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「ちんこはまるっこいです」で戦争をなくすー穂村弘『絶叫委員会』を読んでみた
前回、異星人VS後鳥羽上皇の歌バトルSFを読んでしまい、歌熱が高まってしまいました。
しかし歌といっても範囲が広い。まずは日本の現代詩にアクセスしようと考えました。私は現代日本人なので、時代や地域の文化を勉強しなくてもわかるだろうと考えました。はい、超安易です。いやな予感はしています。現代詩はおそろしく難解なことをやっていると噂できいているからです。
まあダメなら方針を変えよう、ということで、とりあえずアマゾンで現代詩の読み方的な本の検索をはじめました。そのとき脳天に言葉が突き刺さりました。
『絶叫委員会』
すっかり忘れていたのですが『絶叫委員会』(筑摩書房)は十二年ほど寝かしてしまっていた積読本です。著者は歌人の穂村弘。2010年にリリースされました。
まずは持っている本を読んでみようということで読んでみました。
お、おもしろすぎる。20ページくらい読んだところで家の外で読むのはあきらめました。笑いが止まらなくなるので。
ちなみに『絶叫委員会』で取り上げている言葉たち(詩のようなものたち)は穂村の創作ではなく、穂村が実際に出会った言葉たちです。それに穂村が解説をつけます。
その言葉たちについていくつか考えてみたいと思います。
まずは演出家 松尾スズキの芝居のセリフから。
不合理でナンセンスで真剣な、天使的な言葉としては…以前観た松尾スズキの芝居にあった台詞が印象に残っている。幕が上がって最初に登場した男がきょろきょろと辺りを見回して、いきなり云ったのだ。
「鈴虫の匂いがする」
鈴虫の匂いを思い出そうとしても思い出せません。もしかして「犯罪の匂いがする」的な意味の「匂い」?それにしても「犯罪の匂い」ってなに?気配のこと?「匂い」とはうまく説明できないことを表現している?まあ確かに色みたいに座標で表すことができないもんな。「鈴虫の味がする」じゃダメだったのか?ダメな気がする。味がするには舐めたりしなければいけないので危険すぎる。でも匂いもそこそこ危険な気がする。
次に日常会話から。
昼間の住宅地に小学生の集団がいた。…不意に、ひとりが大声で叫んだ。
「マツダのちんこはまるっこいです」
…特に「まるっこい」ってところがいい。これが「ちっこい」とか「でっかい」では駄目だ。…「まるい」でもまだ弱い。「まるっこい」の「っこい」がポイントで、ここに、なんというか、実際に手で握って確かめた実感があると思うのだ。「っこい」には現実の分類からはみ出して、世界の奥行きを柔らかく回復させる力が宿っている。…「僕は『ちんこ』に特別な関心があるわけじゃない。『ちんこ』そのものはどうでもいい。ただ『まるっこい』の『っこい』への拘りが、世界の生命を回復させるために必要なんです。そこを大事にしないと戦争が起こる。『っこい』を切り捨ててしまったら、戦争の足音がまた少し大きくなるんだ」
そうかもしれない。「まるっこい」って口に出している空間では戦争は起きないような気がする。でも「ちんこ」も大切な気がする。かりに「このまんじゅうはまるっこいです」では戦争はなくならないと思う。知らんけど。
つづいて
学生の頃、クラスに新鮮なオノマトペを次々に繰り出してくる女の子がいた。こんなのを覚えている…
「しおりちゃんって、ムリンとしててセクシーだよね」
…「ムリン」とは「ムチムチプリン」の短縮、いや濃縮形というべきだろうか。この表現のあまりの的確さと生々しさに、その場にいた男子は皆、思わず「ムリン」「ムリン」「ムリン」と復唱してしまった。…このような例からもわかるように優れたオノマトペには伝染性がある。
言葉の誕生である。復唱、伝染がまずあって、つまり「ムリン」が広まった後でその意味(ムチムチプリン)が決まったような気がする。きっと男子たちは意味を知る前に「ムリン」と声に出したことでしょう。
それにしても「ムリン」と声に出さずにはいられないこの衝動はなんなのか。「ムリン」も戦争を遠ざる力を持っているような気がします。人と人をつなぐ言葉のような気がします。
最後に映画やテレビドラマのセリフから。
「死ぬ前にこれだけはどうしても云っておかないと…、実はお前はあたしがお腹を痛めた子じゃないの」
映画やテレビドラマのなかで、こんな場面をよくみる。その事実を知ったからといって、世界も自分自身も何も変わらない。なのに、云われた人間にとっては、その言葉を聞く前の世界には二度と戻れないほどの衝撃なのだ。
…人間には世界そのものを生きるってことは不可能で、ひとりひとりの世界像を生きているに過ぎないってことを改めて感じる。世界が歪むと云いつつ、実際に歪むのは世界像であって、世界そのものは微動だにしていないのだ。
確かに世界そのものは微動だにしません。
たとえば上司から、「アホ」といわれても私の能力やパフォーマンスが下がるわけではありません。逆に「優秀だ」といわれて上がるわけでもない。なのに一喜一憂したりしている。アホである。
とまあ、世界の秘密に触れるような言葉たちがたくさん取り上げられています。私の歌熱は高まるばかりです。
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