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誰もが生きやすい社会へ

皆さん、こんにちは。或いはこんばんは。

先日の最終プレゼンをもって、BEAU LABOの活動の節目となったので、16期の学び・感想を書こうと思います。

思いやり

初めに。

今期が始まったのは、1月からです。最初にラボ生達と1on1をしますが、みんなLGBTQ+に関心を持っていることが分かりました。つまり、僕達のラボでは、3ヶ月間「LGBTQ+」について、探求活動を進めていくという事になります。

言葉を選ばず言うと、僕は誰がゲイだろうと、誰がトランスジェンダーだろうと、どうでも良いと思ってましたね。生物学上良いとも思わないし、人それぞれ自由があるから批判もしない。肯定的無関心という立場となるのでしょう。

恐らくですが、日本人の若い世代は、肯定的無関心の立場にいる人が多いのではないでしょうか。  
しかし、こんな考えの僕が3ヶ月の探求活動の中で、考え方が大きく変わりました。多すぎるので、特に印象に残ったことを書こうと思います。

明るく、優しく、凛々しく

僕のラボ生達は、本当に明るくて、優しくて、凛々しい女子高生でした。LGBTQ+の探求活動以外にも、ディスカッションが出来るようになりたい!自分の意見を伝えられるようになりたい!などの目標もあり、なんて素晴らしい高校生達なんだと感動しました。というか、BEAU LABOに参加する高校生は、みんな凄いです。毎回びっくりさせられる姿勢・視点を持っています。

彼女達と探求していく中で、僕は思いました。

「知らない間に、誰かを傷つけていたかも。」

僕たちが面白いと思っていた
「お前オカマやん!笑」も、どこかで誰かが傷ついていたり、塾で僕が発した
「やっぱり女子やけぇ、字が綺麗やね!」
だって、その子は嫌だったかもしれないと思ったりすることが多くありました。
みんなが、平和に生きやすい世の中を作るためには、このような発言は良くないなと思いました。

教育の偉大さ。

僕は将来、教育者を目指しているので、教育に対するアンテナは常に張っているつもりです。3ヶ月間、国際問題を考えるラボに携わってきましたが、ここで教育の偉大さを再認知しました。

最終及び中間プレゼンの際に、国際問題ラボ4チームのプレゼンを聞くのですが、性差別・貧困問題・紛争問題・SDGsのほとんどの解決案に、それぞれの課題に対しての教育が含まれていたのです。やはり、若年層へのアプローチは大切になのだと思いましたね。かつて、物理学者アルベルト・アインシュタインも言ってました。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」と。
そもそも、なぜ人は先入観や偏見・勘や推測だけで、物事を語ってしまうのでしょうか。
「〜はこうだから、きっとこうだろう」と。
そんなの分かる訳がありません。やはり、ルールや定義に基づき研究することや、真っ向からコミュケーションを取ること以外には、事実は手に入れれないのでしょうね。
なかなか興味深いです。僕もまだ全然分かりません。


ところでみなさん、ヒドゥンカリキュラムという言葉を知っていますか?

ヒドゥンカリキュラム:意図しないままに教師や仲間から教えられていくというもの。

分かりにくいので、具体例を出そうと思います。
例えば、クラスの1人が発表してくれたとします。そこで先生が
「1番後ろの人、聞こえましたか?」
と質問します。
ここに含まれるヒドゥンカリキュラムは、クラス全員に対して、誰にでも聞こえるような声量で話しましょうね!という暗示です。

なんかゾクッとしませんか?今の自分の性格の一部は、周りの環境で出来上がってきたと。親・仲間・教師など、運要素しかないもので自分の一部は形成されているのだと。

世にも奇妙な物語みたいな感じになってますが、僕がここで言いたいのは、子ども達には大人のふとした行動が反映されているという点です。言葉遣い、マナーなど、全部見られていると考えてもいいでしょう。
そう考えると、教育者のキャラクター・振る舞いってめちゃくちゃ大切なんだなと思います。ここでの教育者は保育士、教師、塾講師だけではありません。全員、親になる可能性がありますので。
僕が塾の先生になったときに、僕のヒドゥンカリキュラムが良い方向に働くのか、それとも悪い方向に働くのか。背中で語れるカッコイイ大人になりたいです。

まとめ

国際問題はとてもシビアな問題だと思います。色々な要素が混沌とした問題であり、1つの問題を解決したからと言って、全てが解決に至る訳でもないと思います。

教え子と言っていいのかな?きっと僕の教え子達が、誰もが生きやすい社会を作り、差別を区別に変える一因になってくれると信じています。教え子たちが大人になって、お酒でも飲みながら、その時の活躍とか聞くのが僕の直近の夢です。
次会えるのを、楽しみにしてますよ。

彼女たちが、僕に教えてくれたのは、ひとりひとりが思いやりの心を持つという小さなことが、国際問題を解決する1歩目となるかもしれない。ということです。

それでは。

常識とは18歳までに
身につけた偏見のコレクションでしかない

アルベルト・アインシュタイン

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