75回目の敗戦記念日

本邦では8月15日を終戦の日と呼称しますが、これにはずっと違和を感じています。8月15日はきっぱりと敗戦の日と言うべきだと思うのですね。終戦ということばには何か他人事感がある、そう思いませんか。第二次大戦にくわわっていない国や地域から、よそ事のように"終戦"と呼んでいる気がするのですね。これには恐らく国としてのプライドがかかわっているのです。そう、日本政府としては"敗戦の日"と呼びたくない。戦争に負けたのがじつはじつはとてもとても悔しいわけです。だから、終戦の日などという欺瞞に満ちたなまえで呼びならわしている。まあ、なんというか"大東亜戦争"に負けたことへの潔さも反省も足りないと、この終戦の日という呼び名からぼくは感じ取っています。死んだ日本兵たちの苦悶も、敵兵の死も、原爆も、沖縄もその他多くの地獄絵図があっさり排除された呼び方が"終戦の日"だと思います。

もちろんここをご覧になっている方には1945年8月15日に政府は連合国からのポツダム宣言を受諾して、"無条件降伏"したが、正式な文書への調印は9月2日だから、敗戦の日はその日が正式なものと考える方もいらっしゃるでしょう。しかし、管見ながら政府は9月2日については戦後75年間ずーっと沈黙を守っていますね。やはり、悔しいのです。悔しくて、悔しくて、腹の底では悔しくてたまらないのです。あんなアホな戦争を続けて負けたのに、悔しいというのも理解に苦しむところはありますが「しかし戦争をやったらやっぱり勝たないと話にならないよね!」という思いは政府には今もあるんじゃないかな。もちろん、そんなことは国として平和主義を標榜している以上、けっして口外できない決まりになっているわけですが。

平和はもちろん大切です。しかし、たとえ自分の暮らす国が平和であっても、人生には幾多の困難があり、生まれた人は必ず老いて病み―その順番が逆になることもある―、そして死にます。そう考えると、われわれひとりひとりの人生がじつは戦場のようなものなのではないか、と思えるふしもあるのです。が、しかし、そのような喩えはいささかヒロイックに過ぎるかもしれません。多くの人々は凡庸な人生を送り、おのれの生の意味や意義など考えても仕方ないと感じながら、醜く老いて、葬儀場で火に焼かれて墓石の下に入るからです。このことに思いを馳せてみるとけっこう、しんどいです。ひとによって感じ方は違うと思いますが、ぼくは来月40歳。老いているともいえませんが、若いともいえない年頃です。これからは、おのれの加齢とどう付き合って生き延びていくか、という大問題と取り組み合っていかねばならない。しかし、それも日本国が他国と戦争をしていないから、取り組める問題であるともいえるのです。じぶんの国が戦争中だったら、おのれのうちにある"戦争"と取り組む余裕などないですからね。生き延びるために必死なのはある程度変わらないかもしれませんが、比喩的な意味や内的な意味での死ではなく、本当に(物理的に、しかも突然)死んでしまう可能性と向き合っていれば、おのれが年老いることやそれに伴って生じてくる諸問題について頭を悩ませている余裕などないわけです。ぼくたちひとりひとりはおのれの内的な戦場と取っ組み合い続けてやがて死ぬわけですが、そのような死を迎えるためにも、この国が平和であることはとても重要ですし、それは日本だけではなく、諸外国・地域においても同様です。そこに生きているのは、人間なのですから。

といいながら、世界を見渡してみると、つねに争いは絶えず、少なからぬ人が様々な理由でむごたらしく死んでいきます。戦争や紛争をゼロにすることは決してできないでしょう。けれども、それを減らしていくために、さして賢くない自分たちができることは何か。それは戦争を知ることです。以前にも書きましたが、平和への祈りはもちろん大切ですが、どうして人は、国は、おのれ(自国)の利益を追求して衝突し、争って殺し合うのか、そのメカニズムを単一ではなく、かならず複数の視点から触れて、少しでもこのわれわれ人間という宇宙に誇るべき難題について考えを深めないと、平和に一歩一歩近づくことすらできないでしょう。ぼくはそう考えているのです。みなさんは、どう考えるでしょうか。コメントをぜひお待ちしています!☺

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