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#2 ラオス、トラブル、そして若い僧侶との出会い

トラブルと出会い

ある晴れた暑い日、僕はラオスの山中で途方に暮れていた。
ラオスの首都ビエンチャンからルアンパバーンに向かうバスが壊れ、僕を含む乗客が放り出されたわけです。
GPSを見るとちょうど中間地点くらい、有名観光地のバンビエンを超えて山を登ろうとしていたところで、歩くには難しい距離でした。
お金のある観光客は通りがかる車やバスを$80から$100くらいでヒッチして向かっていたが、僕みたいな貧乏金なし旅行者と現地の人たちだけが取り残されていました。

バスドライバーに「バス会社で代わりのバスは用意できないの?」と聞くと、
『それは難しいね。俺も帰れないんだよ...』と。
そこから日本人1人+ラオス人11人のサバイバルが始まった。

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サバイバルといっても非常に簡単で、”待つ”だけ。
12人が乗れて、かつ格安で乗れるバスやワゴンを待つのみでした(笑)
暑さや水不足は大変でしたが、そこはボーペンニャン(ラオス語で「問題ないよ」「なんとかなるよ」の意味)の精神でした。

日本人は珍しかったのか、気を使ってくれたのか、周りの人が一様に話しかけてくれました。
日本のこと、仕事のこと、家族のこと、ラオスに来た理由、なぜ日本人なのに金がないのか(笑)などなど。
英語からラオス語に通訳をしてくれたのは、ルアンパバーンに帰省中の若いお坊さん2人で、いろいろと世話を焼いてくれました。

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若いお坊さん2人は、フォンサイさんとヤイさんで、ラオスからタイの国立仏教大学であるマハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学に留学中の2人でした。
『まさかこんな業(カルマ)に遭遇するとは思わなかったよ』
会話の節々に達観した言葉が返ってきて、さすがお坊さんだなぁと感じつつ、3人でいろいろなことを話し合いました。

放り出されて4時間くらいが経過したところで、一台のバスが通りかかり、ドライバーさんがこちらに話しかけてきました。
ラオス語だったので全く分からなかったけど、周りにいるみんなが笑顔になったので、これはどうやら助かりそうだな。と安心した記憶があります(笑)

交渉はすべて若いお坊さん。ドライバーさんの『OK』の言葉で、みんなで『『イエーイ!!』』とハイタッチ!(笑)
そのあと、みんなが僕の方を見始めたので、何かあったか?と思っていたら
『スズキは、外国人だから少し高くなるんだ...。5万キープ(約700円)でも大丈夫?』
「もちろんボーペンニャン!!」
その言葉で、みんなで手分けしてバスに荷物を入れ、無事出発しました。

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道中、普段は見れないような農村や人々の生活をお坊さんのローカルガイドで楽しめました(笑)
涼しく快適なバス内では、ほとんどの人が爆睡状態で、4時間くらいで目的地のルアンパバーンの郊外にあるバス停に到着。
共にしたラオス人の皆さんからは、『スズキ、良い旅を』『これでラオスで生活できるね』とラオシャンジョークが飛びかいつつ、12人のサバイバルは無事終了しました。

帰り際に、お坊さん2人から『ルアンパバーンで予定がないなら、うちの寺に遊びにおいでよ』
ラオスのお寺・お坊さんと過ごす日々、これは楽しそうだと二つ返事で答えた僕のルアンパバーンの滞在が始まった。

古都ルアンパバーン

街全体がユネスコ世界遺産に登録されており、欧米人をはじめ世界各国から観光客が訪れている街。早朝には僧侶たちの托鉢が行われており、ラオスの文化に触れることができる人気のスポットである。

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ひょんな出会いから普通の旅行者で味わえないようなことを体験することができました。
彼らと過ごすことで、彼らの生活や悩みなんかを共有でき、
いかに自分が恵まれているか、文化の違いがあるか、日々を見つめなおし、僕自身の人生を変える出来事であったことは間違いないと思います。

①朝のお勤め

ルアンパバーンでは、朝に僧侶たちの托鉢が行われます。彼らは早朝4時ごろ起床し、掃除などを終えてから街に托鉢に向かいます。僧侶にご飯をお渡しするのは、地元住民に混ざって旅行者も体験できるらしいです。

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2人は上座部仏教の中でも厳格な方らしく、午後は食事することができず、朝と午前中に食事を済ましてしまいます。昼間はココナッツ水は大丈夫とのことで、一緒に買いに行きました。
「托鉢ではどんなものがもらえるの?」
『カオニャオ(もち米)とか野菜とかだね。外国人からはお菓子ももらえるよ』
「ぶっちゃけ、何が嬉しい?」
『いただけるものに優劣はつけられないよ。ただお菓子や袋麺は気分が高鳴る』
「なるほど(笑)」

