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その「エネルギー」とは一体何だ

ひと月に6つも新しい講座を作るという、完全にスケジュールをミスった4月。ついに「死の講座ロード」を走り終えた!身体はしんどかったけれど、どれも充実していて、特に招致いただいた講座や、いつもチャレンジングなお題で鍛えられるホリスティック医学協会の講座など、準備も含めてとても充実したいい時間を過ごさせていただきました。


▼4月いっぱいはアーカイブにセット割引があります。5月からはバラ売りになりますのでよかったらこの機会にどうぞ。

▼初回は終了しましたがアーカイブが見られますので今からでもお申し込みいただけます。降矢先生からも「とてもいい内容です。特に14コマ目に、ホリスティックなボディワークについて素晴らしい論調になっています。」とご推薦の言葉をいただきました!いぇい&ほっ。


今月の講座は全て終えてホッとしたところで今日は終日個人セッションでした。

季節もよく、窓を開けて新緑の風を感じながら、クライアントさんの身体にそっと触れてただその働きを見ている時間。ああ・・・やっぱりわたしはこういう時間が好きだなあ・・、と身体のインテリジェンスを見守りながらしみじみと幸せを感じておりました。

セッションルームでは主に、「クラニオセイクラル」という手技療法をベースとしたタッチワークと、「ソマティック・エクスペリエンシング®」という、対話を使った身体志向のトラウマ療法の2つの基本形をベースに、状況に応じて使い分けたりあわせ技にしたりしています。

特にクラニオセイクラル(略して”クラニオ”)はとっても不思議なワークでして、ほとんど何もしていないのに、学んだ様々な技法の中でも際立って「よく効く」のです。効くとはなにか…については10記事ぐらいの連載で書く必要がありそうな話なのでひとまず置いときましょう。いつか書くかも知れないそれらにご興味をお持ちくださったらぜひフォローを。

わたしはこの「ほとんどなんにもしないワーク」が一体何にどんな機序で効いているのかがさっぱり分からず、ボディーワークの道にずぶずぶとはまっていってしまったのでした。(のみならず3年間ほど「意識」研究に没頭…)

なんら科学的でない。でも、効果に再現性がある。エネルギー保存則とか一体どうなっちゃっているんだ。(一応科学っぽい説明はあるのだけれど、実際の臨床経験ではその説明はいまいちしっくりこないのです。あとづけ感スゴイ。)

縁に導かれてこのワークを学び始めた時、先生が「エネルギー」という言葉を連発するので、リケジョであったわたしはたいそう戸惑いました。エネルギーを感じて、とか、エネルギーと繋がって、とか。何だそのエネルギーの単位は。ジュールか?カロリーか??つながるてナンや…。

物理学科で扱うエネルギーはこの物理的宇宙の法則にのっとった緻密で厳密なもの。でもどうやらボディーワークやセラピーの世界では、「とりあえず目に見えないものは全部エネルギーって言っとく」、ぐらいのふわっと加減でエネルギーを定義しているらしいと分かって遠い目になっていたあの頃。

気安くエネルギーって言うな、って思っていたよ。

ボディーワークは、何かの理論的な背景があったり、専門家によって生み出されたものは多くなく、多くの創始者は大学や学術団体にも属していません。なにか「生命の必然性」のようなものの中から立ち上がってきた独創的な技法が点在していて、ボディーワークとはなにか、どこからどこまでがボディーワークなのか、という領域の定義すら難しい形なきものなのです。その分、全体像やそれぞれのワークの関係性や、差異や共通点があまり整理されていないのが現状です。(良くも悪くも、ですね)(詳しくは上記の「ホリスティック・ボディーワーク試論」をお聞きください。宣伝よ宣伝。)

で、何しろ「エネルギー」を連発するのです。このカルチャーとの葛藤はほぼ私のキャリア中ずっと続きます。ポリヴェーガルや様々な心理学、神経科学、多種多様の療法を学び経験することで、「人が人との関わりの中で起こす本質的な変化」についてのサイエンスはかなり自分の中で整理されてきました。ばくっと「エネルギー」とひとくくりにされてきたことの構成要素とその解剖生理学的実体がや心理学的作用がやっと見えて、癒やしのビッグチャートのようなものがおぼろげに見えてきました。

