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「自分なんてまだまだ」と言う人達は、まだまだじゃなくなる道筋が見えているのだろうか?

ここ数日、サッカー日本代表の密着映像をJFA公式YouTubeチャンネルの"team cam"が毎日更新してくれるので代表ファンとしては、とても楽しい。

さて、その中でゴールキーパーの川島選手の発言に興味を引かれた。

それは、先日の10-0で大勝した日本対ミャンマー戦後のインタビューに川島選手が答えたものだ。
正直、実力差の大きい相手だったので、試合という意味では、そこまで引き込まれるゲーム内容ではなかった。10-0という点差からも、その試合内容は伺えるだろう。

多くの選手が、素直に大量得点の喜びや手応えと共に、次の試合への意気込みを語っていた。
最近の代表達は、インタビューでの言葉選びも上手いもので、受け答えも洗練されている。
ヨーロッパのチームに籍を置く選手がほとんどだから、そういう面でもチームの中に手本となるような選手がいて、彼らの立ち振る舞いから代表の選手達も学ぶことが多いのだろう。

さて、前述の川島選手は何と発言したのか?

一言「まだまだですね。」と言ったのだ。

語弊を恐れず言えば、「まだまだ」という展開など、ほぼないくらい圧倒的な展開であったのにも関わらずだ。
(たしかに一箇所、川島選手がミャンマーの選手に寄せられて、危うくボールをロストしそうなシーンはあった。)

また別な動画でも、こんなシーンがあった。

JFAでコーチを務めるかつての代表正ゴールキーパー川口さんと、川島選手が何やら話をしていて、川島選手が若干川口さんを持ち上げ気味に「偉大な先輩です。」と言うと、川口さん「いやあ、とっくに俺なんか超えてるよ」と答えると、川島選手「まだまだですよ。」と。

ここにも出た川島選手の「まだまだですよ。」

team camのスタッフも、この川島選手の「まだまだですよ。」を推したいのか、動画の中に恐らく意図的に入れ込んでいる。

「まだまだですよ。」という発言に天邪鬼なぼくは考えてしまう。

どういう過程を経て、何が達成されれば、「まだまだ」ではなくなるのか?
また、「まだまだ」と発言する当人は「まだまだ」ではない状態にたどり着く為の道筋が見えているのだろうか?

よく伝統芸能の世界などでは、もう70歳過ぎの方でも、「自分なんてまだまだ未熟者ですから」と言うらしい。
ここに、ひたすら謙遜を美徳する日本人の、少しずるい慣習を見てしまうのは、ぼくだけだろうか?
本当に「まだまだ」だと思うなら、ゴールをしっかり設定して、どれくらいの時間や労力などのコストを払えば達成できるのか、その算段を立てなくてはいけない。
そして、費用対効果を考えて、それがあまりに無謀な場合は、別のゴールを設定したり、別の方法を試みるべきではないのか。

一見、美徳とされる謙虚さを表す「自分なんてまだまだ」という発言が、かつての日本人が良く陥る、ただ曖昧に霧の中を突っ走るような行為に繋がっては欲しくない、と思う。

川島選手の「まだまだ」発言に、勝手ながらに天邪鬼な連想を広げてしまいました。
恐らく、川島選手は、ぼくが考えたような意図などなく、本当に、更に選手としての質を高めたいというか思いからの発言だと思います。

まあ、そんなのさておき、頑張れ!日本代表、応援してます!

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