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調査兵団と憲兵団、どっちが尊重されるべきか

壁を超えることが、いろいろな意味で暴力的になりうることを、私はもっと真剣に考えるべきだった。しかしまた、壁を越えなければ、あの女学生も含めて、私たちは、私たちを守る壁の外側で暮らす人々と、永遠に出会わないまま生きていくことになってしまう。ほんとうに、いまだにどうしていいかわからない。

断片的なものの社会学

いまの現実社会を生きる上で、社会を主語にしたうえでの「絶対解」はすでに存在しない。

つまり、「これだけはいいものである」とハッキリ言えるようなものは、何も残されていないということ。

進撃の巨人に置き換える。

壁の外側のことを何も知らず、また知りたいとも思わない一般的な壁内人類

エレンを代表とする壁の外の世界が見たいと考え活動する調査兵団の人
どっちが正しくて、またどっちが在り方として評価されるべきなのか。

壁の外側のことを何も知らず、また知りたいとも思わない一般的な壁内人類

無知。壁が壊されるまでは幸せかもしれないが、井の中の蛙状態。
比較がないから幸せ、無知であるということも特別意味をなさない。無知であるのは悪いことではない。

エレンを代表とする壁の外の世界が見たいと考え活動する調査兵団の人

分断が発生。マイノリティであるがゆえの苦しみ
革新性、精神の自由さ、価値観の多様さ。この社会を大きく変容する可能性がある

結論

どっちがあるべき姿かという問いについて、社会としての回答は、「異なる存在とともに生きることの、そのままの価値を素朴に肯定すること」がどうしても必要な状況。

→絶対解は残されていない・つまり、各人の在り方が尊重されるべきということとなる。
どちらが大切ということではなく、どちらも欠けている。

当事者の意思は最大限尊重されるべき。

私は

大切なのは、主語を自分とすること。
個人個人がどうありたいのか。

まず、無知の知に気づいたのであれば、徹底的に知識・教養を含蓄したり、起業するなど自己と社会に対してアクションすることが重要だと思う。

無知の知に気づきながら、そのまま目を背け無知であろうとするのはただの怠慢だと感じる。

私は、エレンを代表とする調査兵団と憲兵団どちらでありたいか
→調査兵団でありたい。

壁内に居続ける限り、いつか巨人に食われてしまうのは明白だ。それがいつなのかはわかんないものの

長い目で見れば、社会の役に立つのは、前者の生き方である。そして、後者と比べ数がまだまだ足りていない。

無駄ではないか、苦しむ人が増えるだけという批判については、上述した、各人の在り方が尊重されるべき」という主張になる。

良い社会とは

定義はたくさんあるが、

よい社会とは文化生産が盛んな社会というのは間違いない
映画・アニメ・漫画・音楽・芸術、などのジャンルですごい作品を産出されまくる社会は、それがない社会よりもいい社会といえる。

1人の天才のために、その他大勢の敗退してしまった人々の人生が多く出るぞ!
それは、そう。負けてしまったら何も手に入らないというのもまた人生。
しかし、敗退したとしても人生は続くし、生きてる限り他人に影響は与え与えられ、誰かにとって意味のある人生となるんじゃないだろうか。



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