「虐待」という言葉を読んで

滝川先生著「子どものための精神医学」
を読ませて頂いて
「虐待」という言葉について
書かれている文章がとても気になった。

「虐待」の言葉を当事者はどう感じるだろうかという
問いかけで書き始められている。
子どものための精神医学ということ
なので児童虐待のことを言われているのだろう。

児童虐待の定義としては
身体的虐待
心理的虐待
性的虐待
ネグレクト
があるとされている。

本書では
「虐待」とは、子育てのむずかしさからの
養育の失調・失敗という視点ではなく、
子どもへの一方的な「加害」「権利侵害」という
視点から問題をとらえる概念である。

としたうえで
このとらえかたにはかたよりがあると記し、
育児のむずかしさや、
なぜ子育てが失調するかのリスクファクターに
目を向けられることなく、
この否定的・断罪的な用語が社会に流布されたのは
問題解決のためによかったのだろうか

と記されている。
この虐待という言葉が、
親や家族にとって否定的な
言葉であることはもちろんであるとしたうえで

子どもの辛い体験の苦しみ悲しみを
しっかり受け止めて支えていくことも
もちろん大事だが

その体験を
「虐待」と名付けること
あなた(その子)の親は
「虐待者」で
あなたは
「被虐待児」だとすることは、

子どもに救済感を与えたり、
自尊感情を護るだろうか、
むしろ
不遇感・不幸感を募らせ
被害者性にしがみついて
何事にも他責的にしかなくなり、
子どもたちの抱えるメンタルの
困難さを増幅する役割しか果たさない

と記されていた。

なるほど…
たしかに
信じられないような
虐待のニュースを聞くと
信じられない気持ちになるが、

その虐待の背景に
どのような複雑な
問題が隠されているのだろうか

もちろん虐待は許される
問題ではないと思うが、
虐待という言葉
を貼られたことで、

なにか助かることはあるのだろうか。
虐待した親だけでなく
虐待を受けた子どもに
とっても
なにも救われる物がない気もする。

児童虐待が
年々増加していて、
社会問題となるなかで、

関わる児童福祉の専門家の方々は
大変なご苦労をされている

虐待をされた子が、
大人になってまた
自身の子どもに虐待をする
虐待の連鎖という
言葉もよく聞かれるが、

虐待という言葉自体
そう使わないほうが
いいのかなと
医療従事者の
立場で感じました。

言葉で言うほど                           簡単ではない問題であるが、

大変な状況にレッテルを貼るだけでは

誰も助からないのだろう…

10代20代はボクサー
30代40代は市民ランナー

元証券マン
看護師であり心理師でもあり

移動手段、通勤は走って移動する
死ぬまで走ると公言するkinokazuの
魂の記事を読んでいただき
ありがとうございました。

記事を引用・参考させていただき

勉強させていただき

ありがとうございました。

何かご意見あればよろしくお願いします。

引用・参考文献

滝川一廣著(2017)                                      子どものための精神医学 医学書院

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