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その日一日を充実して過ごす、一番単純で簡単な方法:クタクタになるまで体を動かしたいのだ


仕事が忙しい、住宅ローンやカーローンの返済がある、子供達の学費をできるだけ稼いでおかなければならない。子供達が健康に立派に育つよう親としてできることは全てやってあげたい。いい顔ばかりではなく、時には壁として立ち塞がることも必要だし、あえて厳しいことを言わなければならないこともある。

慌ただしい、嵐のような子育て時期が10年以上続いている。子供達が大きくなるにつれて形は変われども、親としてやるべきこと、やった方がいいと思うことはいくらでもでてくる。一方、ちょっとヒマだなとか、自分は何をすべきなのかちょっと手持ち無沙汰を感じることもある。

人生は暇つぶし byパスカル

若い頃は自分のやりたいことのために時間をいくらでも使いたかったのだけども、四十路半ばにもなると、やりたいことは一通りやってきたし、何かをやろうにも「こんなことしてていいんだっけ」と自分を客観視する観点が出てくる。

そうすると趣味が楽しめなくなってくる。お金を稼いで経済的に不足のない暮らしをすることに自分の時間の多くを費やすようになってくる。でも、仕事だけに軸足を置きすぎると不測の事態が起きた時に一気に土台がなくなっちゃう。精神バランスをとる観点でも、人生における違う柱があった方がいい。漠然とそう思い続けて、これまでの人生においても色々な形で二足の草鞋を履いてきた。

心疾患が判明し、塩分制限など食事制限が必要となった。飲酒も避けましょう、運動も「歩く程度のリハビリ」をすべきで、激しい動き、疲れることはやらないようにと。心不全を悪化させないために重要な対処なのだけども、いつまでこれが続くのか。死ぬまでこれが続くのだとしたら、生きがいってなんだろう。そんなこともグルグルと考えた。

病気判明から一年が経ち、投薬やオペによる回復も見込まれていることから、少しずつ生活における制約が緩和されはじめた。素直に嬉しいのだけれども、解除しすぎることで再び悪い状態になるのは忍びない。全てを元の生活に戻すのではなく、今の心がけを続けながら、自分の生きがいを戻すには何をしたらいいのだろうかって考えてみた。

一日単位で考えよう

朝早くからしっかりと食事をとり、できる範囲でスポーツを楽しみ、心地よい汗をかく。できればある程度長時間楽しめるものがよい。山登りとかサイクリング、サーフィンとかは非常によい。前日準備をしている時からワクワクがあるから。しっかり体を動かした分、食事もしっかり摂り、温泉にでも浸かって体をほぐし、ホカホカの状態で布団に入る。で、ぐっすり寝て、すっかり疲れが取れた状態で次の日の朝を迎える。

こんな毎日が送れたら最高。って考えてたら、人間の本質は、体を動かすこと、そして体を休めて回復すること、に充実感とか快楽の根源があるような気がしている。

他者評価ではなく自己評価

同じ体を動かすとしても、自分の裁量でやれなければダメ。給与の対価として体を動かすと時には自分の体調以上のオーバーワークが必要となる。外部要因によって成果が変わってしまうものはよくない。楽しくないのに自分を殺して体を動かす疲労もダメ。引越し作業でも農作業でもいいんだけど、自分がやろうと決めたことでクタクタになることが大切。そこに充実感がある。

そう思うと、生活苦とか金銭的危機感のない状態での自給自足生活とか、人に頼りにされる形で裁量のある自営業は最強だね。毎日自分のやりがいのもとで体を動かし、ほどほどに疲労感とたっぷりの充実感がある。熱い風呂に入って、軽くお酒でも飲んで気持ちよく布団に入って目を瞑れば、なんと充実した毎日だろう。

今は体力が落ちちゃったので2時間も自転車に乗ればクタクタで、翌日以降も体の節々が痛い。昼頃にはフロ入って寝てその日一日を終わらせたくなる(笑)けど、徐々に体力がついてくればまた一日中活動しまくって充実感たっぷりに一日を終えられる。そんな日々が再び来ることに期待して毎日過ごしている。

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