一度、騙す側に回ってみては?疑うことの意味について

何年か前、とある商売をする為に、いくつかの小さなフリーペーパーやweb媒体にインタビュー記事を載せて貰ったことがある。

すると、何人かの知人から、「載ってるの見たよ!凄いね!」と声をかけられた。
凄いね!と言われれば、ひねくれ者のぼくだって、そりゃあ、悪い気はしない。

インタビューして貰い、別の場所に移動して、またインタビューなんて、忙しくしていたら、まるで芸能人みたいだな、と思って調子に乗っていたら、ふと思った。

あれっそもそも、何の為の広報活動なんだっけ?
そうだ、思うように売れてないからか…と落ち込んだ記憶がある。

ラーメンズの小林賢太郎さんが、著書の中で、「凄いですね、舞台のCMテレビでやってるの見ましたよ!」と、ある地方で、そうお客さんから声を掛けられたそうだ。だが、それは違うだろうと。
その地方でのチケットの売れ行きが悪くて、お金を払って、テレビCMを打ったのだ。
テレビという箱の中に映るだけで、無条件に凄いと思い込んでしまうのは問題だ、という旨のことを書いておられた。

こうして、売る側の視点から、世の中のテレビや雑誌などの媒体を眺めてみると、売れる物やサービスを人為的に作ろうとしている流れがあるのだ、と実感することができる。

例えば、ある時期、元サッカー日本代表の中田英寿さんが日本酒をプロデュースするみたいな企画を方々の雑誌で、同時多発的に見かけた時があった。ぼくはそこに、売り出す側の仕込みを感じた。

中田さんが実際どこまで関わられているのかは知らないが、広報チームが自分達の予算と、その中で可能なキャンペーンを練って打ち出した企画なのだろう。

また、改めて言うまでもないことかもしれないけど、ファッションのトレンドというのも業界的な申し合わせがあるのだと、どこかで読んだ記憶がある。

最近流行っている無地の白T。
末端の消費者は、最近、街で無地白T着てる人多いなあ、wearとかでも見かけるなあ、よし、一つ俺も、わたしも、買ってみるか、という流れになる。はい、ぼくも買いました。

でも考えてみれば、いろんなメーカーがこぞって同じようなデザインを同時に出すのは偶然とは考えられない。流行を誰かが作り出している、と考えたほうが自然だと思う。

大袈裟に言うと、消費者の行動をコントロールしようという意図を持っている人達がいるってことだと思う。

さて、ここからは、ただの妄想です。

仮に大衆をコントロールしようという意図をマーケターではなく、為政者が持っていたとしたら?

ぼく達の常識も、美意識も、正義も考えてみれば不確かで、実態のないものだ。
それらはフニャフニャしているものだから、意識しておかないと簡単に誰かの意図に染められてしまう。
例えば、若い子達に流行っている韓流風なファッションやメイクも、数年後には古い、と言われてしまうのだろう。

逆に考えれば、テレビでもネットでも良いが、それらの装置を使って、継続的に影響を与え続ければ、人のフニャフニャした価値観など、意図的に操れるのだ。

マスクはスタンフォード大学だかの研究で、コロナの予防効果にほぼ意味がないというエビデンスが取れた、とどこかで読んだ。

にもかかわらず、肌感覚だと、約99%の人がマスクをしている。
良く分からないけど、他人様に迷惑かけちゃあいけない、という日本人の美徳がなせる技だろう。取り敢えず、科学的な根拠なんてものは、どうでもいいのだ。

今日も、ぼくが知り合いの老人と世間話をしていると、「インドの変異株が見つかったんだって。もっと強烈な制限を政府が出来るようにならないとダメだよね。」と、真面目な顔して、興奮気味に言うのだ。
老人は、そのことの危険性には考えが及んでいないのだ。それは、あなた自身の行動をも制限できるものなのだ。
きっと、暇に任せてテレビを見ていると、そう声高にキャンペーンする人物がいたのだろう。

悲しいのは、こういう方ほど、人を疑うことを知らない、気の良い真面目で優しい人達なのだ。

でも、良く良く考えてみてください。

あなたの中にも悪い心はあるでしょ?それを使って人を騙そうと考えてみた時、あなたはどんな手段をとりますか?

それをやられているとは思いませんか?

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