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人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。

太宰治の「右大臣実朝」という作品の中に、

平家ハ、アカルイ。(中略)アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。

という一説があり、吉本隆明さんの著作の中で、吉本さんが好きな言葉だと紹介されていた。

ぼくは吉本隆明さんの名前は知っていましたが、その著書をちゃんと読んだことがありませんでした。

2021年6月の今、一見すると社会は、常にマスク着用が半ば強制的に推奨されたり、コロナ不景気に怯える以外は(これらも大いに脅威なわけではありますが)、表面的にはそこまで変わっていないように見えます。

しかし、個人的には、全く先の見えない未来に対して、どういう態度で生きていけば良いのか全く分からない、というのが正直な気持ちです。
ぼくが瞑想や運動に精を出すのも、この不安な気持ちの現れなのでしょう。

恐らくいつの時代も、これを信じて、この通り行動しておけば大丈夫、という絶対的な指針などないのでしょうが、いつ収拾するか分からない感染症、実態不明のワクチン接種の推奨、なにか社会の考え方も画一化の一途を辿ってしまっているのではないか、という不安を最近覚えています。

そんな昨今、ふと本棚を見ると、以前家族に勧められた吉本隆明さんの著作があり、読み始めてみると、これはまさに今のことを書いているのではないか、と腑に落ちるものがありました。

その本の中で紹介されているのが、冒頭の言葉です。

人は好んで暗いものを見ようとはしません。できるなら、明るくポジティブで希望を見出せるものを見たいはずです。

吉本隆明さんは、戦前と戦後を堺に、突如価値観が180度ひっくり返ってしまったというご自身の経験を元に、戦前、戦中の文学者達が果たした役割を検証されているのだそうです。

戦前や戦中のリアルな空気感は、実際にその時代を生きた方にしか分かりません。
後の時代に生きるぼく達が想像すると、戦争の気配が近付くと、さぞや社会は暗雲立ち込めるような、重く暗い雰囲気が覆っていたのかと思いきや、実際に当時書かれた新聞や雑誌を参照すると、もの凄く明るく、ある種社会が躁状態だった、と伝えるものもあります。

では、今はどうなのか?

依然として社会には暗さがあり、他人様のことはぼくには正確には分かりませんが、ぼく個人を見れば、そこにはもちろん暗さがあります。

むしろ、その暗さをどこかに追いやり、無かったことにし始めたら、いよいよやばいことになって来た、と思う時なのかもしれません。



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