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『おれ、カラス 七夕の奇跡』第二話(全三話)

「おい、すずっ! 元気にしてたか?」

やまちゃんは、公園の入り口の車止めに浅く腰かけて、右手を軽く上げています。

会社帰りのすずは、いつもこの公園のなかを通り抜けて家に帰ります。
ここは、すずがやまちゃんと初めて出会ったあの公園でした。

あのクリスマスの日から、逢いたくて堪らなかったやまちゃんが、今すずの目のまえにいます。

真ん中からゆるく分けた、黒い前髪からのぞくやまちゃんの大きな瞳は、射るようにすずを見つめています。

「やまさん......」

すずは、やまちゃんと再び逢えた驚きとうれしさで零れ落ちる涙をぬぐおうともせず、その場に立ち尽くしたまま、大号泣です。

「そんなに泣くなよ、すず。周りの人たちが見てるだろ。まるで俺が泣かせたみたいじゃないか」

「だって、だって......」

「あのクリスマスの日はちょっと事情があって、そんなに長くいられなかったけど。今日は大丈夫だ。もしよかったら、俺としばらく一緒に過ごしてくれないか?」

やまちゃんは、基本ええかっこしいです。クールに決めてはいますが、『もし、断られたらどうしよう』などと、内心かなりドキドキしています。

「うん、うん......」

すずは周りの目などまったく気にもしていません。すずの瞳のなかに映っているのは、ほんとうに本当に、あいたくて逢いたくて堪らなかった、やまちゃんだけでした。

今日は、七月七日、七夕です。

すずは、『やまちゃんとまた逢いたい』というクリスマスのプレゼントを、今年サンタクロースにお願いするために、この半年あまり本当にいい子でいたのです。

まあ、すずはもう二十八歳を過ぎていますので、よい子という表現はちょっとおかしいかもしれません。
ですが、お願いごとをするサンタクロースのまえでは、どんなひとでも、何歳でも、ただの子供なのです。

「すず、さっそくだけどさ。どっか、いかない?」

「......やまさん。もしよかったら、私の家に来ない?」

すこし間をおいて、すずはそういって笑顔を見せました。

「えっ!いいのか、お邪魔して?」

「そんなのいいに決まってるでしょ」

「じゃあ、久しぶりにすずの手料理をご馳走してくれるのか?」

「うん、もちろん」

すずは、あのクリスマスのあと、自分がつくった料理を本当においしそうに完食してくれたやまちゃんに、いつかまた食べてもらおうと、オンラインの料理教室で腕を磨いてきたのです。

「やまさん、あのね。実は、夕飯は簡単にすませようと思ってたから、家にはやまさんにご馳走できるようなものがなにもないんだ。だから、ちょっとスーパーに寄っていいかな?」

毎年この梅雨の時期、すずはあまり食欲がなく、夕食は、そうめんと昨日の残りのちらし寿司ですませようと思っていたのでした。

「スーパー?」『おいっ!プチさん。スーパーってなんだよ?』

『そこはな、料理をする材料とかの生活必需品を、お金を払って手に入れるところだ』

プチさんは、人間界のことをあまりよく知らないやまちゃんのために、今回も一緒にいます。

いまはすずに見つからないように、やまちゃんの履いているジーンズのポケットのなかにいます。
プチさんは、ポケットのなかから、やまちゃんの頭のなかに直接話しかけています。

このまえのクリスマスの日は、やまちゃんの着ていたパーカーの襟にプチさんはしがみついていました。
「これ、可愛い」とすずにいわれて、正体がバレないように瞬きもできず、じっとしていて、ヘトヘトに疲れてしまったので、それに懲りたのです。

「わかった。すず」

すずは、やまちゃんの右手に、自分の左手をさりげなく近づけます。
そして、ぶっきらぼうにすずと手をつないできたやまちゃんの指を、ぎこちなく恋人つなぎに変えていきます。

