だいたい夜は11時半くらいには寝る。そして早朝に覚醒する。これは午前3時から4時にかけてが多い。仕方なくそのまま朝を迎える場合もあるが、たいてい、朝風呂に入ってから二度寝する。それでも5-7時のあいだには目覚める。ストレッチとラジオ体操の後、食欲はあるので、しっかりと朝食は食べる。その後が、問題だ。死にたい気持ちがやってくる。つらい。ほんとうに、つらい。強い憂鬱感が、ぼくのなかで生き生きと鮮やかだ。この憂鬱感をなんとかごまかすために、ウォーキングに出る。調子が良ければ90分歩くこともあるが、最近は雨が多い。傘をさして歩くが、靴に水は入ってくるし、服も濡れてからだが冷えるので意外に消耗する。雨であれば60分歩くのが限界だ。距離的には5.5kmくらいだろう。いつも近所を歩いていて、主に天気によってコースを変える。マスクをしたあやしげな中年男が朝早く散歩をしている。学校へ行く小学生、出勤途中のスーツの男性、杖を突いて歩く老婆、いろいろな人の背中を見る。みんな100年もしないうちに死んでしまうんだな、と彼らの背中を見ながら思う。「わたしたちが生きる意味は現在という文脈において都度都度、暫定的に付与していくしかない。究極的にいえば、世界はニヒリズムでできている。本質は虚無である。しかし、おのれの生に暫定的に意味を付与することはできるのだ」。ぼくは思う。自分に課せられたうつ病という運命に抗って生き続け、力尽きるその日まで生きるしかないのだと(2013年に自殺しないことを決意したため)。

11頃には家に戻り、シャワーを浴びるか、風呂に入り―二度目の入浴―、昼食は自分で準備する。パンを食べたり、インスタントラーメンを調理して腹を満たすことが多い。そしてたいてい昼寝をする。1時間くらいだ。気が付くと夕方になっている。死にたいという強い気持ちが心の中から退去している。有難い、とほっと一息をつく。本が読みたい、しかし必ずしも意味が頭に入ってくるとは限らない。本が読めないときはゲームをすることが多い。調子が悪くなり、TwitterやFacebookなどのテクスト主体のSNSはあまり見なくなってきた(なぜか疲れてしまうのだ)。ゲームすることさえ疲れてしまって途中で投げ出すこともある。午後5時過ぎには三度目の入浴、その後母が作ってくれた夕食を食べる。

夜8時くらいになるとだいぶ気分が落ち着いてきて、むしろ明るい気分になってくる。不思議なものだ。うつ病特有の気分の日内変動なのだが、これをかなり強く感じていたのは8年ほど前まで遡るので、つまり8年ぶん時計の針が巻き戻されたのかと疑念に駆られてしまう。しかし、自分にできることは病に抗い生き続けることだけだ。自殺はしないし、できない。それは封印したのだ。いくら辛くても、生きるのだ。死にたい気持ちがありながら、毎朝腹が減る。その減り方は今年に入ってからダイエットを続けていることもあって、かなり飢えの乾きに近い。からだは食べる。生きようとしている。脳からはエラー信号が出続けている。「ぼくは無職ではない、闘病という仕事をしているのだ」と自分に言い聞かせる。闘病に休みはない。寝ても起きても病と争っている。ぼくは本来温厚な性格で争いなど好まないたちだが、うつ病と闘い続ける。必ず良くなる日が来ると心の底から信じて。どうしても負けるわけにはいかないのだ...。

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