見出し画像

自分を許して気楽に生きる

一段落ついた。2、3日後にはまた次の“山”を登ることになるだろうが、小休止できる。ありがたい。

振り返ると、この1カ月ほどで「人間とはかくも面白いものか」と実感する機会が沢山あった。

・明るく振る舞う努力をしている人、不満を常に語る人
・あの人の力になりたいと慕われる人、同情を求めようとして誰からも嫌われている人
・まじめすぎて自分を縛り苦しむ人、まじめの価値を知らず小馬鹿にする人
・自分は悪くないと思い込んで裸の王様になっている人、裸の王様を作り出している周りの人
・人の気持ちに配慮のない人、遠慮ばかりで言いたい事が言えない人
・自然な形で幸せな結婚をしている人、結婚できないのは自分が悪いのではなく良い人がいないからと勘違いしている人
・相手を理解しようと努力し続ける人、自分は相手の事が分かっていると分かったつもりになる人
・年下や格下にも言葉の丁寧な人、雑な人
・悪口や責める言葉をたびたび吐く人、横で聞いていて陰では自分が言われてるのではと恐れている人
・所作が丁寧・静か・的確な人、ぶつけたり大きな音を立てて周囲に不快を与えても気づかない人

いろんな人がいる。
こんな人がいて嫌になっちゃうと言いたいときもあるが、こんな人たちがいない世の中はあり得ない。その中で自分が気楽に生きる練習なのだ。

「あの人はいつまで経っても学ばない」と腹立つことがあったとしても、やがて人は学ぶのだ。
その時期は、今回の人生かどうかは分からない。でも必ず学ぶ時期が来る。その因果は避けられない。
傷つけた分は傷つけられ、人生に行き詰まり、困るときがくる。その時に、その人は傷つけられた人の気持ちを学び、どう生きるべきかを学ぶのだ。

さて顧みて、私自身はどうか。
変なところに拘って、勝手に落ち込んでないか。配慮した上で言いたいことをさらりと言えてるか。悪口や愚痴を言ってないか。

うん、どうも、あんまり大したことは無さそうだ。
向上を目指して努力しつつも、この程度の自分も許す。
私の性格からすれば、特段意識しなくても向上は目指し続ける。もはや強迫観念だ。休日だろうが勉強できなかった日は、そわそわする。
私に必要なのはもっと自分を許すこと。
ときに宇宙の視点から、人間の人生を見る。
世間に知られる偉業を成した人物だろうが、会社の社長だろうが、部署でエースと目される人物だろうが、一方で仕事ができないレッテルを貼られた人だろうが、
宇宙的な視点からすれば大差はない。
皆、いずれ必ず老い、死に、忘れられる。
なら、未来ばかりを見て、現状から抜け出そうとすることに囚われるのではなく、いまの自分を許し、いまの生活を楽しみ、いま共に歩むごく少人数の人々(家族や友人)を慈しむ事にもっと意識を向けよう。


そうして気楽に生きていこう。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?