暮れ残る街並みを、おたがいの存在を確かめ合うかのように、ふたりはゆっくり歩いていきます。

曇り空の合間からは、ひとつふたつ、輝きの強い星たちがもう見え隠れしています。

すずは、幸せいっぱいでした。
うれしさのあまり、すこしだけからだが震えていました。



「ねえ、やまさん。これ、好き?」

すずが指さす、パックされたトレイの中身は、高級なすき焼き用の牛肉です。

『おい、プチさん。これなんだ?』

『そういわれても、俺見えないよ。そんなんでわかるわけないだろ?』

『すずが、これ、好き? って訊いてるんだけど......俺、字なんて読めないし』

『そうか、わかった』

そういうと、プチさんは、やまちゃんの目のまえに現れました。もちろん、すずにも、まわりの人たちにも、力を使って見えないようにしています。

『これは、すき焼き用の牛肉だよ。うまいぞ、これは。溶いた玉子につけて食べるんだ。一度食べだしたら、やめれらない、とまらない。スッキやき!だ』

『プチさん、これってそんなにうまいのか?』

『ああ、俺も一度だけしか食ったことがないけどな。サンタクロースが、自分が送ったプレゼントを気に入ってくれたかどうか、ある家に確認しに行ったときに、そこの家族が、テーブルを囲んでおいしそうに箸を運んでいたのが、すき焼きだったんだ。たいていの家では、クリスマスには、ローストチキンやフライドチキン、それとケーキなんかを食べるだろ。だからちょっと珍しかったんだ。それで俺は、それをどうしても食べてみたくなって、サンタクロースにわがままいってつくってもらったことがあったんだよ』

『そんなにうまいんなら、俺も食っとかないとな』

「すず。俺、これ大好きだ」

「本当に? じゃあ、今夜はすき焼きにしようね、やまさん」

「うん、ありがとう。すず」

「おいしいのつくるからね。あと、野菜とかも買わなきゃ」

すずは、出来上がりのすき焼きのイメージを頭に思い浮かべながら、必要な食材を揃えていきます。

そのあいだも、やまちゃんは、『これなに? これは?』などとプチさんに質問攻めで、見慣れない食材に興味津々です。

なにしろ、やまちゃんはもとはカラスですから、好奇心旺盛なのです。
特にキラキラ光るものに、やまちゃんは知らず知らずのうちに引き寄せられます。
スーパーに並べられた色とりどりの商品は、その照明の効果も相まって、どれもこれも煌びやかです。



『それを、さっき溶いた玉子にくぐらせて。そうそう、そして口に入れる』

「うまいな、すず。これ本当にうまいよ」

「そう? よかった」

自分がつくったすき焼きを、おいしいといってくれたやまちゃんのことばに、すずは思わず涙ぐみました。



ひととおり食事が終わってからは、すずの質問攻めがとまりませんでした。

「やまさんの本名を教えてもらっていい?」

『プチさん。なんだ、この本名って?』

『ちょっと待ってくれ。いま考えるから』

「すず、ちょっと待ってくれ。いま考えるから」

「えっ! いま考えるって?」

『やまちゃん。それはいわなくていいから』

やまちゃんは、プチさんの答えを待つあいだ、微笑みながらすずを見つめています。

「俺の本名は、山神公平。山神は山の神さま。公平は、ものごとに公平であるの公平」

やまちゃんはプチさんから聞いたそのままをすずに伝えます。

「山神公平さん。だから、やまさんなんだ」

「私は、もりゆきすず。森林の森に、あの空から降ってくる雪。すずは、ひらがなの、すず」

「きれいな名前だね。すずによく似合ってる」

やまちゃんは、プチさんにいわれたとおりに、そのまま伝えます。

「ありがとう......」

すずは、すこしだけ頬を赤らめています。

「やまさん。いままで、どこでどうしてたの? あのクリスマスの夜、姿を消してから」

以降、プチさんのアドバイスで、やまちゃんはすずとの会話を続けますが、プチさんとやまちゃんの会話は、しばらくのあいだ割愛させていただきます。
まどろこしいので。

「あの日は、あれから行かなければならないところがあったんだ。もちろん、彼女のところなんかじゃないから。そして、翌日から海外赴任で、そのまま先月までヨーロッパにいたんだよ」

