見出し画像

2024年7月28日「夏休み13日」


今日の予定

 

母の車のクーラー修理

 母の車のクーラが壊れてから10日ほどが経過しました。

 何度かは、動かさないと動かなくなりそうで、35度超え中窓を開けて走ったりしました。

 後半は私の車をメインに使用していましたが、そんな日々もゴールが見えてきました。

 ディーラーが営業が始まるであろう朝10時に自宅を出発し、5分後には到着しました。

 道中「口約束しかしてないけど、ほんとに修理の予約できてるか心配やわ」「10時でも暑いな(笑)」「道間違えてへん?(あっています)」など、軽い小競り合いをしていました(短時間でも喧嘩する母娘です)。

 到着すると無事予約もできており、代車もお借りすることもできました。

 あとは、おかん号が帰ってくるのを待つだけです。

代車でお買い物

 というわけで、食料調達に代車のかわいいピンクのルークスででかけました。

 はじめましての車は、ブレーキやアクセルの具合がわからず、ガクガクしながらの走行でした(笑)。

 無事到着してましたが、混んでたので空いているところに停めたので、入口まで結構移動が必要でした。

 店内に入って、重要なことに気が付きました。

 ナンバープレートの写真を取るのを忘れました。

 駐車料金の精算に必ず、ナンバープレートの数字を入力しなければならないタイプの駐車場なんです。

 しかも、停めたところが遠い……。

 一人で戻ろうとしたとき、「キーホルダーに番号かいてたで、えーと〇〇〇〇」と、ゴットおかん降臨です(笑)。

 帰り道私のいつもの道は、かなり細く途中は道路の周りの草や枝が飛び出ているところもあります。

 人様の車に傷をつけるわけにはいかないので、遠回りですが広い道を通って帰宅しました。

 母にもその道の走行禁止令を出しておきました(笑)。

誕生日で思い出したこと

 私はこの度50歳になりましたが、誕生日を迎えるのが不安だった時期があります。

 20代の頃、母と何気ない会話をしているときに、「あんたはお母さんのおばさんと同姓同名やで」と、言われました。

 私の特徴は基本的に、父の要素が多いのがこの頃は嫌だったので、嬉しかったのを覚えています。

 しかし、この話には続きがあって、

 私 「そのおばさんに会ってみたいは!」

 母 「それは無理やで。おばさん42歳で亡くなってるわ。」

 私 「なんで一緒の名前にしたん?」

 母 「最初は名字は違ったやろ。その頃に離婚するとは思わんし。」
   「それに、あんたの名前考えたん、おとんやで。」
   「お母さんは、YO-KOってつけたかったのに。」
   「思い出したら腹たってきたわ。お兄ちゃんも勝手に名前決めたし。」

 という会話が繰り広げられました。

 そこから、「43歳」を迎えられるのか不安になりました。

 42歳は本当に健康に気をつけましたし、43歳を迎えられたときは、本当に安堵して、会ったこともない大叔母に感謝しました。

 今は、大叔母の歳を遥かに超えて生きています。

 若くして他界した同姓同名の大叔母の分も、楽しく生きていきたいと思っています。

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?