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禅語の前後:一華開五葉(いちげ ごように ひらく)
花びらの数が5枚の花は、統計的に多いのだという。
なぜ5枚なのか、世の中にはいろんな説があるようだ。黄金比。フィボナッチ数列。凹型の空間を効率よく埋める比率。全方位から虫を集めるために最適な形状。
僕たち人間の指も5本だ。日曜日の朝にテレビでやってる、なんとか戦隊なにレンジャーとかも、たいてい5人組のようだ。何かしら5という数字には、自然と使われる丁度よさがあるのだろう。
禅宗の初代達磨が、二代目慧可に伝えたという言葉にも、5が出てくる。
吾本来茲土 吾れ本、茲の土に来り
伝法救迷情 法を伝えて迷情を救う
一華開五葉 一華、五葉に開き、
結果自然成 結果、自然に成る
(書き下し文は芳賀幸四郎「禅語の茶掛 一行物」より)
インドからこの中国の地に来た達磨大師が、彼が伝える仏法によって迷える衆生を救い、花には5枚の花びらが開いて、自ずから然るべきこととして果を結ぶ。
そんなくらいの意味合いである。
ここでいう「五葉」の、5という数字の意味付けも、いろいろ言われているようだ。
達磨の後代に広がっていった禅宗五家(潙仰・臨済・曹洞・雲門・法眼)の予言である、とか。
あるいは、密教の五智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・法界体性智)のことを指す、とか。
とはいっても、どうなんだろう。
人はどうしても、なにかしらの意味を探してしまうのが性なのだろうけれど、一つの花から花びらが自然と5枚ひらいて実を結んでいく、そういった光景をただ愛でるだけのことでも、いいのかもしれない、とも思う。
ことしは春が早いようだ。東京の桜ども、油断してたらあっという間に咲いてしまった。