「えっ! やまさん、お仕事はなに?」

「商社で食品の輸出入の仕事をやっていたんだけど、どうしても我慢できないことがあったんだ。それで、『そんなことはできない。そこまでいうんだったら、自分でやれよ』と、普段からその態度と言動に我慢に我慢を重ねてきた上司に捨てゼリフを吐いて、先月いっぱいでその会社を辞めたんだよ」

「そうなんだ......いろいろ大変だったんだね」

「日本に帰ってきたばかりで、そうなっちゃったから、いまはまだウィークリーマンションに住んでるんだ」

「そこって、近いの?」

「いいや、ちょっと遠いんだけど。すずのことを思い出したら、どうしても逢いたくなって。それで、あの公園に行けば逢えるかな、と思ったんだ」

「今夜もそこに帰るの?」

「うん......どうしようかな。すず、もしよかったら、ここに泊めてくれない?」

「......こんなところでよければ、遠慮なく泊まっていって」

すずは特に警戒することなく、やまちゃんを部屋に泊めることにしました。もちろん、そこには、プチさんがその身に纏っている幸せオーラのせいもありましたが、なによりすず自身が、やまちゃんともっと一緒にいたかったからです。

すずはそう答えながら、胸が高鳴るのを感じていました。



「あーっ、気持ちいいな。プチさんよ、一緒に入ろうぜ」

プチさんは、瞬間移動で、風呂場にいます。

「やまさん、誰と話してるの?」

ドアの向こうから、すずが話しかけてきました。

プチさんは、人差し指を口にあてて、しーっというポーズです。

「なんでもないよ、すず。ひとりごとだ」

「着替え、ここに置いとくからね」

すずは、やまちゃんがまた来たときのために、パジャマとか、カジュアルな服を、やまちゃんのためにすこしずつ買い揃えていたのでした。

「ありがとう、すず。俺、このままここにずーっといようかな」

すずはうれしそうに、ロングボブの黒髪を右手で耳にかけました。
聞き間違いじゃないよね、と確認するかのように。



「やまさん。私、寝相がすこし悪いけど......一緒に寝る?」

すずは、やまちゃんのあとにお風呂に入ってから、パジャマに着替えて、リビングに入って来ました。すずは、そういいながら、恥ずかしそうにやまちゃんから目を逸らしています。

すずは、幼い頃から寝相がかなり悪く、起きたときには、寝たときとは逆方向に頭の向きがなっていることがよくあります。

それで、ダブルベッドに寝ています。ふたりで寝るには十分の広さです。

すずは、自分がいったことばに、ちょっと大胆過ぎたかな。軽い女と思われなかったかな。と反省しています。

「いいのか。俺は寝相はいい方だと思うぞ。そうじゃないと、掴まってる枝から落っこっちゃうからな」

「えっ! 枝から落ちるって?」

「?......鳥たちは枝に掴まったまま眠るだろ。それくらいじっとして、寝返りなんか打たないってことだ」

「そうなんだ......私、やまさんと比べたら、たぶん寝相はかなり悪いかも。やっぱり別々に寝ようか?」

「いや、俺はすずと一緒に眠りたい」

それを聞いたすずは、本当に心臓が口から飛び出すんじゃないか、と思うくらい、激しく打ち始めた鼓動に、自分でも驚いています。

すずは、それなりに男性経験のある大人の女性です。男と女が一緒のベッドに寝る。その行為がなにを意味するのか、もちろん知っています。
また、そんな期待もあります。

一方、やまちゃんは、実のところ女性経験、いやまだ、一度も交尾をしたことがありませんでした。

なので、やまちゃんにとって一緒に眠るということは、このまえカササギのサキと寄り添って眠った、あの甘美なひとときのイメージしかありませんでした。

「じゃあ、もう電気消すね」

すずは、そういうと、先にベッドに入ります。やまちゃんは、プチさんにいろいろ訊いています。

『おい、やまちゃんよ。すずと一緒に寝るのはいいし、そんなの勝手にやってくれ。けど、これから先のことは、俺にはなにも訊かないでくれ。俺はどこか別のところにいるからな。俺はいまから明日の朝が来るまでは、なんにも答えない。いいな』

プチさんは、これからやまちゃんとすずがどうなるのか知っています。健全な男と女。ベッドのなかでふたりきり。しかも、両想い。これでなにも起こらない方が不自然でしょう。

