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短編小説 『ママはひとりぼっち?』最終話

冬馬のいない家で、ママと光太郎は久しぶりに二人きりの夜を過ごしました。ベッドの中で、今ではすっかりママの定位置となった、光太郎の右側に、ママは寄り添うように寝ています。

レースのカーテン越しに射し込む、柔らかな月明かりに照らされる光太郎の寝顔に、ママはあの日初めて見た、精悍な顔立ちの光太郎を、思い出していました。

『そう、パパは、私の白馬に乗った王子様だったんだ』


翌日の昼過ぎに、冬馬は一人で帰ってきました。光太郎は、今日は夜勤なのでまだ家にいます。

リビングのソファに、光太郎と並んで座っていたママは、帰ってきた冬馬に頭の中で話しかけます。

『冬馬、話があるんだけど』

『何?ママ』

『実はね、私もうすぐお迎えが来て、生まれ変わらないといけないんだって、この前、花火大会で出会った少女が教えてくれたの』

『少女って?』

『ひみこって、言ってたけど...』

『あの邪馬台国の卑弥呼?』

『わかんないけど...それでね、そのひとが言うには、ママはもうすぐ生まれ変わるんだって。だから、冬馬とパパにお別れを言った方がいいって』

『そういうことがあったんだね。けど、俺も何となくだけど、ママとはお別れが近づいてるような気はしてたんだ』

『そうなの?』

『なんとなくだけど...』

『それでね...パパに自分の口から伝えたいんだ。ありがとうって、愛してたって。私のこと忘れないでねって』

『うん、それはいいけど、どうやって?』

『妹の優子に頼もうと思うんだ』

『叔母さんに?』

『きっと優子はいいよって言ってくれると思う』

冬馬が事情を優子に伝えると快く承諾してくれました。

そして、1時間ほどして優子は娘の美優を連れてやって来ました。

冬馬は、光太郎に事情を説明します。

「父さん、驚かないで聞いてね。実はね、俺たちがこの家に戻ってきてからずーっと、ママと一緒だったんだよ」

「冬馬、ママと一緒だったってどういうことだ?」

「父さん、覚えてる?俺がちっちゃい頃、この家を 出て行く時に、ママはここにいるんだよって泣き叫んだこと』

「よく覚えてるよ。冬馬を連れて行くのが大変だったからね」

「実はね、あの時もママはここにいたんだよ。あの事故のあとすぐに、幽霊になって戻って来ていたんだ。それで20年経って、俺たちがこの家に戻ってきた時にも、ママはまだここにいたんだ。それからずっと、俺たち三人で暮らしていたんだよ。父さんは知らなかっただろうけど」

「そうなのか?だから、朝、家を出るときに、冬馬は『じゃあ、父さん、ママ、行ってくるね』と言っていたのか?」

「そういうこと」

「なんで早く教えてくれなかったんだ?」

「だって...言っても、父さんがすぐ信じてくれると思わなかったし、信じてくれたとしても、父さんには見えないからさ。父さんを苦しめることになるから、ママが言わないでくれって」

ママはもう泣きそうです。
けれども涙は1ミリも出ません。
なぜなら、えっ...... ママが泣いています。
すごい勢いで涙を流しています。 
まるでナイアガラの滝みたいです。

