【C104新刊サンプル】これは「石丸伸二現象現象」だ――都知事選後、なぜ「蓮舫」と「若者」がバッシングされたのか(SNS叢書5巻・まえがき)

注意

本稿は、「コミックマーケット104」新刊『「石丸伸二現象現象」を読み解く:なぜ「蓮舫」と「若者」がバッシングされるのか(SNS叢書5巻)』のまえがきです。

はじめに――これは「石丸伸二現象」ではない、「石丸伸二現象現象」だ

2024年7月7日、東京都知事選挙が行われました。そもそもこの都知事選においては、現職の小池百合子候補をはじめ、元立憲民主党参議院議員の蓮舫(斉藤蓮舫)候補、元広島県安芸高田市長の石丸伸二候補、SF作家の安野貴博候補、そして種々の差別主義・陰謀論を掲げる候補や特定諸派の多数の候補など、史上最多の候補者が立候補しました。そしていわゆる「ゼロ打ち」で現職の小池候補が当選しました。

しかしそれ以上に多くの人の度肝を抜いたのが、石丸候補が蓮舫候補を抜いて2位につけたことでした。石丸候補は安芸高田市長時代からYouTubeの熱狂的な支持者によって支持され、そのメディア戦略が注目されてきた一方で、市議会議員などに対するハラスメント的な言動が、ツイッターのリベラル層においては問題視されてきました。その候補がリベラル派の蓮舫候補を抜いて2位につけました。

さらにそれ以上に多くの人の度肝を抜いたのが、そのハラスメント的な言動で問題視されていた石丸候補が、出口調査において20代以下の若年層の高い支持を得たと報じられたことでした。種々の出口調査においては、およそ4割近くが石丸候補に入れたと回答したという結果が出ました。現代の若年層はハラスメントに敏感なはずなのになぜハラスメント的な言動で知られる石丸候補に人気が集まったのか――その「事実」に政治的立ち位置を問わず多くの人が驚愕しました。

しかし奇妙なのは、そもそも世代別の投票率が公開されていない中において、あたかも20代以下の若年層の圧倒的な支持によって石丸候補が2位に躍進したと安直に言ってしまっていいのかという疑問はいくつか生まれていました。

とりわけ西田亮介氏の《だが、都知事選の年代別投票率も公表されていない状況で、非主要候補の躍進と目新しいネット戦略を安易に短絡させていいのだろうか》《しかし、選挙の結果を規定するのは、「率」ではなく「数」である。要するに獲得した票数がすべてなのだ》という指摘は傾聴に値すると思います。

しかし、本書でいくつか引用したとおり、石丸候補がなぜ「躍進」したかという分析の多くは若者論の形を取っていました。いつの間にか「現代の若者(気質)」が石丸候補を2位に押し上げた、ことにされてしまったのです。実際、先に引用した堀江宗正氏が述べているとおり、「Z世代」――そもそもこの概念自体が「自分たちにとって理解し得ない、モンスターとしての「若者」」の特徴を安直に入れるための容器でしかないのですが――に着目した「分析」が非常に多かったのです。

そして本書で採り上げたモバイルプリンス氏のように嬉々として若い世代がいかに危うい存在であるかを語ったり、あるいは和田靜香氏のように若い世代をあからさまに敵視して繋がろうとする動きが見られたりしました。

こういう状況を見て、さすがに違和感を持ったリベラルな人も多く見られました。例えば、若者論が専門分野である社会学者の富永京子氏は、

と極めて端的に状況を説明し、苦言を呈しています。また他にも、都知事選後の若者論の横溢に関して、若い世代の「ひとり街宣」を見てきた多くの人からの反論もありました。

しかし、事実として、いわゆる「石丸伸二現象」の「説明」として世代論、若者論、そして「若者論の言葉」が多く動員され、どんどん「若者」の領域に押し込まれ、左派は「若者」に対する被害者意識で連帯する――これは「石丸伸二現象」などではなく、「石丸伸二現象現象」とでも言うべきものではないでしょうか。

「いつの間にか若者のせいにされている感」の正体は、「若者のせいにしてきた事実」だ

富永氏の表現した「いつの間にか「石丸を支持する若者」のせいになってる」感じの正体はなんなのでしょうか。それに対する私の答えは、そもそも劣化言説の時代以降、社会問題を「若者」のせいにしてきた、というのがあります。

例えば、本書で再録している、日経新聞に掲載されている「ネット上のナチス賛美の言説に感化される若者」を問題した記事においては、 そもそも差別主義やナチス賛美はネット上のみならず「紙」の言論にも溢れている、それどころか「紙」の言論こそが主導しているのに、「若者」を問題視することによってそれをスルーしてしまっています(本書所収「「若者問題」の後ろで差別扇動者がほくそ笑む」)。この記事で問題視したのは、「若者」を採り上げて安直に注目を集めようとする態度です。

こういった傾向は、2000年代以降に勃興した「若者の右傾化」論、そして2005年のいわゆる「郵政選挙」とその直後に出された三浦展『下流社会』(光文社新書、2005年)の刊行によって決定づけられました。2005年の衆院選における自民党の大躍進を支えたのは、同書で取り沙汰されたような成長意欲を失った、刹那的な現代の「若者気質」であると。こういう問題設定は政治的立ち位置の如何を問わず、高度成長幻想を持っている当時の中高年層において広く支持され、そして「若者」によって自分たちの実存を脅かされているという感覚を刺激し、とりわけ左派が「若者」に対する被害者意識で繋がるようになりました(本書所収「「若者の右傾化」論の略史」)。

