心残り
数年前に、一緒に舞台の仕事をしたAさんが、職場を退職された。
そんなAさんが、丁寧に退職の挨拶メールをぼくに送ってくれた。
その中に、「またぼくの舞台作品が観たい」という、涙が出るような嬉しい文言があった。お世辞だとしても、嬉しいものだ。
さて、ぼくは再び舞台作品を作ることがあるのだろうか?
ちょっと夢のない話だが、舞台作品を作るというのは、本当にきつい。
無い才能をなんとか絞り出しながらやっていたぼくのような人間には、なおさらきつい。
時間も体力も、酷い時にはお金も、舞台の神様に捧げなくてはならない。
そこまで尽くしても舞台の神様は気まぐれで強欲だから、そう簡単には振り向いてくれない。
まして、芸能大手系ではなく、ニッチな実験的作品作りをするのは、損得勘定すれば、始める前から負けが見えている。
まあ、そんなの関係ねーと気心知れた仲間とわーきゃー言うのが楽しいのだけどね。
舞台はストイック第一主義がまかり通る業界である。時間厳守、挨拶必須、上下関係上等!の世界だ。
そして、ぼくはそんな軍隊みたいな組織が嫌いだ。
こんなことを言っては何かと申し訳ないのだけど、ぼくの中にはいつも舞台をやめたいな、という気持ちがあった。
そもそも、ずっと「なんで俺はこんなことをやっているのだろう?」と思っていた。
でも、そう思う度に、もう少しやってみるかと思わせてくれる人や作品が現れて、重荷を背負うつもりで続けていた。
そんなぼくではあるが、たまに期待してくれる人が現れるので困る。まあ、本音では、それを喜んでいる自分もいるのだが。
今、何か作れと言われても、良い案が浮かばない。
ただ、心残りだなと思っている企画がある。
ぼくはその女性を音響スタッフさんとして知った。
彼女は、しっかり仕事してくれるけど、適度に緩くて、親しみやすくて、そういえば、ぼくの実家に来たこともあったっけ。
少し経って、実は彼女が脚本家、演出家としても、とても良い仕事をされている方だと知った。
小さな劇場を主戦場としていたけど、仮にNHKのドラマの脚本を任されても既存の作品となんら見劣りしない作品を書いただろう。
彼女の作品には、都会の片隅に生きる孤独な人達が良く登場して、なんと言うか、ぼくの語彙力で、彼女の作品の素晴らしさを言い表すことは難しいのだけど、自分も劇中の人物達のような思いをしたことがあるので、よくぞこういう機微を作品化できるものだなといつも終演後、感動と共に感心していた。
そんな彼女だが、ある時から体の不調を訴え始めた。それでも彼女は作品を書き、演出した。
そんな時に彼女から、ずっと言えなかったのだけど、一緒に作品作りをしたいとのお誘いを受けた。
彼女がぼくのことをそう評価してくれているとは全く思っていなかったし、彼女の作品世界と自分の作品世界がどうリンクするのか、うまく想像できなかったが、やってみようと思っていた。
スケジュールや企画のアウトラインを検討し始めた頃、彼女はお亡くなりになってしまった。
彼女のことを慕う同業者は沢山いて、ぼくも出棺の前の彼女に会いに行った。
病床から、何度も何度も詫びのメッセージが送られてきた。
再び舞台作品を作る気力と体力が自分にあるのか分からないけど、彼女との企画が実現されなかったのは残念だった。
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