死んでもそれは生えて来る

週末は雨が降っていた。
湿気が多いと、途端に私の体の具合は悪くなる。体のどこもかしこもが重くて怠い。
きっと私がイギリスに住んだら、始終雨が降り続くといわれる彼の地で、私は早々に発狂することだろう。

週末に私はなんとか風呂には入ったが、髭を剃る気力はわかなかった。

月曜日になり、仕事に行く為に仕方なく、髭を剃らねばならない。朝起きて、ただでさえ不気味で醜い己の顔を見るのに気が滅入るというのに。
三日ほど放置した髭は、まばらに顔に広がっていた。顎の下はぎっしりと密度高く、頬にはところどころ長い髭が生えている。

主人である私の生命力がどんなに弱ろうと、そんなことはお構いなしに、私の髭は、その旺盛な繁殖力で顔の下半分に生い茂っている。

私が初めて使った電気シェーバーは兄の形見だった。

髭剃りに手を焼く年齢になる前に、私は家を出てしまったので、どう髭を剃ったものか誰にも教わりはしなかった。もっとも、父親から髭剃りの方法を伝授される息子というのは、どれくらいいるものなのだろうか。

私が兄の病室に入った時にはもう兄は実際には生きていなかった。
ポチッとスイッチを切れば、兄の人生は終わった。
しかし、私が帰るまで兄はなんとな延命されていた。

兄の枕元に、その電気シェーバーは置かれていた。当人の意識があろうがなかろうが、そんなことお構いなしに、髭やその他の体毛は伸び続けるようだ。意識の無い兄に久しぶりに対面して、私が思ったことはそんなことだった。

次の日の早朝に兄は帰らぬ人となり、私は母から兄の電気シェーバーを貰った。
その電気シェーバーは兄が入院することになり、急遽用意したものなので、まだ新品同然のようだった。
一体、母はどういう気持ちで意識の無い兄の髭を剃っていたのだろうか。

兄の形見になったその電気シェーバーには、兄の髭が残っていた。
砂鉄のような兄の髭。シェーバーには兄の皮脂と思われる滑りが残っていた。

死んでもそれは生えて来る、あなたよりもこの世界に未練を残して。

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