短編小説「夏の日の落下」
都庁の近くの小さな集会室で、ぼくは手話を教えていた。
手話講師は、ぼくの本業ではない。
ぼくの本業は、レントゲン技師だった。
レントゲンが壊れて修理を依頼されれば、ぼくはどこにでも出向いた。
腕の良いレントゲン技師だったと自負していたのだけど、3年前に咽頭癌が見つかった。
レントゲン技師の仕事と発癌の因果関係を疑ったが、その証拠は何も見当たらず、ぼくは次第に職場の中で浮いた存在となっていった。
咽頭癌の手術を終えて、経過も良好だったのだが、何故かぼくは声を失ってしまった。
担当医に、
「いつ頃喋れるようになるんですか?」
と、ノートに書いて尋ねると、担当医は
「もう声は出るはずですよ、もしかしたら、他のことに原因があるのかもしれません。例えば、対人的なストレスとか」
と答えた。
対人的なストレス。
たしかに、ぼくはもともと人と話すのが得意ではないし、大きな声で喋る奴が嫌いだ。
であれば、ぼくの喉は、ぼくが誰かと喋るという行為は、もうぼくには必要ない、と見定めてしまったのかもしれない。
担当医はぼくの浮かない顔を見て、ぼくに手話を勧めた。ぼくが浮かない顔をしているのは、何も今回の病気のせいではなくて、生まれつき、ぼくは浮かない顔をしているのだ。
ただ、他にやることも思いつかないので、ぼくは手話を習い始めた。
実は喋れないというのは、そこまで不便ではない。
そりゃ、歌手だったり、漫才師だったり、喋ることを生業にしている人達にとっては、お先真っ暗かもしれないが、ぼくのようにもともと、あまり人と喋る必要の少なかった人間にとっては、あまり生活は変わらない。
だから、手話は必要に駆られてというよりは、新しい趣味でも始めるような感覚で始めた。
手話の作り出す静寂な世界は、ぼくの性に合っていた。
もちろん、決められた手の形、手の動きがあるのだが、段々と数をこなしていくと、ぼくは相手の手の動きからではなく、相手の姿全体からメッセージを受け取れるようになっていた。
それは相手のオーラを感じとるようなものなのかもしれない。もちろん、そんなことができるようになったと誰かに言っても気味悪がられるだけなので、誰にも言ってない。
その日は、蒸し暑い日だった。
ぼくは少しづつ、手話講師の仕事を始めていた。
いくつかの小さな手話サークルの講師をして、一人なら生活できるくらいの収入を得ていた。もうレントゲン技師の仕事は辞めていた。
都庁近くの集会室に向かう途中、新宿の高層ビル群を見上げると、とても高い階の窓を清掃している人の姿が目に入った。
まるで曲芸師のように、一本の命綱をつけ、ビルの側面をビヨーン、ビヨーンと軽快に闊歩している。
ヘルメットの下から、ポニーテールにした長い髪の毛がはみ出している。曲芸師はどうやら女性のようだ。
彼女は一人だけ重力の法則がぼく達と違うのか、軽々とビルの側面を飛び跳ねている。
しかし、次の瞬間、曲芸師の命綱が切れた。
そして、曲芸師は真っ逆さまに急降下して、ぼくの足元に落下した。
曲芸師は前衛彫刻のような奇怪な姿で、ぼくの足元で固まり、続いて血が流れ始め、血の水溜りができた。
ぼくは叫んだ。
それが、咽頭癌を患った後に、初めて出た声だった。
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