2.1 音名:同じ音でも名前がいっぱい
さて、ここから第2章「音高に関する楽典基礎」に入っていきます。この第2章の内容は、クラシック音楽でもジャズ等のポピュラー音楽でも基本となる知識ですから、クラシック音楽の初学者にも役立つ内容になるかと思います。
まずこの記事では音名、すなわち音の名前について見ていきます。これからこのマガジンで音の高さのことについて本格的に考えていくにあたり、それぞれの音の高さに、曖昧さのない、ハッキリとした名前を前もって付けておくことはとても大切です。
ところが、この記事のタイトルの通り、西洋音楽の世界では、同じ音にもさまざまな名前が付けられています。それは主に二つの理由があります。
1. 同じ高さの音でも、音楽の流れの中でどのように扱われるかによって、名前を複数持っていたほうが論理的で、かつ便利であること(こちらのほうが、より本質的な理由です)。
2. 同じ音が、英語、ドイツ語、イタリア語、日本語など、様々な言語で呼ばれること。
同じ音に名前がいっぱいあるのには、もちろんそれなりの必然性があるわけですが、これが初学者にとっては混乱の元でもあります。音名のことで頭がこんがらがっている方は、是非この記事でスッキリ!していただければと思います。
2.1.1 基本は7音!
私は第1章で、「我々は、半ば常識として、1オクターブの中にはドレミファソラシの7音、あるいは、ド、ド♯、レ、レ♯……と半音単位で考えた12音が入っていることを知っている」ということを述べました。1オクターブの中には「7音ある」という考え方、「12音ある」という考え方、大きく2つの考え方があるわけです。
これはどちらも大事なのですが、こと「音名」に関しては、「7音ある」という考え方のほうが基本となります。まずこのことをしっかり押さえましょう。西洋近代音楽はこの考え方をもとに発展してきたからです。
このことは、五線譜とピアノの鍵盤を見ても明らかです(以下、ピアノ鍵盤の模式図が何度か出てきますが、分かりやすくするために、ピアノ中央の「ド」の音を黄色で示しています)。
上の図をご覧いただければ分かる通り、五線譜上で1オクターブ上がるためには、音符の位置を上方向に7回動かすことになります(12回ではありませんね)。また、ピアノの鍵盤上(ご存知の通り白鍵と黒鍵に分かれています)では、1オクターブの幅は7つの白鍵によって表現されています。
音名、すなわち音の高さに付けられる名前も、これらと同様、「1オクターブの中には7音ある」という基本的認識に基づいて付けられています。そのため、この記事では以下、いま我々が知っている五線譜とピアノの鍵盤は「当たり前」の大前提として、音名について解説していきます[注1]。鍵盤楽器が専門でない方には少し分かりづらいかもしれませんが、頑張っていきましょう。
2.1.2 幹音と派生音:「ダブルシャープ」って何?
さて、オクターブの中には7つの音がある、というのが我々の基本認識でした。なので、まずは、その基本となる7音にさっそく名前をつけてしまいましょう。とはいえ、これは皆さん、さすがにもうご存知と思います。そう、あの有名な「ドレミの歌」にもあるように、ドレミファソラシです。
ここではむしろ、次の二つのことが重要です。
ドレミファソラシ……というのはイタリア式の音名である。
ピアノの白鍵にあたるこれら7音(五線譜上で♯、♭などを使わずに表記できる7音)を「幹音」と呼ぶ。
1点目に関して言えば、マスターすべき音名はイタリア式だけではありません。ポピュラー音楽に携わる限り、「英語式」の音名の習得は必須と言えるでしょう。また「ドイツ式」「日本式」についても場面によっては必要になってきます。これらについては後述します。
ここでは、2点目の「幹音」という概念について、もう少し掘り下げてみましょう。
楽譜の中に、「幹音から半音1つ上げよ」あるいは「半音1つ下げよ」といった指示が書き込まれることがよくありますね。そう、皆さんの大好きな(大嫌いな?)シャープ(♯)とフラット(♭)です。少し楽典に詳しい方なら、さらに厄介なダブルシャープ(×)[注2]とダブルフラット(♭♭)があることもご存じでしょう(それぞれ、幹音から半音二つ上げよ、幹音から半音二つ下げよという指示ですね)。