『すずと一緒に眠るだけだろ。なにを訊くことがあるんだ。変なやつだな』

やまちゃんは小首を傾げています。

『最後にひとつだけ。とにかく、わかんないことがあったら、すべて、すずに任せておけばいい。下手に驚いたり、なんで? とか、すずには絶対に訊くな。いいな』

『変なやつだな』

『じゃあ、いい夢見ろよ。頑張れよ』

『ああ、けどなんだ? 頑張れよって』

そのやまちゃんの問いかけに、プチさんは答えませんでした。さっきまでしていたプチさんの気配は、もうどこにも感じられません。

やまちゃんに背中を向けて横になっていたすずは、いつになったらやまちゃんがキスをしてくるのか、もう十分ほど待っていました。
そして、とうとう痺れを切らして、やまちゃんの方にからだを向けます。

やまちゃんは目を開けて、すずを見ていました。

「起きてたの?」

「ああ。すずの甘い匂いが気になって、なんか眠るのもったいなくて」

「やまさんったら......」

すずは自分の唇をやまちゃんの唇に軽く重ねました。

「おっ! これは......」

やまちゃんは、まえに一度すずとキスをした、あのクリスマスの日のことを思い出していました。

次の瞬間、すずの舌がやまちゃんの口のなかに滑り込んできました。

『おい、プチさん。俺、これどうしたらいいんだよ?』

もちろん、プチさんの返事はありません。

『そうだった。すずに任せておけばいいんだった』

やまちゃんはそうすることにしました。

するとすずは、やまちゃんを導くように、大胆に、あんなことや、こんなことを進めていきます。

すずは、一向に自分のからだを求めてこないやまちゃんに、『そんなに乗り気じゃないのかも』と初めはすこしがっかりしました。
けれども、『そうじゃないんだ』と途中から気づきました。

『もしかして、やまさんって初めてなのかも』とすずがそう思って、やまちゃんの反応をよく見てみると、すずがやってあげている行為に、やまちゃんは驚きながらも、気持ちよさそうにしています。

すずが、『間違いない、きっとそうなんだ』と確信してからは、すずは自分でも驚くほど大胆に、激しく、やまちゃんを求めたのでした。

リビングで話していた、さっきまでの可愛らしいすずとは打って変わって、艶めかしい女の顔をのぞかせ、燃え尽くすようにからだを動かし、震わせ、喘ぎ声を上げ続けるすずに、やまちゃんは驚きながらも、すずに導かれるまま、人生初めての夜を迎えました。

ことが終わったあと、やまちゃんは、たとえようのない心地よさと、感動のなかにいました。
仰向けで天井を見つめるやまちゃんのその目は大きく見開き、口は半分開いています。

すずは、ベッド脇のテーブルの上のペットボトルから、ミネラルウォーターをグラスに注ぐと、ひとくち口にしました。そして、やまちゃんに「飲む?」と優しく微笑みかけます。

やまちゃんが、コクンとうなずくと、すずはまたひとくち口に含み、やまちゃんに口移しで飲ませます。
すこしだけ溢れた水は、やまちゃんの顎を伝って首筋からベッドへと滲んでいきます。