が、最近また思うのです。

「エネルギーとしか言いようのないものがある」と、笑

癒やし業界は、あまり科学で突き詰めようとする人は無粋扱いされるか、頭の固いやつ扱いされるかで結構うっとおしがられることが多いのですが、わたしは科学の緻密さを愛し信じると同時に、科学の限界もよく分かっています。だから科学が正しいとも科学が全てだとも、セラピーに科学的裏付けが必要だとも全く思っていないのです。セラピーで起こることの大半は、科学で検証可能な命題でないものを多分に含んでいます。(そもそも宇宙の9割方は科学で解明できてないということが科学で分かってるわけだし。)

で、ばくっと「エネルギー」と気持ち悪く呼ばれていたものののいくらかは個人的に実体をつかんだ感触があるけれど、それでもなお「エネルギー」としか呼べない領域の、人間の生命活動ってあるよなあ!と、セッションのたびに感じるのです。

ミラーニューロンガー!とか、自律神経の共鳴ガー!とか、一瞬その正体がわかったかと高揚するけれど、それはやっぱり「エネルギー」の全部じゃない、と、臨床のフィールドに戻ると感じるのです、残念(?)ながら。

クライアントの身体に触れていて感じる、筋骨格でも、内臓でも、液質でもない、大きなうねり。それらが動いて、後から身体の組織がついていく。繰り返される、動きと静寂のリズム。「なぜ分かるのかわからないけれど分かる」、クライアントの身体の中のこと。

わたしがセッションを終えるタイミングは、時間で区切っていません。セッションが終わることを、そのうねりが教えてくれるのです。(なんというアヤシイフレーズ!すてき!科学どこ行った)

医学的視点で見たら私たちが生きているということは要素に分解できるのだと思う。けれど私たちが感じる「いのちの働き」の本体は、この訳のわからない「エネルギーとしか呼びようのないもののうねり」なのだろう。

医学的視点からみた生命を守るために、個々人の中の「エネルギーとしか呼びようのないもののうねり」は犠牲になってきた1年だった。


新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の発令決定を受けて、24日、東京都内の劇場の上演中止や映画館の臨時休館が相次いで発表される中、都内の寄席は公演を継続することを発表した。 

東京・上野の鈴本演芸場は公式ツイッターで、「4月25日以降の寄席営業について」と題して有観客での営業を発表。「東京寄席組合(鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)及び一般社団法人落語協会・公益社団法人落語芸術協会にて協議の結果『寄席は社会生活の維持に必要なもの』と判断し『4月25日以降の公演についても予定通り有観客開催』と決定いたしました」と報告した。

 新宿末広亭も公式ツイッターで「明日からの興行ですが、関係各所とも協議した結果、感染対策を維持しつつ興行を行う事と致しました。昔からの伝統芸能で今も尚途絶えずに伝わっていると言う事は、社会生活の維持に必要なものであると解釈しております。(但し今後の状況次第で何か変更ある場合は改めてお知らせ致します)」と発表した。


いいなあ、落語!分かってるぅ〜!と言いたくなる。くまさん、八っつぁんのいのちのエネルギーも、きっとうねっているであろう。それに触れ、自分の中にもエネルギーを取り戻すことは、持続可能な社会活動に参加できる自分であるために「不要」ではないことだろう。それを「必要」とする人たちにとっては。

わたしたちボディーワーカーやセラピストは、感染対策に注意し、医学的観点から見た私たちの生命を守ると同時に、その人を生き生きとさせている「エネルギーとしか呼びようのない」その人の中の命のうねりをみつめ、光を当て、身体の中でそのエネルギーがちゃんと息を吹き返すことをサポートするのだ。

そういうわけで、ボディーワークも、社会生活の維持に必要なものであると、わたしは考えています。

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