森喜朗さんと飲んだときの話
PR戦略コンサルタントの下矢(しもや)です。
森喜朗さんが東京オリンピックの組織委員長を辞任しました。この一連のニュースを聞いて、わたしが森喜朗さんと飲んだときのことを思い出しました。
古い話ですが、今から20年以上前のこと。わたしはテレビ東京で政治部の記者をしていました。亀井静香さんがちょうど自民党政調会長だった頃の番記者でした。
政治部記者と言うと、なにか難しいことを論じている印象があるかもしれません。ですが、日常の仕事はアイドルの追っかけに似ています。番として付いている政治家の行動を、日々、追いかけ回します。
当時、亀井静香さんはSという、赤坂の超高級ふぐ料亭を別宅のように使っていました。夜は毎晩と言っていいほど、その料亭に足を運びます。
その日も、わたしは亀井静香さんを追いかけ、赤坂のふぐ料亭の前にいました。飲み終えた亀井静香さんを料亭の入口前で待ち受け、話を聞くのが日課だったわけです。
亀井静香さんはちょうど森喜朗さんと飲んでいるところでした。この日に限って、なぜか亀井静香さんは料亭の前で待つ、わたしたち2、3人の記者を招き寄せました。「たまには一緒の飲むのもいいだろ」という感じで。
なかに入ると、森喜朗さんがいました。すでにある程度、酒も入っている状態です。
他の記者はみな、森さんと亀井さんから「政界裏情報」を聞き出そうとします。
話は逸れますが、わたしは元々小児喘息で、(記者にあるまじき)極度の人見知り。子どもの頃から、ひとの輪に入るよりも、遠巻きに眺めることが習慣化していました。なので、そのときも他の記者の熱心な仕事ぶりを眺めていたのです。
政治記者をしながら、わたしは森喜朗さんに関して、疑問に感じていることがありました。それは「なぜ、この人が総理大臣という権力の頂点に立てたのか」という点でした。
森喜朗さんは、国民的人気とは程遠い政治家です。(以下、我が身を棚にあげ、失礼ながら言うと)「あの人のためなら死んでも構わない」というような子分を大勢抱えているわけでもありません。キレ者だとか、政策通という話も聞きません。なのに、企業の派閥争いが比較にならないほど熾烈な、政界の権力闘争を勝ち残ったわけです。
会社で言うと「さして実績を残したわけでもなく、キレ者というわけでもなく、かといって人望が大してあるわけでもないのに、やたらと出世している人」という感じでしょうか。
森喜朗さんが出世できた要因はどこにあるのか。わたしはずっと、疑問に感じていました。
それが酒席をともにしたとき、森さんの強さの「秘密」を垣間見た気がしたのです。それは宴会の回し方の、とてつもない巧さでした。
いわゆる「宴会部長」的なノリの良さではありません。自らは決して前に出ることなく、なんとなく参加者全員が気持ち良く飲める。そんな場の「空気」をつくりあげるのです。なかなか表現しづらいのですが。
森喜朗さんの自伝に、「あなたに教えられ走り続けます」という「迷」著があります。
なぜ「迷」著なのかというと、自分が裏口入学だとかコネ入社だとか、なんと自分自身で(!)、そしてどこか自慢げに明かしているからです。この本は当時の政治記者の間で、少しだけ話題になったものです。
ですが裏口入学とかコネ入社よりも、わたしには遥かに印象に残っている箇所がありました。それは森少年が、小学生の頃の話です。
(ちゃんと引用したいのですが、政治部から経済部に異動したときに政治関連の本はすべて売り払ったので、わたしの記憶に寄ります。なので、幾分、正確さを欠くかもしれません)
学校で野球大会があったときのこと。森少年のクラスはどうしても勝てない。理由は隣のクラスに、すごく優秀なピッチャーがいるからでした。
少年マンガであれば、翌年、猛練習の末に強敵を打ち破り、みんなで勝利をつかむところでしょう。
ですが、森少年はそんな回りくどいことはしません。校内で力のある先生に根回しをし(!)、クラス替えの際に、自分がその優秀なピッチャーと同じ組に入るようにしたのです。そうして次の年。森少年も見事(?)、優勝を勝ち取ったのです。子どもの頃から、まさに筋金入りの「政治家」だったわけです。
さて、今回の森喜朗さんの女性蔑視発言が、弁解の余地のない、論外な発言であることは間違いありません。が、同時にもうひとつ思うことがあります。
森喜朗さんではなく、もしも小泉純一郎氏などが組織委員長として同じ発言をしたとして、ここまで叩かれたのだろうか、と。
森喜朗さんは今に限らず総理在職中から、週刊誌では「サメの脳みそ、ノミの心臓」などと揶揄されてきました。もう完全な名誉毀損、無茶苦茶な扱いです。
なぜ、森喜朗さんはここまで叩かれるのか。
先ほど、森さんは会社に例えると「さして実績を残したわけでもなく、キレ者というわけでもなく、かといって人望が大してあるわけでもないのに、やたらと出世している人」と書きました。組織内の腹芸でエラくなっている人。なのに、実力者として自信満々に振る舞っている人。
こういう人、どこの会社にもひとりはいるのではないでしょうか。
組織で出世する人、言い換えると自分の上に立つ人は、実力もあって、人格も兼ね備えた人物であってほしい。
ですが、現実は必ずしもそうではありません。「実力もあり、人格も兼ね備えた人物」が、なぜ自分の上にはいないのか。オフィス街の居酒屋の愚痴は、大抵、この類です。
森喜朗さんという存在は、多くの人にとって思い出したくない、組織の不愉快な現実をうっすらと思い出させるのではないか。だから、ここまで嫌われるのではないか。
森喜朗さんが注目を集めるのを見て、そんなことをふと思ったのでした。
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