いま読んでいる本の話

長年積読していた『サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡』(みすず書房)―むかし世田谷に住んでいたころ、下高井戸駅近くにあるトラスムンドという音楽ショップで買った古書―を手に取って読み始めたが、仕事の疲れもあってどうもいまいち興が乗らない。ベッドの上でゴロゴロするのも、どうも癪である。それほど疲れているわけではないのだが、読書するための集中力が保てないというときはある。映画はヒッチコックの『海外特派員』(1940年)を昨晩半分くらい観たのだが、その続きを観るという感じでもない。スマフォゲームを遊ぶ気分でもない。というわけで、いま読んでいる本の話でもしよう。

職場は比較的セキュリティが厳しくスマフォの持ち込みは厳禁されているのだが、書籍の持ち込みは許可されている。というわけで、会社から支給された透明のビニルバッグに3冊本を入れている。忍ばせているという感じではまったく無い。なにしろ透明なのだから書名も造本も丸見えである。ただし、それを目にしてぼくに声をかける同僚は誰もいないのだが。

その3冊を順に紹介しよう。1冊目は仲正昌樹『今こそルソーを読み直す』(NHK出版生活人新書)である。ルソーについて関心をもったきっかけがうまく思い出せないが、ぼくは哲学書のたぐいをいきなり読まずに、比較的周到に外堀から埋めていくたちである。あまり賢くないから、賢い方法を採るのである。いきなり『人間不平等起源論』や『社会契約論』を読もうという気にはならない。まず入門書を数冊読み、そのうえで読みたい本を扱っている紀要論文や研究書にあたり、最後にその本を読むという手順にしたがう読み方が定着しているのである。仲正さんの本は前半でルソーの生涯を紹介しながら、彼の若いころの著作の要点をかいつまんで解説し、後半はその重要な概念―一般意志と民主的な社会のなりたちなど―について考察していてまさに理想的な入門書の1冊だと思う。仲正さんはルソーのすべてについてダラダラと概説するのではなく、きちんと要点を絞ってまとめているのだが、すべての入門書はこうあってほしい。

2冊目は『世界哲学史2』(ちくま新書)である。仕事の休み時間は60分の昼休みを除くと、10分休憩が午前と午後に1回ずつあるのだが、その休み時間に喫煙所でたばこを吸いながら読み進めて、いまラテン教父とアウグスティヌスを扱った最終章に入ったところ。もうすぐ読み終わるのだが、なかなか10分休憩を重ねても読み終えられない。このシリーズは知識の密度が濃くて、内容を大づかみにするためには1章読み進めるのに1時間はかかる。つまり順調に読み進めても1章読むのに3日を要する恰好になる。というか10分休憩といっても、10分を丸々読書に充てられるわけではないので、だいたい2週間かけて1章読み終えるくらいが実情だ。このシリーズは洋の東西を問わずに、時系列順に世界中にみられる哲学的思索について、やや詳しく知られるのでとても愉しい。

3冊目は小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)。ポスト工業化社会における民主主義の理想について考察する後半部を目下ばりばりと読み進めている。前に紹介した2冊とは違って、実はこの本が面白く読みやすいので、3冊中最も優先度を高くして読んでいる。といっても、通勤電車(往復で30分)のなかでも読む、というくらいのものだが、いまアンソニー・ギデンズについて詳しく紹介され、著者によるギデンズの考えに対する解釈も述べられているくだりで実に熱い。本書は1冊目に紹介したルソーの本ともいちぶ重なるポイントがあって、それは現代における間接民主主義の限界をどう考えるかという問題意識なのだが、昨今の世の中をみていても、間接民主主義という制度について考えずにはおれないので、なかなか刺激的である。複数冊並行して読書するようになって久しいが、じぶんの関心は限られているから、選んだ本どうしのつながりやケミストリーのようなショックが味わえると無性に嬉しく感じるもので、これは書に淫しているかたならきっと分かって頂けると思う。

というわけで、仕事の隙間時間を縫って本を読んでいるという近況報告でした。きょうは、このへんにしておきます。それではまた。



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