また、ナチュラル(♮)という指示もあります。これはシャープやフラットなどで変化した音を「元の幹音に戻せ」という指示です。ピアニストはナチュラルを見たら常に白鍵を弾くことになります。
これら5つの記号を纏めて「変化記号」と呼びます。そして、変化記号によって幹音から変化した音をまとめて「派生音」と呼びます。幹音とか派生音とかの用語は、あまり使用頻度は高くないものの、音名を正しく理解するためにはとても重要な概念です。
上の譜例の③(レのナチュラル)が幹音、①②④⑤が派生音です。鍵盤上では、幹音は必ず白鍵となりますが、派生音は場合によって黒鍵だったり白鍵だったりします(上の①と⑤が白鍵となる例です)。「この音は幹音か派生音か?」という判断は、鍵盤だけを見てもできません。あくまで譜面から判断します。
コラム:調号と臨時記号
音名の話からちょっと逸れますが、変化記号には2種類あることをこの際に押さえておきましょう。それはすなわち「調号」と「臨時記号」です。
調号は、音部記号(ト音記号など)と拍子記号(4/4など)の間に記し、その曲の全体(あるいは、次の新しい調号が現れるまでの間)に対する指示となります。その曲全体の調性を表すわけです。
たとえば、下の譜例で、音符の上に♯を記したものは、いずれも調号のシャープが効いています(この、上に書いた♯はあくまでこの記事での説明のためのもので、普通は書きません)。
調号については、ひとまず次の点に注意しましょう:
調号には、シャープとフラットは現れますが、ダブルシャープやダブルフラットは絶対に現れません。
幹音は7つしかないため、調号に現れるシャープやフラットの数は、必然的に最大で7つまでです。
調号内のシャープまたはフラットを書く位置と付け足す順番は決まっています(手書きの時、でたらめに書かないように注意)[注3]。
ト音記号とヘ音記号のそれぞれについて、シャープとフラットの正しい付け足し方を以下に示します。
いっぽう、臨時記号は、曲中の音符の直前に記し、「その小節内、その高さの音だけ」に一時的に有効な変化記号です。次の小節に進んだ瞬間に(あるいは次の臨時記号がその小節内に現れるまで)無効になります。また、同じ小節内のオクターブ違いの音に対しても無効です。
上の譜例で、音符の上に♯を記したものは、いずれも臨時記号のシャープが効いていますが、♮を記したものには効いていません。
ダブルシャープやダブルフラットといったクセ者がなぜ存在するかというと、それは「調号で半音上げられた(あるいは下げられた)幹音を、臨時記号によって一時的にもう半音(つまり、都合2半音)上げたい(あるいは下げたい)」というような場合があるからです。従って、ダブルシャープやダブルフラットは常に臨時記号として現れます。
楽譜を書く時の決まり事として、「上行する半音階では♯、下行する半音階では♭を使う」という原則があります。その曲のもともとの調号との絡みで、上の譜例のようにダブルシャープやダブルフラットの出番が回ってくることがあるわけです。
2.1.3 異名同音
さて、第1章で私たちが見てきたピタゴラスの実験においては、ミ♯とファが周波数の異なる音になってしまいました。しかし、このマガジンの第2章以降では、十二平均律を前提としてお話を進めていきます。十二平均律においては、ミ♯とファは同じ音高を示します。
このように、同じ高さの音が違う名前で呼ばれることを「異名同音」(英語でenharmonic)といいます。ミ♯とファとソ♭♭は異名同音の一種です。
異名同音の面白い例をひとつご紹介しましょう。G.ホルストの組曲『惑星』(「ジュピター」で有名ですね)より、「天王星」からの抜粋です。
ミ♭とレ♯が異名同音で、4小節目に両方が出てきますね。この例では、前半は「ミ♭ーーミ♭ーー|ミ♭ーレミ♭ーファ|ソーラソーファ|ミ♭ー~」と歌った方が分かりやすく、後半は「レ♯ーー|ド♯ーシラーシ|ド♯ーレ♯ミレ♯ド♯」と歌った方が分かりやすいので、このような表記になっているわけですね。このようなメロディーは、レ♯とミ♭を同一視できる十二平均律ならではと言えます。
2.1.4 各国式の音名:「エー」ってどの音?