そして三浦がそうであったように、この頃からマーケティング系の論客が勃興し、現代の若年層について積極的に「説明」するようになりました。しかしそれはあくまでもマーケティング的な見地からで、いわば「金を生み出すための」議論であり、そして若い世代を「話の種」にすることにより自らもまた金儲けをする、というものでしかありません。しかしながら多くの人はそういうマーケッターの説明に「切れ味の良さ」を感じてしまっています。

しかしその「切れ味の良さ」は、あらゆる問題を「若者」の領域に押し込んで、自分たちを「被害者」の側に置くという差別意識が生み出したものに他なりません。それにもかかわらず、それに疑問を呈してみせる人間は極端に少ないのです。

蓮舫バッシングとの共通点と相違点

都知事選では、蓮舫候補が過去の発言の曲解から「2位にもなれなかった」と多くのメディアから嘲笑の的になりました。私はこのようなメディアによる蓮舫バッシングと、左派を中心とした若者バッシングは基本的には同じ構造だと思います。

そもそも蓮舫氏は極めて弁の立つ立憲野党(立憲民主党)の議員であった人物で、また女性であり、そして外国ルーツの人物です。そしてそのことで立憲野党嫌悪、女性嫌悪、そしてレイシズムに基づいたバッシングの標的となってきました。実際、2015年に極めて悪意のある形で蓮舫氏の二重国籍「問題」た取り沙汰されたときは、普段台湾を「親日」と言っている人たちが、蓮舫氏の台湾国籍の手続きが完了していないことを問題視し、バッシングしていました(公職選挙法では日本国籍があれば二重国籍でも問題はない。詳しくは下記)。

私のタイムラインにおいて、都知事選後に石丸候補の躍進に怯えた”オタク”系の人間には、蓮舫氏が出馬を表明したときには「蓮舫は石丸にも負けて3位で政治声明終了」を夢想していた者も複数いました。出馬直後から選挙戦後までの蓮舫氏へのバッシングには、元々立憲野党、女性、外国人への差別的な言論にコミットしていた人間が多いと思われます。そして本書で「石丸伸二現象現象」としている若者バッシングも、多くは若い世代に対する偏見で染まった左派や”オタク”系の論客から生み出されました。

「いつものように」女性や若年層を憎悪している層が「いつものように」蓮舫氏や若年層をバッシングしているという点においては、都知事選後の蓮舫バッシングと若者バッシングは同根です。実際、蓮舫バッシングも若者バッシングも、その文章は極めて「テンプレ」的です。

相違点があるとすれば、蓮舫バッシングは嘲笑、「からかい」がベースになっているのに対し、若者バッシングは憎悪、あるいは被害者意識がベースになっているという点です。元々女性差別やレイシズムに基づくバッシングに晒されてきた蓮舫氏ですが、今回の結果を受け、マスコミを中心に蓮舫氏の人気を嘲笑する、いわば小池・石丸両氏の「勝ち馬に乗る」ものと言えます。

逆に若者バッシングは、むしろティックトックやYouTubeの「切り抜き動画」、ショート動画が主流になった若い世代が牽引する「石丸伸二的なるもの」が社会を席巻する、という思い込みに基づいた「未来予測」がベースになっています。本書で採り上げた藤田直哉氏の物言いはまさにその典型です。

しかし我々が認識すべきなのは、藤田氏などの”オタク”系の論客やマーケッター系の論客は、現代の若年層の文化に対する宗主国意識を強く持っていることです。本書でも批判している、2000年代終わり頃の「ヤンキー」論はまさにそれです。「彼ら」は自分たちを語る言葉を持たないから「自分たち」がその意味を与えてやるのだ、という傲慢な姿勢もまた、石丸現象現象を支えるものなのです。

おわりに

若い世代を中心とする「私たち」の「外部」への差別意識と、マーケティング言説を中心とした「若者論の言葉」の「切れ味の良さ」への過信こそが、石丸現象現象のベースになっています。そして本書で採り上げた谷家幸子氏のように、若者バッシングが盛り上がっていることを好機として年長者としての権力を振りかざしたいという人間もいます。本書で採り上げた谷家幸子、和田靜香、モバイルプリンスの3氏は、石丸現象現象の中でもとりわけ醜悪な動きをした人間としてここで名指ししておきます。

この石丸現象現象の中において、それでも蓮舫氏を応援した一人街宣や、イスラエルによるパレスチナでの虐殺への抗議運動、そして大学の学費値上げ反対運動に立った若年層への連帯を表明した人、そして左派の石丸現象現象に疑問を持ち、苦言を呈した人に敬意を表したいと思います。そしてそういう人たちにも、我が国の「言論」が様々な社会問題を「若者のせい」にしてきた事実を認識してもらえれば筆者としてとても嬉しいです。

なお本書の性格上、過去にSNS叢書に収録した文章を再録しているものもあります(以前もミスで再録してしまったことがありますが、今回は再録にあたるものは全て意図的に再録しています)。ご了承ください。


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