『ワンフレーズ』 2話 「彼女」
間もなくして、ミユウが家に帰ってきた。
「おかえり」
僕は履歴書を書き進める手を止めて、ミユウの顔を見ようとした。でも、横っ飛びして安っぽいクッションに着地したバッグに、思わず目がうつった。
「今日もバカな客マジでウザかったわ、クレーム対応しかしてないし」
ミユウは「ただいま」も言わずに今日の仕事の文句を言い出した。バッグの沈み込んだところに、薄手のカーディガンも放り投げた。
「そうなんだ、ご飯食べる?帰ってくんの早かったから作っといた」
「いらない、この時間に食べたら太るし」
そう言って、レジ袋をテーブルにどさっと置いて、蒟蒻ゼリーのパックと飲みかけのコーヒー牛乳をひょいひょいと取り出した。蒟蒻ゼリーのキャップをあける「パキッ」という音が、目の奥の脳に響いた。
「そっか」
「明日も就活?」
「うん、説明会がある。午後からだけど、そのままバイトだから、自分の家帰る」
「そうなんだ、大変だねアラタも」
ミユウは、ひと啜りしたゼリーのかたまりをもぐもぐと咀嚼しながら聞き取りにくい発音で話してきた。
「そうかな、そうでもないよ、聞いてれば終わるし」
「私なんかよりはずっと楽そうだけどね」
始まった、得意のマウント取り。
「社会人一年目やっぱりきつい?」
「マジで辛い、もう辞めたいもん」
「やっぱりそうなんだ、まだ六月なのに」
「話聞くだけってところはアラタと同じだけどね、学生で電話対応のバイトしてたからってそのまま職種にするもんじゃなかったわマジ、頭おかしくなる」
「そうなんだ」
「うん」
「どちらかというと、クレームする側だしね」
急に僕は、ミユウの減らず口な性格に噛みつきたくなった。
「なんか言った?」
「別に、俺今ミユウのクレーム対応してるから」
「確かに、便利な人間だね君は」
「そう言われるとうれしくない」
「褒めてないから喜ばなくていいよ」
「本当に口悪いし口減らないよね」
「それは褒めてるんでしょ?」
ミユウの顔がギラッとした。僕なんてきっと、たいそう暇なんだと思った。
「うん、明日は休みなの?」
「明日は休み、午前中髪切って午後はネイルして買い物してくる」
「え、また髪切るの?それよりショート?」
「うん、邪魔なんだもん」
「ロングだった方が俺は好きなのに」
「でもショートにした方が会社で評判いいんだよ、無駄無駄」
「そうなんだ、まあ似合ってればいいんだけど」
「強がってるね」
「別に」
別に、と言うことが正解だと思った。
「でもそういうこと、ストレス受けて金もらってる分、自己投資くらいさせてもらうわ」
「じゃあ明日は俺より家出るの早いのか」
「そうだね、なんもしないでいいよ、鍵だけ閉めといて」
「わかった」
「お互い忙しいから仕方ないけど、そろそろ出かけたいなって思ってるよ」
「いいよ、無理しないで、アラタも就活忙しいんだし、終わって落ち着いたらまた行けばいいよ」
「そうかな」
「うん、スッキリしてから行きたいでしょ」
「それもそうだね、そうしようか」
スッキリするときなんてこれから二人にやってくるかな、そう言おうとした口が止まった。
「もう俺やることないし、先に寝るよ、今日はちゃんと風呂入ってから寝なよ」
「わかった、ちゃんと明日の朝入る」
「だから・・・」
「いいって、もう寝な」
「・・わかった。仕事お疲れ様、おやすみ」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?