく、悪びれもせず、「その件については、私からお答えはできない。常任理事に言って欲しい」と繰り返すだけであった。こ のように、今般講師マニュアルは、強く反対する私の声などまるで無いかのよう に、徹底的に私を無視・排除し、情報を与えず、公表前に案を示して意見を聞くこともなく、法教育推進委員だけの「密室」で作成されたものである。 そして7月下旬、ようやく講師 ML において、講師マニュアルが公表された が、当該投稿には、「今般高校生等法律講座マニュアルを当委員会で作成しました」「今後講師として学校等で講義をされる際には必ずご一読いただきますよう お願いいたします」と書かれているだけで、その他の説明はいっさいなかった。 法教育推進委員会は、数年にわたり、「きまり」をテーマに親子法律教室を開
催してきた。しかし、今般の講師マニュアルの改定のプロセスは、「きまり」を つくるプロセスとしては、最低最悪である。委員たちは、自らの「きまり」につ いての法教育からいったい何を学んできたのか。このような委員会に、「きまり」 についての法教育など行う資格があろうか。

10、結語

 以上述べたとおり、「(本件講座は)会へのクレームの原因となるのでできれば 差し控えて欲しい」という常任理事会の多数意見及び、「政治的に対立する見解 がある現実の話題については、保護者等も多様な見方や考え方を持っているこ とから、取り上げないでください」という講師マニュアルの当該文言は、いずれ も極めて不当である。よって、常任理事会に対し、当該多数意見に基づくはたらきかけが誤りであったので撤回する旨を法教育推進委員会に伝え、本件講座内容への介入行為をいっさいやめること、法教育推進委員会に対し、マニュアルの 当該文言を撤廃し、本件講座を法律講座で行うことが可能になるような文言に 変更することを求める。
 貴会及び法教育推進委員会が上記要望を拒否し、正当性を主張するのであれば、貴会及び法教育推進員会に対し、本抗議文に対する見解及び本件講座が貴会 の法律講座としてふさわしくないと判断する理由を、文書で回答するよう求める。このたびの貴会の行為も、沖縄の声に対する一種の「応答」である。貴会は 沖縄に向けて公表する覚悟で回答すべきである。
 なお、本抗議文及び回答は、沖縄県司法書士会、沖縄司法書士青年の会、全国 青年司法書士協議会等の司法書士の団体や沖縄のメディアに情報提供する場合があるほか、公益性の観点から必要と判断した場合には、広く市民に向けても公開する。

※その後のこと

この抗議文に対して、後日、大阪司法書士会の役員3名と一度だけ、わずか40分程度、話し合いがもたれました。
 しかし、それは、役員が「沖縄の問題は、国と自治体が対立している問題であるので、取り上げないでくださいというのが会の立場です」と繰り返すだけのとうてい「話し合い」などとは呼べないものでした。抗議文の中で私が求めた文書による回答もありませんでした。
 また、許しがたいことに、この講師マニュアルの改定を決定した法教育推進委員会は、私の抗議文に対して、一切見解を公表しませんでした。
 
 私は、このような大阪司法書士会の常任理事会、法教育推進委員会の対応をどうしても許すことができません。  
 また、このような大阪司法書士会の下では、たとえ生活困窮者支援や養育費問題への取り組みなど、「社会的弱者」に寄り添い、「人権」を重視するポーズをとったとしても、それは自らが踏みつけるマイノリティーを無視して、「枠外」に置いた上で、「枠内」のマジョリティーの権利擁護を図る活動にしか思えなくなってしまいました。
 私は、大阪司法書士会の事業への協力を一切拒否することにしました。
 そのため、私は所属していた消費者問題と生活困窮者支援等に取り組む委員会の委員などをすべて辞職しました。
 もちろん、抗議文で、「あらかじめ一定の声を無きものにしたうえで、どんなに多様性 の尊重、少数意見の尊重、個人の尊重などの綺麗事をもっともらしく語ろうとも、 欺瞞でしかない。私は、そのような貴会の法教育にはいっさい協力することがで きない」と述べた通り、法律講座の講師登録も解消する予定です。
 委員会活動も法律講座も、私がとてもやりがいを感じていた分野でした。
 このようなことで、その分野で活躍する道を絶たれ、常任理事会、法教育推進委員会には激しい怒りしかありません。
 



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