そして、すずの舌はそのままやまちゃんの舌を絡めとり、すずはやまちゃんの上に覆い被さると、激しくキスを求め始めました。

この行為を覚えたてのやまちゃんも、負けじとそれに応えます。

ふたりはその勢いそのままに、愛おしいお互いのからだを再び求め合い、そうして、いつのまにか朝がやってきました。



『やまちゃん、おはよう』

『プチさん、おはよう』

『その様子だと、昨夜は大丈夫だったようだな』

『大丈夫っていうか......すずに任せておけばいいって、プチさんがいっていたのは、ああいうことだったんだな』

やまちゃんのとなりで、すずはスヤスヤと寝息を立てて、幸せそうな微笑みを浮かべています。
なにもかもが満ち足りたような、安心し切った寝顔です。

『けど、プチさんよ。もし、すずに子供ができたりなんかしたら、俺ってカラスだろ。人間とカラスのハーフなんて生まれないよな?』

『それは、心配しなくていい。いまのおまえは100%人間だから、もし子供ができたとしても、その子は人間の子供のはずだ』

『なんだよ、その、はずだって?』

『だって、前例がないからな』

『なんか、そればっかりだな。前例がないって』

『しょうがないだろ。本当にそうなんだから』

「おはよう......やまさん」

「おはよう、すず」

すずは目を瞑ってキスを求めています。

『やまちゃん、すずにキスして』

『えっ、キスするの? なんで?』

『おまえ、まさか......昨夜すずに、なんで? とか、どうして? とか、いわなかっただろうな』

『いってないよ。だってプチさんが訊くなっていっただろ』

『そうか。じゃあ、いまは黙ってすずにキスをする』

『だから、なんでなんだよ?』

『そういうシステムなんだよ』

なんか違うな、とそういったプチさん自身が首を捻っています。

やまちゃんはすずに軽くキスをします。唇を離したすずは、やまちゃんの鼻先に自分の鼻先をくっつけると、横に二三回擦るように揺らしました。
すずは柔らかな微笑みを浮かべると、やまちゃんの瞳を真っ直ぐに見つめました。



「やまさん、私もう仕事に行かなきゃ。もしよかったら、今日はこのまま家で待っててくれたらうれしいな。やまさんケータイ持ってないから、連絡なんてできないし。合鍵、ここに置いとくから」

「おお、わかった。すず、今日の夕飯はなんだ?」

「まだ、内緒。おいしいものをつくるから期待して待ってて」

昨夜すずは、やまちゃんの好きな食べ物をいろいろ聞き出していました。

「ありがとうな。毎日ご馳走になって」

「私の方こそありがとう。おいしそうに残さずぜんぶ食べてくれて。本当にうれしい」

「じゃあ、やまさん。行ってきます」

「ああ、気をつけてな。すず」



「プチさん。俺さ、すずのためになんかできることないかな?」

「なんかって?どうしてあげたいの?」

プチさんは、フカフカのソファに腰かけて、となりに座るやまちゃんを見上げています。

「なんか、すずが喜ぶこと」

「うーん......」

プチさんは、人間の女性がしてもらって喜ぶことを、いろいろと思い浮かべています。そして、思いつきました。

「やまちゃん、そうだよ。すずにはプレゼントをあげるのが一番いい」

「プレゼントって、サンタクロースが子供たちにあげるようなやつか?」

「大人の女性のすずへのものだろう。ちょっと違うと思うぞ」

「じゃあ、それっていったいなんなんだよ」

「それはすず本人に確かめた方がはやいとは思うが、それは野暮だしな」

「じゃあ、どうすればいいんだよ?」

「会話のなかでそれとなく探るんだよ」

「それとなくって?」

「俺が上手く誘導してやるから、ぜんぶ俺に任せとけって」

「ありがとう。じゃあ、プチさんよろしく頼む」

「OK。わかったよ」



「ただいま、やまさん。よかった、いてくれて」

やまちゃんの顔を見ると、すずは、はち切れんばかりの笑顔を見せました。
もしかしたから、やまちゃんがいなくなっているかもしれない、と心配しながらあわてて帰ってきたのです。

すずは、会社で残業を頼まれたものの、『今日は無理です』とそう突っぱねて、スーパーで買い物をすると、真っ直ぐ家に帰ってきました。
いつも文句をいわず快く引き受けてくれる、すずのあまりにもきっぱりとした口調に、上司の係長は、「俺、パワハラかなんかしたっけ」と考え込むばかりでした。

「今夜は昨日話してたやつをつくるからね」

昨夜食べたすき焼きを、今日も食べたいといっていたやまちゃんでしたが、すずにはあんな高級な牛肉を毎日は買えません。昨日は本当に特別だったのです。あの一食だけで、最近のすずの十日分ほどの食費に相当していました。