さて、ようやく各国式の音名を具体的に見ていきましょう。ただし、本項では、網羅的な音名の一覧は敢えて積極的にはご紹介しません。網羅的にすべての音名を知りたい方は、まずは例えば以下のような外部サイトを各自ご参照ください。
この記事では、これらの一覧を丸暗記することは推奨しません。以下のガイダンスに従って、各自が必要な範囲で覚えれば十分だと思います。
2.1.4.1 イタリア式音名
日本では幹音名のドレミファソラシだけが一般に通用しています。派生音については実践上、「レのシャープ」「ラのフラット」「ソのダブルシャープ」等と英語式を混ぜた言い方がされています。イタリア式の派生音の呼び方もあるにはありますが、覚える必要はありません。
なお、イタリア式の音名は、音名を声に出してメロディーを歌うときに一般に使われています。「かえるの歌」を「かえるのうたが~♪」ではなく「ドレミファミレド~♪」と歌う方法ですね。この方法が広く普及しているため、我々にとって最もなじみ深い音名と言えるでしょう。
2.1.4.2 英語式音名
ポピュラー音楽を志す人(ドラマー等は別として)は、必ず身につけなければならない音名です。従って、このマガジンの読者の皆様にもぜひ身につけていただきたいと思います。
幹音をAからGまでのアルファベットで順に表すのですが、重要な注意点があります。ドレミファソラシはドから始まっていますが、英語式ではAはラに割り当てられているのです。イタリア式のドは英語式のCです。G(ソ)のあとはA(ラ)に戻ります(Hはありません)。
派生音については、C sharp, D flat, A double flatなど、幹音名の後に変化記号名をそのまま付けるだけで、不規則変化はありません。
ドレミファソラシに慣れすぎて、EとかGとか言われても、どの音だかすぐにピンと来ない人は、ピンと来るようになるまで訓練する必要があります。まずは、ドレミファソラシをCDEFGABという順番で覚えなおすのが良いでしょう。
2.1.4.3 日本式音名
言語が入れ替わっただけで、考え方は英語式と全く同じです。
幹音名は、英語式のCDEFGABをハニホヘトイロに置き換えただけです(「いろはにほへと」を「は」から始めたものですね)。「ハ」がイタリア式のド、「イ」がイタリア式のラとなります。
派生音については、シャープ、フラット、ダブルシャープ、ダブルフラットをそれぞれ「嬰」(えい)、「変」、「重嬰」、「重変」と訳し、幹音名の前に付けます。嬰ト、変ホ、重変ロ、などです。不規則変化はありません。
よくある実用例としては、音名というよりも、「ハ長調」「変ホ短調」など、クラシック音楽において楽曲の調性を言い表すのに使われる程度だと思います。また、「ト音記号」「ヘ音記号」などという言い方は、この日本式音名に基づいています。ポピュラー音楽の世界ではあまり重要な音名ではありません。
2.1.4.4 ドイツ式音名
これが一番やっかいです。不規則に変化するものや英語式と紛らわしい点が多く、かつ、使わざるを得ない場面も意外と多いからです。
まず幹音について。英語式はA~Gの7文字を使用しましたが、ドイツ式はドから順番にC, D, E, F, G, A, Hを割り当てます(Bが無く、代わりにHが登場しています)。
あとでBも出てくるので、これら8つのアルファベットのドイツ語での読み方を覚えてしまいましょう。A=アー、B=ベー、C=ツェー、D=デー、E=エー、F=エフ、G=ゲー、H=ハーです。日本人はふつう英語のAを「エィ」ではなく「エー」と発音しますので、音名を声に出して「エー」と言われたときに、それは英語式のAなのか、ドイツ式のEなのかが曖昧になってしまいます。「エー」と言われたら要注意です!
