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ヨガは伴走者のようなもの

体を動かしていないとなんか調子が悪いという人は一定数いると思う。僕もその一人だ。

本当はバスケが凄く好きだけど、バスケゴールも近所にないし、そもそも一緒にやる仲間がいない。僕はそんなに多くの人間関係を必要とするタイプじゃないけど、バスケ仲間は欲しいなあと40歳を目前にして思うのだ。

一人でもすぐに出来て、体にもメンタルにも効果抜群なのがヨガだ、と僕は思っている。

大袈裟かもしれないが、ヨガがなかったら、僕はこれまでの人生のどこかでつまずいていたかもしれない。

あえて詳しく書く必要もないが、昨年の夏頃から僕には新たに没頭するものが必要だった。

そこで、それまで時間の無さを言い訳?理由にして、いつかじっくりやってみたいと思っていたアシュタンガヨガの練習を始めてみた。

アシュタンガヨガはレベルによって、いくつかのシリーズに分かれているのだが、プライマリーシリーズという第一段階のシリーズでもかなりきつい。
僕は未だにやり通せたことがない。ハーフプライマリーという、いくつかのポーズを抜いた簡略化したシリーズでもやっとだし、出来ないポーズだらけだ。

慢性ギックリ腰の危険をはらんだ僕の腰は、いつまたゴキっといくか分からないので、ひとまずはアシュタンガヨガの初めにウォーミングアップ的に行う太陽礼拝ABだけでもやろうと、昨年の夏頃からほぼ毎日継続して練習している。我ながらに中々偉い。

最近、筋力もつき、少しは柔軟性も増して、行うポーズも少しだけ増えたものの、YouTubeや本を頼りに行う自主練に少し飽きてきているのも事実。以前は週一休みだったのが、週ニ休みにすることもチラホラ、増えていたポーズも今日は太陽礼拝ABだけで良いかとさぼる日も増えてきてしまった。

そこで思うのは、そもそもヨガって何だろう?何の為に俺はやってるんだろ?という疑問だ。

ヨガはアクロバティックなポーズをとる練習は手段の一つで、本来は呼吸法や瞑想などを用いて悟りを開く為の訓練だ、とされている。

YouTubeでヨガ哲学と検索すると、いろんな人がいろんなことを語っている。妙にスピリチュアルな方向に傾倒し過ぎているかなと個人的に思うものもある。

僕のような煩悩を持て余した人間ではなく、更に練習を重ねた方達は、そういう境地に達する方もいるのだろうと思うけど、今のところ、僕自身が今の時代をより良く生きる為の手助けになって欲しいという思いと、好きな酒を好きなだけ飲む為の免罪符として、僕はヨガを行っている。

日本のアシュタンガヨガの第一人者と言われるケン・ハラクマさんの本に
「ヨガは目的ではなく、手段である」
って言葉があった、多分。

僕はこの言葉が凄くしっくりきた。

ヨガには、明確にゴールがあるわけじゃないし、誰かに強制されるわけでもないし、もちろん競うもんでない。
皆におすすめというわけじゃないかもしれないけど、ままならない凝り固まった思いが体にくっついて困っている方は一度やってみると良いかもしれない。
きっと、あなたの良い伴走者になってくれるはずだ。僕にとってそうだったように。


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