すずにしてみれば、もうすこし手の込んだものをつくって、やまちゃんに料理が上手なところをアピールしたい狙いもありました。

今夜は、やまちゃんの大好物のフライドチキンです。
すずが市販のスパイスを、自分なりにブレンドしたものを使います。
フライドポテトもひと味変わった味付けをします。

「うまっ! うまいよ、すず。いままで食べたフライドチキンのなかで一番うまい」

「よかった......気に入ってくれて」

やまちゃんの口に合うのか、内心ヒヤヒヤもののすずでした。
笑顔で喜ぶやまちゃんを見て、すずはほっとして、うれしさで胸がいっぱいです。

「すずは食べないのか?」

「私、なんだか、お腹いっぱいで。遠慮しなくていいから。やまさん、ぜんぶ食べていいからね」

「おっ!そうか。じゃあ、遠慮なくいただきます」

『おまえだけ、いいよな。俺も昨日のすき焼き、食べたかったなあ』

『だって、それはどだい無理な話だろ。プチさんを、これこれこうで、このひとは......なんて紹介するわけにもいかないだろう?』

『そりゃ、そうだけどな』

『なんか悪いな、プチさん』

『いいってことよ。今回はおまえに本当に世話になったからな。サンタクロースの評判が地に落ちるところだった』

「やまさん、どうかした?」

プチさんと頭のなかで話していたやまちゃんは、いつの間にか箸を持つ手がとまっていました。

「いや、別に......。これ本当にうまいよ、すず」

「ありがとう」

すずがつくってくれた夕食に舌鼓を打ちながら、『すずが欲しいプレゼントを聞き出す作戦』の始まりです。

「すず、今日のご飯もおいしいよ。なにをつくらせても、すずは上手なんだな。きっといい奥さんになれるよ」

「えっ! 奥さん......」

これって脈ありなのかな、なんて、すずはうれしさを隠せません。

「最近すずが気になっているものって、なにかある?」

「気になっているもの?」

「たとえば、なんかあれ買いたいな、とかさ」

「んーっ、欲しいものは特にないけど。願いごとはひとつだけあるよ」

「なに、それ?」

「えーっ、どうしよう。こんなこと恥ずかしくっていえないから。また、今度ね」

「それじゃ、困るんだけど」

「やまさん、どういうこと?」

「こんなにお世話になってるすずに、なんかお礼をしたいな、と思ってさ。プレゼントはなにがいいのか知りたかったんだ」

『おい、プチさん。それとなくっていってたのに、直接訊いてどうすんのよ。下手かよ』

プチさんにいわれるままに、すずに伝えていたやまちゃんも、『これはダメだろ』と思いました。

『そんなことをいわれたって、いくら俺でも、人の頭のなかをのぞいて、なにを考えているのかなんて知ることはできないんだからな』

「やまさん、そんなこと気にしなくていいから。すず......やまさんがこのまま家にいてくれるだけでうれしいんだけど。ダメかな?」

「そんなことでいいのか? 俺、ただここにいて、すずの手料理を食べて、その......あれだ、すずを食べて......」

『馬鹿か、やまちゃんおまえは? すずにそんなこといっちゃダメだって』

変なことをいったやまちゃんに驚いたプチさんは、瞬間移動でやまちゃんのポケットのなかから、すずに姿が見えないように力を使って、すずの目のまえに現れました。

プチさんがすずの顔を覗き込むと、すずは顔を真っ赤にしてうれしそうにうつむいています。

『あーっ、すずはもうやまちゃんにゾッコンだな。ふたりで勝手にやってろ。また明日の朝な、やまちゃん。おやすみ、しっかり励めよ』
プチさんはそういうと、そのままいなくなりました。

その夜もやまちゃんは、めくるめく夢の世界へすずと一緒に飛び出しました。



「プチさん......」

「なんだ?」

「あのさ、俺......このままでいられないのかな?」

すずが仕事に出かけたあと、リビングのソファで、やまちゃんとプチさんは話し込んでいます。

「それは、絶対無理だな」

「俺は、できればすずとずっとこうしていたい」

「まあ、気持ちはわかるけどな。それは無理な相談だ。はじめにいったとおり、サンタクロースが一度やまちゃんにかけた魔法の力の限界まで、やまちゃんは人間の姿のままでいられる。けれど、その魔法がいつ解けるのかは、サンタクロースにもはっきりとはわからないそうだ」