②地域への貢献


昼間は地域の皆さんに対して布教活動や貢献活動を実施します。
ルアンパバーンの街にはたくさんのお寺が存在していますので、それらのお寺を回って活動します。
例えば、語学の先生。布教活動をする彼らはマルチリンガルで、自分で話せる言語を地元の子供たちに教えています。
一緒にいた2人は、ラオス語・タイ語・英語・パーリ語・サンスクリット語ができました。(下の写真は韓国語の授業)

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仏教の歴史や教えを観光客に対してガイドもしているそうです。
それにお寺にいると多くの地元に人に呼び止められていました。おみくじの解釈や願い事・悩みについて、しっかり聞きアドバイスをするそうです。
本当に突然『コートーッ(すみません)』と呼び止められ、その場で真摯に時間をかけて話をきいていました。

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③青年の悩み


仲良くなるにつれて、悩み多き青年らしい質問が多くなってきました(笑)
一番多かったのが恋愛についてでした。
『スズキは彼女いるの?』
「ついこないだ別れたんだ。だから旅にも出てるんだよ」
『そうなんだ。付き合っていた時はどんな遊びしたの?』
「映画観たり、食事したり、おしゃべりしたりだよ」
『そ、その彼女だからアレとかもするんだよね...?』
「アレ?(まさか)」
『手をつないじゃったり...///』
「一緒に歩いたりするときは手をつないだりするね(そっちかーい)」
『『キャー///』』
なんていうめちゃくちゃピュアな質問が飛び交っていました(笑)マジで。若くして出家した彼らは、女性と触れ合うことが禁止されています。
当然、実の母親もダメだそうです。
実際、2人の幼馴染の女の子が遊びに来たことがありましたが、少し距離を取っておしゃべりしていました。

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僕からしたら、なぜそんな厳しい世界に飛び込んだのか気になっていました。
「なんで、2人は出家したの?」
『みんなのためだよ。人々のためになることをすれば(タンブン:徳を積む)来世も良くなるからね』
「へー、そうなんだ」
『それに、出家して勉強を頑張れば、海外に行けるチャンスもある』
「後悔はしてない?」
『後悔なんてしてないよ。だからスズキとも会えたわけだし』

別れ、そして。


僕自身、そろそろ次の目的地に行こうかなと考えていました。
ただ目的地が決まっていなかったので、どうしようかなぁと悩んでいる最中でした。
「2人は行きたいところとかある?」
『うーん、アメリカかなぁ。もちろん日本にも行きたいね』
「そっか、アジアだとどこに行きたい?」
『ミャンマーだね。仏教の歴史的建造物が多いんだ』
「ミャンマーかぁ(行ったことないし、目指してみるか)」

「よし、ミャンマーに行くわ」
『え、いつ行くの?』
「明日の朝、立つよ」
『わかった。じゃ今日の読経はできれば聞いていってね』

思い立ったら吉日。
次の日のバスでラオスのファイサーイを超えて、タイのチェンマイに向かうことにしました。
当時はミャンマーはビザが必要で、近くだとチェンマイかビエンチャンに戻る必要がありました。

ルアンパバーンの夜は静寂に包まれます。
そして18時になると寺に備え付けてある鐘を鳴らします。

カーン カーン

と鐘の音が鳴ると夜のお勤め、読経の始まりの合図です。
心地よい響きは、同時に彼らとの別れを意味し、旅立つ僕の足取りを重くしました。

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一緒に寺を回っているときに2人にふっと聞いたことを今でも思い出します。
「もっと便利になって、ラオスが豊かになるといいね」
『そうだね。でも便利になるために物が溢れるのは良くないと思う。手に入れられる人のところだけに行くと格差が生まれるから幸せじゃなくなる』
「みんな平等に享受できれば幸せになるか」
『そう。だから物があってもどん欲にならないこと。自制心が大事』

必要な人たちに、必要なものを、必要な分だけ届けること。
これが国際協力や経済活動に大切なエッセンスなのではないかと、今でも思っています。

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あれから5年、彼らとは今でもFacebookでつながっています。
先日、2人がDoctoral Degreeを無事修了して、ルアンパバーンに戻ったとのことです。
コロナが終息したら、2人に会いにルアンパバーンに伺う予定です。

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(左ヤイさん、中フォンサイさん、右筆者)

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