派生音については、シャープについては-is、フラットについては-esを各アルファベットの後ろにつけ、Cis(ツィス)、Des(デス)のように読みます。ただし例外的に「シのフラット」はB(ベー)と呼びます。つまり、ドイツ式に詳しい人が文字でBと書いた場合、それはシなのか(英語式)、シのフラットなのか(ドイツ式)が曖昧になってしまいます。「B」と書かれていたら要注意……かもしれません(そんなに実例は多くない気もしますが)。
また、AのフラットはAesではなく発音上の都合でAs(アス)といい、EのフラットはEs(エス)というなど、派生音の名称については不規則変化が多いです。ダブルシャープ、ダブルフラットはそれぞれアルファベットの後ろに-isis、-esesを付けますが、これも不規則変化があります。
このように、ドイツ音名をポピュラー音楽の現場で使用すると混乱が生じやすいのですが、次のような事情から、使用頻度はそれなりに高いのです:
クラシック音楽を学んだ人や吹奏楽部出身者は、英語式よりドイツ語式に慣れているのが普通。
トランペットやサックスなど、管楽器の中でも移調楽器を演奏する人は、楽器にとっての音名をイタリア式、実音をドイツ式で呼んで区別することが多い。
派生音の名称が他の方式に比べて短く、簡便。
移調楽器についての細かい説明は省きますが、ピアノにたとえると、「ド」の音の鍵盤を弾いても、実際には「シのフラット」が出たり「ミのフラット」が出たりする楽器だとイメージしてください。要するに楽器としての音名と、実際の音にズレがあるわけです(フルートなど、こういうズレがない管楽器もあります)。
以上より、ドイツ式音名は、「すべてを暗記しなくてもよいが、このようなヤヤコシイ音名があることは知っておいた方が良い」という程度だと思います。ただし、吹部出身者などとコミュニケーションをスムーズに取るためには、より正確に理解しておく必要があります。
2.1.5 音名と階名:「移動ド」って何?
以上で「音名」そのものの説明はいちおう終わりなのですが、ここで、「音名」とちょっと紛らわしい、「階名」という概念を説明しておきましょう。
これまで、ドレミファソラシの「ド」は音の名前、つまり絶対的な音の高さを言い表す名前である(つまり、どんな調性のどんな曲でも、「ド」は常に「ド」である)という前提で説明してきましたが、特に日本では、ドレミファソラシを音名ではなく階名として使う用法も普及しています。
階名とは、ある長調の曲があるとき、その調における主音(トニック。その調でもっとも中心となる音)を「ド」として、それを基準に「その曲におけるドレミファソラシ」をその都度新しく定義してしまう方法です。この方式だと、曲によってどの音に「ド」という名前がつくのかは変化するわけです。
このように、階名としてドレミファソラシを用いてメロディーを歌うことを、「移動ド」唱法と呼びます。他方、音名としてドレミファソラシを用いてメロディーを歌うことは「固定ド」唱法と呼びます。
階名(移動ド)でメロディーを歌う、という行為には次のような利点があります。
そのメロディーを移調(音の高さをまるごと上または下に平行移動)しても、同じ階名で歌える。
相対音感が鍛えられる。その曲がどんな調でも、それぞれの音と主音との距離を常に意識できるようになる。
常にそれぞれの音の役割が意識できる。たとえば階名としての「シ」は多くの場合、半音上の「ド」に進むための音である。
他方で、「移動ド」唱法にはいくつか問題点もあります。
短調の曲については、主音(トニック)をラと歌うかドと歌うかが確定できない。通常は短調の主音は「ラ」とするが、特にハ短調から一時的にハ長調に転調するような曲の場合に困る。
転調がとても多い曲や、ハッキリした調性の無い曲を歌うのには使えない。
絶対音感の持ち主には、いかなる調性の曲でも、まず階名ではなく音名で音が聞こえてくるため、「移動ド」は使いづらい。
そもそも、ドレミファソラシが、音名としても階名としても使われている現状は、非常に混乱を招きやすいものです。しかし、「移動ド」派、「固定ド」派のどちらかがそのうち滅亡する、なんてことは起きないでしょう。従って、皆さんは、この現状を知り、音楽の現場で混乱が起こらないように各自で注意していくしかありません。
以上で「音名」についての話を終わります。次回は「音程」についてです。
脚注
[注1] もちろん、歴史的に考えれば、五線譜とピアノの鍵盤が現在のデザインに落ち着いたのは、第1章で学んだように、ピタゴラスが苦労してピタゴラス音律を発見したのが大元のきっかけです。その後の西洋音楽の発展に伴い、今のような五線譜の形が出来上がったのは概ね17~18世紀頃です。今となっては当たり前の五線譜やピアノの鍵盤が、かつては「当たり前」ではなかったことは、改めて思い出しておく価値があると思います。
[注2] ダブルシャープは特別な記号なので、本文中にフォントとして出力できません。手書きでは単に「×」と書くので、本文中でもそのようにしました。活字では下の画像のようになります(ちなみに、このマガジンでは、敢えて意図的に、楽譜はすべて「手書き」でアップしています)。
[注3] ハンガリーの作曲家バルトークは、このルールを意図的に破り、特殊な調号を用いた作品を残したことが知られています。例えば以下のようなものです。これはあくまで特殊な例です。
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