「えーっ! そんな......」

「だから、思い残すことのないように、毎日を思いっきり楽しんでおくことだ」

「だってさ、すずとこうして暮らしていると、ずーっとこのままでいたいっていう気持ちが、どんどん強くなっていくんだよ」

「冷たいと思うかもしれないけどさ。いつかはかならず魔法が解けて、やまちゃんは間違いなくもとのカラスの姿に戻る」

「俺はいつかはすずとはお別れなんだな」

「すまないが、そういうことだ。それに、現実問題として、もしやまちゃんが人間として生きていくとしたら、働いて稼がないといけない。学校に通ったこともなく、手に職があるわけでもない。それに、社会で生きていくために必要な戸籍をやまちゃんは持っていないだろ。もし、すずから結婚したいっていわれても、叶えてあげることは絶対にできないだろ。サンタクロースは悪いことには魔法は使えないからな。それに俺もずーっとおまえと一緒にはいられないしな」

「よくわかんないけど、とにかく俺が人間として生きていくのは無理なんだということはよくわかったよ」

「だから、残された時間を悔いのないように過ごしてくれ」

「わかったよ、プチさん。いろいろありがとな」

「やまさん、おいしい?」

「うん、すっごくうまい。すずは本当に料理が上手いんだな。きっとお母さんも上手なんだろうな」

「お母さん......ママは、私が小さい頃に病気で亡くなって、料理を教えてもらうことなんて一度もなかったの」

「ごめん。すずのママのことなにも知らなくて、つらいことを思い出させちゃったな」

「いいえ、そんなことない。ママがいない代わりに、パパが一生懸命私を育ててくれたもの。朝ごはんも、お弁当も、毎日欠かさずつくってくれた。パパの仕事が終わるのがいつも遅かったから、ひとりっ子の私は、冷凍食品をチンしてすませることも多かったけど」

「そうなんだな」

「パパが休みの日には、かならず私をどこかへ連れて行ってくれたし。それに、夜遅く帰ってきても、私を起こさないようにと、そっと部屋のドアを開けて、私がちゃんと寝ているのを確かめると、囁くように『おやすみ、すず』っていってくれた。
たまに、パパの気配に気づいて目を覚ました私は、そのことばを耳にするだけで、パパの私への愛情をいっぱい感じられた。
だから、ママがいなくても淋しく......なかった......」

すずは、突然声を上げて泣き出しました。父のことを思い出したのです。

父の大和は、すずの母が亡くなってから、再婚することも、これといった女性とお付き合いすることもありませんでした。
六十歳の定年を迎えてからも、勤めていた会社から請われて、同じ仕事を続けています。
いつまでもひとりで、恋人のいる様子もまったく見えない大和を、すずはいつも気にかけていました。
その一方で大和は、すずが毎日楽しく元気に過ごしているのか、それだけを心配していました。

「そうなんだな」

「パパは口うるさく、勉強しろ、とかいうひとじゃなかったし。私の学校の成績なんかまったく気にもしていないみたいだった」

「いい、パパなんだな」

「あんなに、人に対して腹を立てたり、怒ったりしない人って、見たことない」

「パパのこと大好きなんだな」

「うん、大好き。けどね、最近パパが電話で話してても元気がなくて......」

「病気かなにかか?」

「そうなの。心配になってパパの妹の叔母さんに電話して聞いたんだけど。最近、パパは体調を崩して、ここんとこしばらく会社をお休みしているみたいなの」

「それは心配だな」

「それでね。今度パパの顔を見に、久しぶりに実家に帰ろうと思っているの」

「そうか、それでいつ?」

「ちょっと急なんだけど。今週末の休みに帰ろうかと思って」

「そうか、それで俺はここにいていいのか?」

「それでね......できれば私と一緒に来てくれないかな?」

「すずの故郷にか」

「うん」

「いいけど、俺がすずのパパに会うのか?」

「そう......ダメ?」

「それは構わないけど」

「それでね......それでね。やまさんを、いまお付き合いをしているひとって、パパに紹介したいの。ダメかな?」

「なにいってるんだ。お付き合いしてるだろ。俺とっくにすずのカレシのつもりでいたのに、違うのか?」

「もちろん、私もそう思ってる」

そういって、すずは恥ずかしそうに微笑みました。

〈第三話に続く〉

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