『パパ、パパ...』

「...で、ママは今どこにいるんだ?」 

「父さんの目の前にいるよ」

そう言われて、光太郎が手を伸ばして、ママの顔をさわろうとします。

ママは、自分から光太郎の両手に、自分の顔をあずけます。

「ここか?冬馬」

「そう、そこだよ」

「ママ、会いたかったよ。ママ...」

「父さん、聞いてくれる?それでね、見えないママと、父さんが話せるように、今日は優子おばさんに来てもらっているんだよ」

「...ということは...優子さんは、このことを知っていたのか?」

「うん、もちろん。美優ちゃんもね」

優子と美優はコクりとうなずいています。

「それで時々、優子おばさんのからだの中に入ったり、美優ちゃんの中に入ったりして、外に遊びに行ったりしてたんだよ」

光太郎は、何もない空間に、一生懸命ママの姿を見ようとしています。

「ついこの間まで、美優ちゃんは天才子役で頑張ってたじゃん。けど、もう飽きたからってやめたんだけど。実は、それって、ママが美優ちゃんの中に入って演技してたんだよ」

「そういえば、ママは芝居が好きだったなぁ。テレビを見ながらいつもセリフを大声で言ってたもんな」

光太郎はそのときのことを、はっきりと思い出していました。

「父さんがうるさいって言うと、静かにしてって言ってたな。父さんは、内心ママがうるさいんだけど、と思ってたけど」

「あーっ!パパってば、そんな風に見てたんだね、私のこと」

「それで...今日、おばさんの中にママが入ってさ、父さんと話をしたいんだって」

「そんなことをお願いしていいんですか?」

優子に光太郎は問いかけます。

「もちろんいいですよ。お姉ちゃんのためですから」

そうして、ママは優子の中に入っていきました。

「パパ、久しぶりっ!」

「この話し方...ママだ。本当にママなんだね......」

「パパ......」

「ママ......」

「パパ......」

「ママ......」

「パパ......」

「ママ、父さん、ちょっと待って。俺と美優はあっちの部屋に行っているから、キスなんかしないようにね。優子おばさんの体だからね。わかった?」

「わかった、冬馬」

「ママもわかった?」

「......」

「ママっ!」

「は~い......」

冬馬と美優は隣の部屋に行きました。

「パパ、本当に久しぶり!」

光太郎はもう涙ぐんでいます。

「ママ、本当に会いたかった。また会えて嬉しいよ」

「私も、こうやってまた話ができて...嬉しいよ」

「あー懐かしいなーっ!ママのこの話し方。声は少し違うけど」

「しょうがないでしょう。優子の体なんだから......」

「俺の記憶の中には、三十歳の頃のママしか居いないからな」

「幽霊の私は、見た目は全然変わってないけどね。三十歳の頃のままなんだ」

「えっ!そうなの?」

「けど...パパ老けたよね。すっかりおじいさんになっちゃって......」

「ひどいなあ、おじいさんだなんて。けど、しょうがないよ。あれから20年だよ」

「そうだね、私も生きてたら、きっと優子みたいにしっかりおばさんになっていたんだろうけど」

「けど...素敵なおばさんになっていたんだろうな。ママは可愛かったから」

「照れるなあ...ありがとうパパ。そう言ってくれて」

ママは、嬉しそうに微笑みました。

「ママ......」

「パパ......」

「ママ......」

「......あっ! だった、だった。大事な事を話さなければいけないんだった。実はね、私もうちょっとしたら生まれ変わるんだって。それでもうここから出ていかないといけないんだ。もうこれ以上一緒にいられないんだって」

「そうなのか?もういなくなるのか?もうちょっと居てくれよ。たまにこうやって話してくれればそれでいいんだけど。俺も、もうそんなに長くは生きられないだろうし」

「私もね、そうしたいんだけど。これは運命なんだって、誰にも止められない理なんだって」

「そうなんだ...それでいつ?」

「いつか分かんないんだ。もうすぐだって聞いたんだけど。だからね、私がいなくなる前に、こうやって話をしたかったんだ。愛してたっていうこと伝えたかったし、ずっと一緒だった。ということも伝えておきたかったんだ。とっても楽しかった。パパと冬馬がこの家に戻ってきてくれて、ずっとずっと楽しかったよ。毎日幸せだった。ありがとうね」

光太郎は涙が止まりません。

その涙を見て、ママも涙がぽろぽろと頬を伝わって、ひざの上に滴り落ちています。

冬馬と美優が部屋に戻ってきました。

「ママ、話はすんだ?あのことちゃんと伝えられた?」

「うん、ちゃんと伝えた。もう、思い残すことはない...と思う」

光太郎は、ママを優しいまなざしで見つめています。

「じゃあ、パパ。私、そろそろ行かないといけないから。本当に幸せだった。パパも元気で頑張ってね」

「ママ、俺もずっとずっとママのことが大好きだった。これからもずっと......」

「じゃあね、冬馬、 優子、美優、パパ、元気でね。今まで、本当にありがとう。さようなら......」

そう言うとママは、優子のからだから出て行きました。

「ママ、ママっ!どこ行った、ママは?冬馬?」

「父さん、ママはもういないみたいだよ」

冬馬が部屋のなかを見回しても、もうママの姿は、どこにもありませんでした。

その日、光太郎は仕事を休み、翌日の朝まで、食事もとらずに、部屋のなかで泣き続けていました。

翌朝、冬馬が起きてくると、光太郎は、朝まで泣いていたことが嘘のようにスッキリした顔で、

「冬馬は、いつものやつでいいな」

そう言って、テーブルにいつもの朝食を並べました。光太郎の右側の席には、ママの陰膳がいつものように置かれています。

ママの大好きな目玉焼き、半熟片面焼き醤油がけも、あたりまえのように添えられていました。

食事をしながら、光太郎はママに話しかけます。

「今日の目玉焼きは、上手く焼けたと思うけど、どうかなママ?美味しい?」

光太郎は本当に嬉しそうです。

もちろん光太郎も、そこにママはもういないことは知っています。

そんな父、光太郎の姿を見て、冬馬は、こんな風にお互いを愛し合い、思いやれる夫婦になれるといいな、と由紀恵との将来を夢見ていました。



5年後。


「おぎゃーっ、おぎゃーっ、おぎゃーっ、おぎゃーっ!!」

「可愛い娘さんですよ。抱いてやってください」

看護師から由紀恵はわが子をそっと手渡されます。

二人はめでたく結婚し、初めての子供を授かっていました。

由紀恵の腕の中では、可愛い女の子が、元気よく泣き声を上げています。

「あなた...そっとね」

わが子を受け取った冬馬は、その愛らしさに目を細めます。

「はじめまして、パパでちゅよーっ!」

満面の笑みを浮かべています。

すると、今まで元気よく泣き声をあげていた赤ちゃんは、まだ開くはずのない目をぱっちりと開けると、しっかりとした口調で言いました。

「冬馬、久しぶりっ!元気?」

「ママっ?」


そうです。ママが生まれ変わってきたのです。



めでたし、めでたし。なのか?



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第一話から最終話まで、全部ご覧いただいた方々、長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。



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